【誰もが幸せに生きられる社会  そんな世界にしていきたい】アズワンスタイル体験プログラムに参加してみて

アズワンスタイルの暮らしを体験する【アズワンスタイル体験プログラム】

昨年12月から参加した「はなさん」が、感想レポートを寄せてくれました。どんな体験になったのでしょうか。
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※写真右が「はなさん」

≪アズワン滞在記 みずのはな≫

12月の中旬から2か月ほど【アズワンスタイル体験プログラム】に参加して、アズワン鈴鹿コミュニティに滞在させてもらいました。

今までの暮らしでは、何でも自分でやるのがよい、自立して生きていくのがよい、と思って生きていたのですが、アズワンに出会って、人と関わり支え合いながらの暮らしに惹かれていきました。

以前は、人といることに抵抗や警戒を感じて疲れていました。

でも、体験プログラムの生活をする中で、人といる心地よさがあるんだなあと気づきをもらいました。

たくさんあたたかさを感じた2か月。
まずは体験プログラムをちょっとだけ紹介させてください。


【職場体験】
前半はSUZUKAFARMで、後半の数日はおふくろさん弁当で受け入れをしてもらいました。

作業としては、ファームでは野菜の袋詰め、お弁当屋さんでは野菜を切ったり、お惣菜をパックに詰めたりしました。
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ここではただ作業をしに行ったというよりも、怒られない、否定されない体験が私にとってとても大きかったように思います。

普段、何か人とやるとき、私の場合は、「こうかな」「ああかな」とひとりで考えて何とかしようとしていました。

例えば、最初に「ブロッコリーのこの部分を切って、こうやって袋に入れてね」と教えてもらいます。

その後は、分からないことが出てきて質問したくても、「分かってなくてダメって思われるんじゃないか」なんて先に想像してしまって、言えなくなってしまうことが日常でもよくありました。

でも、一度自分の考えを断ち切って、そこで普段作業している人たちがどんなふうに描いているのか聞いてみます。
すると、たいてい普通に教えてくれます。怒られたり否定されたりというのは、自分の考えだったことに気づきます。

こういったことを繰り返し体験して、人に合わせることがとても楽しく思えました。
その人の描きをわたしも一緒にやる。
人との境界線が溶けