ガイアエデュケーション2021 鈴鹿コミュニティ会場で開催されました。

GEN(グローバルエコビレッジネットワーク)主催、ガイアエデュケーション2021が、アズワン鈴鹿コミュニティを会場に開催されました。

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ガイアエデュケーションとは、世界40か国以上で開かれているEDE(エコビレッジ・デザイン・エデュケーション)を元に、持続可能な社会を学び創っていける人材の育成を目的に、ユネスコの認証を受けた教育プログラムです。
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半年間(2泊3日を6回)かけて開かれるプログラムの、2021年(5期生)の第一回が開かれ、全国から18人が参加しています。
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今回は、鈴鹿で20年にわたって育ってきた鈴鹿コミュニティの姿を、見学やコミュニティメンバーとの交流を通して、学びました。
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今後毎月、鈴鹿コミュニティ(4回)、安曇野のシャンティクティ(1回)、トランジション藤野(1回)など、各地のコミュニティを巡っていくそうです。

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GEN エコビレッジオンラインサミットで紹介されました。

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グローバル・エコビレッジ・ネットワークが毎年春に開催してきた、エコビレッジ・オンラインサミットは、3年目の今年は世界各地の代表的なエコビレッジを紹介しています。
その中で日本のアズワンコミュニティと、サイエンズメソッドが取り上げられました。
サイエンズメソッドは、持続可能な世界に向けての7つの解決策の一つとして、紹介されています。

持続可能な社会は、持続可能な人間関係から実現を目指すアズワン鈴鹿コミュニティの20年の実践と、そこで生まれた「サイエンズメソッド」を使った取り組みの実例が、世界中のエコビレッジや持続可能な社会を目指し活動する人たちに紹介され、今後一緒に考えながら歩んでいけるのが、とても楽しみです。
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【オンライン対談】本当に自由な社会とは? テキスト版 その4

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~サイエンズメソッドで見えてきた人間と社会の姿~

2020年10月25日に第1回、12月9日に第2回を開催して好評だったアズワンネットワークのオンライン対談は、2月11日に第3回「本当に自由な社会とは? 」
を開催しました。2月に動画を掲載しましたが、テキスト版ができましたので、下段に掲載します。

対談の文章は4回に分けて、毎週Webサイトにアップロードします。
今回はその4回目(最終回)になります。

第1回の対談動画はこちらから
第2回の対談動画はこちらから

 対談者は、元大手出版社の編集者で、個人の意識の覚醒と社会変革を求め続けて、一昨年アズワンに出会った三木卓さんと、アズワン初期からのメンバの一人でもある、サイエンズ研究所の小野雅司さんです。

~サイエンズメソッドで見えてきた人間と社会の姿~
今回の対談テキスト版 その3は、こちらから


↓テキスト版その3からつづく↓

三木
今の話の中で出てきた質問とかあるいは意見とかあったらまた書き込んで頂ければと思います。
まず小野さんに質問ということで、縛るフィクションと縛らないフィクションというコメントがあったけれども、具体的に縛らないフィクションとはなんですかと言う浜松の智ちゃんからの質問です。


小野
さっきも少しお話しましたけど、例えば普通でしたら規則やルールとか決めたら、ルールは守らなければいけない、ルールを守らない人は責められる、罰せられると、そういうのが今の現状のフィクションですね、縛りのある。
やらなければいけない、やっちゃいけないってことのある強制束縛があるフィクションだと思うんです。例えばアズワン鈴鹿コミュニティでも、ルールっていうか、「こうしようか」っていうフィクションはたくさんあるんですよ。例えばここはこんな風に使おうとか、この日にはこういうミーティングをやろうとかね。そういうのは、全部、そういうことは一応あるわけですけれども、そういうのは、一応あっても、それについて、やらなかったら責められるとか、やらない人を罰するとか、そういうことがない。「一応こうしようか」っていうフィクションがあっても、それについて、やらなければいけないとか、やってはいけないというのがくっつかないフィクション、それを人を縛らないフィクションっていうような形で言っています。例えばこのクルマは僕が使うようにしようとかいうこともね、それも僕用に使うというのも一応のフィクションですね。それで、もし、他の人が使ったからって罰するとかそいうこともなくって、「使わないでね」とか「今は僕が使うからね」とか、そういうことを責めたり罰したりとかがなく、「一応こうしようか」っていう感じですね。そういうことを縛らないフィクションというっていうことかなと思ってるんで


智子(オンライン参加者)
それもうちょっと聞きたいなぁと思って、言ってもいいかな?
ルールを決めて、責めないとかそういうのはただ言わないってだけじゃないような気がしてて。ルールは決めて、それでやりたくない人がいて、それは責めないようにしようと思って我慢して、本当は心の中で思っていても言わないっていう、そういう人達ではないような感じがしてます。そこがなんか大事っていうか、知りたいっていうところです。


小野
なるほど。これも責めないようにしようっていうのも、また人間の考えの方になっちゃうからね。また、責めてはいけませんとかやると、また違う縛りになってくるからね。そこがサイエンズメソッドの大事なところでもあるんです。やっぱその責めたりとかそういうことがないというのは社会的にも、社会の仕組みの中にも責めがないとか罰がないっていうこともありますけど、そういうことが成り立つのは一人一人の中の責めとか、そういうことは罰するべきだという考えがなくならないと、いくら責めがないっていうことを掲げてもならないですよね。そこがさっきもお話しましたけど、2004年頃にね、僕らが一番突き当たったテーマでもあるんですけどね。いくら自由を掲げても、自分の中に、こうしなければいけないとか、こうしてはいけないとか、規則を守らない人は責めるとか、そういうものが自分の中にを深く入り込んでいる。そういうキメつけとか思い込み自体をどうなっているの? 自分の中のそのキメつけていることを、こうじゃなきゃいけないと思っているその自分の中の固定化されたフィクションに気づいて、「あ、それが本当に思い込みなんだ」「自分の単なるキメつけなんだ」ってことに気づいていく。そのプロセスがないと今言った縛りのないフィクションっていうの実現しないですよね。
そこを調べてくるのもこのサイエンズメソッドのすごく大事なポイントになるかなと思っています


三木
八重樫信子さんからの質問なんですけれども、わかっちゃいるけど、その矛盾を繰り返す理由として、お金、所有に対する考え、それらがないことへの恐れの縛りが大きいように感じます。
その従来のフィクションに対して新しいフィクションに移行するのに必要なプロセスも聞きたいです。

このわかっちゃいるけどって、補足すると理想と現実っていうところですよね?


信子(オンライン参加者)
そういうようなループになるというところです。


小野
はい、そうですね。これも、一人でやってるとなかなかっていうのはあると思うんですよね。この壁を超えていくというのは、なかなか簡単ではないという感じが確かにします。そこがコミュニティをつくるって事の一つの大きな意味だと思うんです。例えばお金とかね、さっきの規則とかがないとか言ってもね、一人では、周りが圧倒的に「そういうのをやったらあかん!」とか、やったら責めるという人の中では、なかなかそういう観念も変わっていかない、移行できない。結局また自分も自発的服じゃないですけど、またそれに従ってしまうっていうようになってしまう。それの繰り返しになるっていうのは、個人とか、2~3人という規模だと、やっぱり、そういうふうになりやすいのだなぁと思ってます。そこをコミュニティーという単位で、5人とか10人、今だと僕らは200人とかそういう単位になってきますが、そういうコミュニティの力が大事だと思うんです。今だと一般社会の力の中に、個人がいて、それにもう巻き込まれて、そういう観念にどんどん服従せざるを得ないっていうね、そういう力にこう巻き込まれていくと思うんですけど、逆にコミュニティ単位ができると、本来の方に行こうとする力がどんどん出てきて、お金とか所有とか、なになにしちゃいけないということから解放されていく。そのエネルギーは、コミュニティの力でなっていく。個人でこういうのを悟っていくのではなくて、悟るって表現ね、第一回でもありましたけれども、そういうのを知っていく、そういうふうな人になっていくということですが、やっぱり、みんなで成り合ってくっていう要素が、欠かせないんじゃないかなっていうふうに思います。


三木
今の話にも関わってくるんですけども、香川さんから自発的服従から解放されるって心地いいですね、ということなんですが、自発的服従についてもう少し補足してもらっていいですかね?


小野
そうですね。自発的服従というのは、僕たちが作った言葉じゃなく、自発的服従とか自発的隷従という言葉で社会学の中なんかによく出てくる言葉ですけども、自分自身は自発的主体的であるかのようだけれども、客観的に見ると、規則とか制度に服従してしまっている状態を自発的服従とか自発的隷従とか言うらしいです。
それが、この「やらなければいけない」っていう社会を構成してしまっていると思うんですね。やらなきゃいけないよっていくら言っても、周りが全然そんなことを無視していたら、それは成り立たないわけですよね。例えば一人の人がこれはやらなきゃいけないんだって言っても、周りの人が「何ソレ?」「そんなの関係ないじゃん」って言ったら成り立たないわけですね。やらなきゃいけないっていう人がいて、それはやらなきゃいけないことがあるんだというふうに服従する人がいて、初めてそういうやらなければいけないっていう制度が持続してるとも言えると思うんですね。
ですから、自分が自発的服従して、しなければいけないということが、どこかに、社会の中にあるかのように言ってますけど、実はもう一人一人の中に、それが根付いてしまっているという構造になっていると思うんですよね。そういう自分の中にやらなければいけないことがある、それがフィクションととても思えない。実際にあるじゃないかっていう風に見えるぐらい自分の中に叩き込まれてしまっている。そこに一人一人が気づいていく。
自発的服従から解放されるっていうことは実はすごく気持ちがいいし、その解放された人たちで新しく、従うものがあるとかやらなきゃいけないことがあるとかいうものがない、そういう自由に解放された人同士で新しい社会をつくっていこうじゃないかっていう試みです。そうしたら本当に外から強制されるものがなくて、一人一人が本当に願うもので構成していく社会、そういうものがそこから見えてくるんじゃないかな。そういうことでも社会ができるってことと個人が自発的服従から解放される、それはすごくリンクしていて、大きなテーマになりますね。まず最初に作るときには一人一人が自発的服従から解放される、そういう人がいないと社会が始まらないと思いますけど、今度社会ができ始めると、自発的服従から解放されるのもどんどん簡単になってくると思うんですよね。
さっきの八重樫さんからの質問にもあったけど、自分がそういう人になってくっていうことと共に、社会ができることでなっていく。僕らも自発的服従を強制される社会だから自発的服従になってきたわけで、自発的服従を強制されない社会ができちゃったら、そんなね、自分から服従したい人なんているわけないですから、それから解放されるのは実にだんだん簡単になっていくっていうね、そういうプロセスになるんじゃないかなっていうふうに思います


三木
佐藤淳さんからの質問なんですけど、今の自発的服従にも関連しているところですね。対談の中で自発的服従から解放されることは、何もしなくていいっていう表現も使ったと思うんですけど、それに対して何もしなくていいというの働かなくてもお弁当を食べさせてもらえるというようなことなんですか?って質問が来てますが。


小野
えー、これはですね、ちょっと違うかな(笑)。「やらなくてもいい」っていうのは、やんなきゃいけないとか、やってはいけないってことがないってことですね。何をしてもいいし、何もしなくてもよい。だから要するに、何かしなくても責められたり、罰せられることが一切ないってことで、やらなくても弁当がもらえる、そういう権利があるという話でもないんですよね。だから何もしなくてもいいということは、弁当をあげたいという人がいればあげたい、だからもらえますし、あげたいっていう人がいなかったら、弁当もないっていうことになりますね(笑)。だから本当に一切の当然とするものがないっていう状態のことを、やらなくてもいいって表現してるだけで、なんかもらえる、それが当然もらえるということは、一切ないわけです。逆に言ったら、何もしなくてもいいっていう状態になったら、一人ひとりは自発的なもの、どの人も自発的なもので動き始めるということですね。逆に、じゃあそうは言って、何もしなくてもいいって言ったら、人間何もしなくなるんじゃないかってね、そういう意見も出てくると思うんです。それは僕はすごく違う感じがして、それは何かしなきゃいけないっていう、そういう世界の中にいたら。そうしなければいけないがなくなったらもう反動でも何もしない、遊んで暮らすみたいになるんじゃないかという、そういう風に思われるのかなと思います。だけど、人というのは、そういうものじゃない感じが僕はしていて、子供なんか赤ちゃんとか見ていたら、別に言われなくても、何の強制がなくても、どんどん成長してどんどん自分で歩くようになり、どんどん言葉を覚えて、どんどんいろんなことをしたがりますよね。そういう自発的なものがどんな人にもあると思いますね。
例えばこうやって怪我をしたら体は別に意識しなくても自然と治そうとする作用があるみたいに、人間ってのは体も心も本来健康になろうという作用があると思いますし、やっぱり人と人とが調和していきたいという、意識的じゃなくてね、調和していこうという力は、どの人も本来持ってるんじゃないかって思います。
だから何もしなくてもいいっっていうのは、要するに強制とか束縛がない、そういう状態になってはじめて、その本来持ってる、人間が健康になっていこう、人と調和していこう、より良くなっていきたいとか、そういう本来もっているものがどんどん発揮される、そういう状態を言ってるのかなっていうふうに思うんです。


三木
はい。次はですね。自由には受益者の期待を超える各主体の知性ある努力と、受益者によるその理解、合意され、最小限のルールの順守が成立の前提になると思います。私も自由の一つの形といえるオープンソースや、教育による地方創生、町おこしの取り組みに関わっていますが、まさにそのようなことを痛感します。逆を言えば、反自由(束縛)とは、例えば商業的依存で起こるものであり、それは思考停止などの怠惰が起因して起こるものだと考えます。もしも各主体の努力が取り巻く受益者の期待以下であれば、不平不満が生まれ、それから争いが生まれます。動物行動学的にも何もしないところには自由は生まれないのではないでしょうか、という問いです。


小野
難しいですね。努力なきところには怠惰があり、商業主義に巻き込まれ、思考停止になって、不平不満みたいなものが生まれるみたいな、そういう現状認識かな。
この辺りが、自由というものが元々どういうものか? 自由が生まれるというか・・・この辺りも、ちょっとこれはどういう意味か? 僕も、これだけでは、判断できないんですけど・・・。
自由も生まれるとか生まれないっていう話も、さっきも言いましたが、元々やらなければいけないとか、やってはいけないとかがなかったら、元々が自由ですよね。そういうことから言ったら・・・


三木
そうですね、今回の対談の文脈で言うと、このご意見はやっぱり自由とは獲得するものみたいな・・・


小野
そうですね。


三木
そういう感じの自由という感じで、今回話ししていた自由とは同じ言葉ですけど、違う物差しで考えているのかなと。


小野
そうですね。今の自由というのは、獲得していくというもの。今の不自由ということが前提になっていて、それから自由になっていく。各主体の努力が期待以下であれば不平不満が生まれっていうのも、やっぱり、自分達の感覚で言うと、本当に自由な中で、やりたくてやってるってことで言ったら、別にやりたくてやるわけですから、やりたくてやるって世界で、見返りとか報酬とか、そういうのは一切いらない感じになるんですよね。やりたくてやる行為ですから、期待以下とかってことはないのではないでしょうか。自分がやりたくてやる、それは相手が喜ぶか喜ばないかっていうのは、相手の気持ちがあるわけですよね。けれども、本当にやりたくてやる行為には、報酬とか不平不満とかって出ない。そういう世界かなという感じがしてるんですよね。
自由に、本当の自由に、本当に何にも束縛とか強制とかがない中で、やりたくてやる行為は、まぁ一種の遊びみたいなかんじですね。本当に自分が純粋にやりたくてやる行為。そういう世界になってくると思うんですよ。これは、今の世の中では、なかなか理解し難いところかなーと思うんですけど、見返りとか報酬とか一切ない、本当にやりたくてやる、一方的なやりたい気持ちでやる行為が、束縛や強制がなくなったときに出てくる行為なんじゃないかなって気がしてますね。


三木
うおみんさんですね
貨幣経済って自主的束縛だったんですねっていう意見があります。


小野
そうですね。
貨幣とか、交換とか、所有でもそうですけど、元々所有なんかもね、地球上のものに所有なんか元々なく、人間が所有するって決めて、「これは誰だれのもので、自分の許可なしには使ってはいけない」って、人間が決めたものですね。それこそフィクションの最たるもので、それを交換する材料としてお金っていうのがね、出てきてるわけですね。でもそれも人間のすごいフィクションですよね。すごく自由を阻害している要素のひとつだと思うんですよね。
所有をベースにしてるって事は、これは自分の許可なしには使ってはいけない、そういう束縛を前提としている交換の制度だと思うんですよね。交換しなかったら使ってはいけないって、またそこに束縛が入るわけですからね。
すごくお金を持っていたら、感覚的には自由という感じがありますが、それはお金がないときは使ってはいけない、使えない。そういう不自由な社会をつくっておいて、その中で自由を獲得しようっていう、そういう構造の一つの現れって感じがするんですけどね。


三木
そうですね。最後になるかなと思うんですけど、山ちゃんからなんですけど。科学が発展すれば生産力はあがり、科学が人間を自由にします。


小野
はい。そういう面はありますよね。。生産力がすごく上がって、どんどん自由度が上がってるっていう側面は一つあると思います。でも一方でそれを、今の所有とか貨幣とか国境とかですね、人間が「これは許可がなければ使えない」「お金がなければ使えない」っていう制限でどんどん囲ってやっていますね。物がどんどん増えてるにいる割には貧困ね、日本でも貧困がテーマになったりとか、物が豊富にあるのに、自由に使えない。そのいうことで言ったら、科学がもっと発展して物も移動も自由になるっていう事にはどんどん発展させていきたいですよね。その一方でやっぱり人間のこのフィクションで人間が縛り合うってことから自由にならないと、本当の自由っていうのは生まれないんじゃないかなって僕は考えているんですね。物はもう今でも十分に溢れるぐらいにあるのに、なんでこんなに貧富の差ができたりするんでしょうね? ブラジルに僕は行くわけですけども、すっごい立派な家の脇にも貧民街もずっと並んでる現状を見ると、こんだけ物があるのに、なんでこんな貧富の差が出るのかあって、目の当たりにすることがあるんです。これは人間が作り出したフィクションが、人と人とを囲って、物を自由に使わせない。使ってはいけない。そこから、人間のフィクションから解放されないと、科学で物が豊富になった世界を本当には活かし切れてないんじゃないかなって、そんな風に思ってしまいます。


三木
ありがとうございました。


小野
全部の質問答えられなくてどうも申し訳ありませんでした。


三木
また次の機会に話し合いができたらと思います。どうもありがとうございました。
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4/17-18 アズワン鈴鹿ツアー開催しました。

4月17日(土)~4月18日(日)でアズワン鈴鹿ツアーを開催しました。
義務も責任もないコミュニティの会社「おふくろさん弁当」の見学
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コミュニティの暮らしの機構「HUB」と「JOY」の説明と見学
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今回は、大学で教鞭をとられている方や、長年都庁や県庁にお勤めで、社会システムの研究や構築、有機農業を研究されている方など、多彩な参加者でした。
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参加者の方が「このような社会を描いてはきていましたが、すでに実在していることに驚きました」と感想を話されていました。

アズワン鈴鹿コミュニティツアー毎月開催
アズワン鈴鹿コミュニティツアーの詳細はこちらから
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オンラインイベント「アズワンセミナー」説明会

4/18(日)夜に、オンラインのアズワンセミナー説明会を開催しました。
「アズワンセミナーって、どんなことするの?」
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アズワンセミナーって聞いたことあるけど、具体的にどんなことするんだろう?
興味はあるけど、もう少し詳しく聞きたい。

そんな声が届いたことをきっかけに、初めて「アズワンセミナー」について紹介するイベントが開催されました。
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初めてアズワンネットワークに触れる方、アズワンセミナーに参加したことがある方も一緒に「アズワンセミナーって、どんなことするの?を知る機会になりました。

初めてアズワンネットワークのオンラインイベントに参加した方も「アズワンセミナーが、今の自分には必要だと感じました」と感想を話されていたのが印象的でした。

今後も定期的に開催していく予定です。

アズワンセミナー毎月開催
アズワンセミナー開催日程や詳細はこちらから
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アズワン鈴鹿コミュニティツアー 4/10~4/11 開催しました

4月10日(土)~11日(日)で、アズワン鈴鹿コミュニティツアーが開催されました。
上下や規則や命令のない会社「おふくろさん弁当」の見学
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街で農業を営む「SUZUKA FARM」で、活動する青年との交流
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「次の社会機構」の試み、お金が介在しない暮らしの仕組みを見学
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~参加者の声~
「脱資本主義を体現するコミュニティを自分の目で見て体感したいと思い参加しました。お金でなく信頼をベースにした社会活動を行うことで、精神的には物資社会よりも裕福に暮らせるのだと感じました。」(30代・会社経営)

「人を思いやる人たちが、一つの家庭ではなく、大きな家族として全体を助け合うという、共有する姿勢に驚きました。昔の世の中では普通に行われていた、長屋暮らしと同様な子どもはみんなで育てる、そんな社会なのだなと感じました。」

アズワン鈴鹿コミュニティツアー毎月開催
アズワン鈴鹿コミュニティツアーの詳細はこちらから
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ヒデさんが行く♪ 全国行脚プロジェクト inアズワン鈴鹿コミュニティ

ヒデさんが行く♪ 全国行脚プロジェクト
『僕らが変わればまちが変わり、まちが変われば世界が変わる』出版記念講演会

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ヒデさんが行く♪ 全国行脚プロジェクトの詳細はこちら

ヒデさんが行く♪ 全国行脚プロジェクト
『僕らが変わればまちが変わり、まちが変われば世界が変わる』の出版を記念し、著者でトランジション活動を日本に紹介し、神奈川県のトランジション藤野で活動する榎本英英さん(ヒデさん)が、鈴鹿コミュニティで出版記念講演を行いました。
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ヒデさんこと榎本英剛さんが、鈴鹿コミュニティを訪れるのは7年ぶりとのこと。鈴鹿コミュニティの見学をしながら「若い人たちが育っている姿に感じるものがあります」と、7年ぶりの感想を話されました。


榎本さんは今後、2021年4月初旬から8月まで約5ヶ月をかけて全国を廻り、各地ですでにトランジション的な活動をされている人たちやこれからトランジション的な活動を始めようとしている人たちに向けて出張イベントを開催することを計画しています。
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日本の各地で、次の社会へ向けての胎動が、力強く動いていく息吹を感じた1泊2日でした。

トランジションJAPANの詳細はこちら
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【オンライン対談】本当に自由な社会とは? テキスト版 その3

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~サイエンズメソッドで見えてきた人間と社会の姿~

2020年10月25日に第1回、12月9日に第2回を開催して好評だったアズワンネットワークのオンライン対談は、2月11日に第3回「本当に自由な社会とは? 」
を開催しました。2月に動画を掲載しましたが、テキスト版ができましたので、下段に掲載します。

対談の文章は4回に分けて、毎週Webサイトにアップロードします。

第1回の対談動画はこちらから
第2回の対談動画はこちらから

 対談者は、元大手出版社の編集者で、個人の意識の覚醒と社会変革を求め続けて、一昨年アズワンに出会った三木卓さんと、アズワン初期からのメンバの一人でもある、サイエンズ研究所の小野雅司さんです。

~サイエンズメソッドで見えてきた人間と社会の姿~
今回の対談テキスト版 その2は、こちらから
↓テキスト版その2からつづく↓


三木
そういう頭で、考えで縛ってたものが、ただの考えでしかないっていうことに気付くと、元々の自由である自分を知って、そういう元々自然で自由であるということを知っている人同士で、人が本当にそれぞれの自由意志でお互いに対応し合うっていうか、呼応し合うっていう、そういうシンプルな自然な社になっていくということですね。


小野
そうですね。やらなきゃいけないとか,義務だ,責任だっていう中で動くんじゃなくて、ということになりますよね。ほんとうに何もしなくていいよとなったら,働かなくなるとか、みんな何もしなくなるとか、そういうことを言う人もいますけど,そんな感じは全然ないですね。やらなくてもいいとなったら,逆に、本当にやりたいことがいっぱい出てくるとか,さっきも言いましたけど,やりたい気持ちでやってくれる人の行為を受けるとすごくうれしいし,そういう行為を受けたら,何か自分もできることをしたくなるし。縛り合いは,縛り合いの連鎖を生む感じがするんですけど,やりたい気持ちで贈る気持ちとか,何かしてあげたい気持ちとかは,それが連鎖して,それがまたやりたい気持ちのエネルギーになっていくという、そういう喜びの連鎖になってくるんですね。このコミュニティに暮らしていると,そればかりという感じ。やらなければいけないことがないわけですから,動機は,もう自分が本当にやりたいとか,やってあげたいとか,そういう動機だけになっていくわけですからね。もちろんコミュニティもまだまだいろんな人もいますし,いろんな社会の影響も受けるし,育ってきた過程で,やらなきゃいけないってことがすごく強く入っている人もいますから,全員が全員、すべて解放されて,全員が完ぺきな自由な状態というわけではないですけどもね。でもそういう社会ができつつある中で,だんだん自由なベースができた分だけ,やらなきゃいけないという空気が減るし,また新しい人が来ますから,そういう人もそういう空気に触れながら,やらなきゃいけないということから解放されるというサイクルができてきました。社会が小さいながらもできてくると,やらなきゃいけないことが実際あるわけではなくて,本当にフィクションに過ぎないんだなってことを実感しやすくなります。初期の頃は,やらなきゃいけないのは人間の考えだと頭にあっても,時間までに届けなきゃあかんじゃないかとか,そんな感じのこともずっとあったりしたんですけどね。それが,研究したり,実際どうなのかと、研究と実践を重ねながら,徐々にそういう風な方向になってきました。20年経つとだいぶそっちの方向がはっきり見えてきている感じがしますね。


三木
そういうやらなきゃいけないみたいな人間の考えに縛られなくなるって感じなんですかね。我々は植え付けられていますからね。小さいことから,あれやれ,これやれ,こうすべきだってね。


小野
徹底してますからね。しつけとか教育とか,そういう名のもとに,当然のようにやらなければいけないとか,守らなければいけないとか,守らないといけないことを守らないと罰せられるとか,責められるとか。罰とか責められるなら,積極的に守ろうかってね。そういうの,自発的服従って表現がありますけれども,自発的に,やらなければいけないことに積極的に従ってしまう,運動部なんかやっていると,積極的に従っていこうと。そういうのができちゃうと,規則を守らせたい人たちにとってはすごく楽ですよね。いちいち守らせようとしなくても,その人たち自身が規則はあるものとして,お互いが規則を守らない人を責め合ったりしますからね。そういう中で,みんながそうなってくると,あたかも,やらなければいけないことがあるみたいな,そういう見え方に自分たちもなっちゃうんですよね。そこから解放されるのがすごく大きなテーマじゃないかな。


三木
そうですよね。そういう人間を縛っているフィクションから抜け出すというのが次の社会だと思うんですが,これまでは縛らないフィクションとか,新しくフィクションを変えようみたいな,それを人民の力とか武力で,次のフィクションはこれだということで,フィクション間の闘争があったと思うんですけど,そうじゃなくて,そのフィクションから一回離れようよと。なぜなら,それはフィクションに過ぎないんだからという。そこが知性を使うってことですよね。


小野
そうそう。そこから抜け出して,本当に縛らないでやれる,人間は生きていけるんじゃないか。これは理論で話しているよりは,実際に社会のモデルを創るほうが早いしわかりやすいと思うんです。鈴鹿のコミュニティも一つの試みですから,これが絶対に正しいということでは全然ないんですが,やらなければいけないことがなくても,人というのはこういう風に十分運営できる,会社だって,やらなければいけないが一切なくても,こうやって,一人一人の意思で運営できるんだってことがね,実際に証明出来たらこれは面白いな,そっちのほうがずっと楽だなってね,思うんです。実際にあって、それを見たら、そう思われる方がだんだん増えてくるんじゃないかなと思うんですよね。


三木
そういう意味で言うと,こういう話しよりも,百聞は一見にしかずで,アズワンに行って,人と人とが,縛るフィクションから自由になって作る人間関係の,ふわっと心にしみる安心感っていうか,ほっとした感じっていうか,そういうのを味わうとああいいなって言う風に感じでもらえるんじゃないかな。実際にできてきているっていうのが。


小野
人間は,縛られたりするのは不快だと思うんですよね。それがない。今だったら縛られているものから外れるとか,やらなければいけないことをやらないと,責められるとか,怒らるとか,罰せられるとか,そういう恐怖がすごく人の心理に影響していると思うんです。いつも人の目を気にしなきゃいけないとか,報酬をもらう場合も,いい評価を得るようにとかね。絶えず人からの評価とか,人から罰せられないようにとか,人からいい評価をもらえるようにとか,絶えずアンテナ張らなきゃいけないというのはすごくストレスな感じがしているんです。そういうのが一切ない環境。本当に,やってもいいし,やらなくてもいいし,だれも責めない環境。逆に,やりたくてやっているから,ほめる人もいないわけですけどね。笑。


三木
今,150-200人ってことで,そのくらいの規模であれば顔が見える関係で,大きなフィクションなしで,回していける規模なのかもしれないんですけど,アズワンも大きく広がっていこうという次のステップに進もうっていうことだと思うんですけども,その辺のところはどうですか。


小野
今言ってくれたみたいに,150人くらいだからこの試みは成り立つんだという意見もあるんですが,今の規模だったらそう見えるのかもしれないですけど,20年やってきてひな形ができてきているので,次の10年はもっと大きな規模でやれることを実験・実証していくことが大きなテーマだと思っています。また,それが鈴鹿以外の地域,世界に,どんどんできることで,コミュニティ同士が一つのつながりを持った、そういう社会と言えるような段階の実験に入っていく。そうやっていきたいし,それで本当に縛られない世界,一切,やらなければいけない,やってはいけないがない世界がこんなに簡単にできるんだ。そして、それは,人間として快適なんだという実証をしてみたいですね。もう少しわかりやすい形で実験して,見てもらえたらという願いはすごくあります。そういう空間が増えれば増えるほど,話だけじゃないんだなとか,やらなければいけないというのは人間の考えなんだと気づいていく人が増えてくると,そのへんを見直しやすくなっていくんじゃないかと,そういう希望もあります。


三木
そうですね。何もしなくてもいいというところから生まれる社会みたいな。


小野
そうです。そこです。何もしなくもいいんです。どの人も。


三木
してもいいけど,しなくてもいい,みたいな。


小野
そうそう。そういう,一切縛るものがない状態でこそ,何が本当はしたいのかが見えてきますよね。しなければいけない状態で、何したいと聞かれてもね。


三木
なかなか出てきませんよね。


小野
しなきゃいけないことやってから,したいこと考えるとかね(笑)。そういうことではなくて,いつでもしなければいけないことは一切ない。そういう中で,一人一人が本当は何を願っているのだろうという本心で生きていく。本心でやる行為というのは力強いというか,生き生きしているというか,心からの行為になってきますから,一人一人の持つエネルギーというか,すごいものが出てくる感じがしますね。


三木
そろそろ最後なんですけども,今みたいな話を普通に聞くと,何もしなくてもいいなんて,お前はそれでいいかもしれないけど,社会のほとんどはいま生きるか死ぬるかなんだみたいな感じが出てくる。また,現実と理想という,そこに戻ってくると思うんですけども、そこのブレイクスルーを起こすのが,理屈じゃなくて,こっちのほうがいいよねっていう,サイエンズメソッドで,自分の中でそういう風になっている自分を調べていくことで,本当に本来の自由を知っていくってことですかね。


小野
僕らも,「理想みたいなことを言って,今は現実問題解決しなかったらどうするんだ」ってことをよく言われるわけですけども,理想はそうだけど,現実はこうだろうということで,現実はやらなければいけないことがあるじゃないかとやる限り,やらなければいけない社会がどうしてもできてしまう。平和を求めて戦争するじゃないですけども,そういう,矛盾した状態がずっと続いていると思うんですよね。その矛盾を解決するっていうのが根本問題じゃないかということでやってきています。この試みで今すぐの問題がすぐに解決するわけではないですけども,一切矛盾のない,本当の自由,本当に自由な世界に立った社会ができてくるってことが,遠回りみたいだけど,本当の解決になるんじゃないかな。今の社会をよくしようとしている方々の努力も非常に大事だと僕も思っていますけども,それとは別なアプローチですね。本当に自由な社会というのができるということを僕らは違うアプローチでやらせてもらって,いつかこういうことが参考になっていくとか,矛盾を解決していく一つの大きなヒントになったらいいなと思っているんですけどもね。


三木
ちょうどいい時間になったと思います。今日もありがとうござました。


~その4につづく~
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アズワンネットワークニュースvol.55 4月号

春宵一刻 値千金。日増しに陽光が明るく輝き始めていますね、皆さんお元気ですか。
おぼろ月が菜の花の向こうから上り始める頃、春の香に誘われるように、満開の桜並木を親子でそぞろ歩きする姿が愉しげです。
今月のビデオは「コミュニティの子育て環境」(前編)と、Caiaさんの「アズワン鈴鹿コミュニティって、どんなところ?」の2本です。
アズワン・オンライン対談「自由な社会とは」のテキスト化の内容、そのほかGEN-Japanに招かれてヘレナ・ノーバーグ=ホッジさんたちと登壇した様子など紹介します。
こちらをご覧ください。⇒https://mailchi.mp/568685082403/news-vol55-hp

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4月のビデオ「子育て環境(前編)」~心と知性 真っ直ぐに~

アズワン鈴鹿コミュニティの新しいビデオが出来ました。
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↑動画は画像をクリックして見られます

前回からアズワンネットワークチャンネルで、アズワンスタイルの紹介をしています。

今回紹介するのは、鈴鹿コミュニティの子育ての様子
「子育て環境(前編)」~心と知性 真っ直ぐに~

「チェリッシュ・ストーリー① 始まりは7年前・・・」
鈴鹿コミュニティでは、2015年3人の子ども達で自主保育がスタートしました。一人ひとりを“大切に愛しみ育んでいきたい”という願いから、その場は『チェリッシュ(Cherish)』と名付けられました。
今は12人となった子ども達の場づくりに50人ものコミュニティメンバーが日夜関わっています。
ここまでのチェリッシュの歩みを、母でもありスタッフでもある純奈さん・さとみさんが、アカデミー生の春花ちゃんに語り始めました・・・
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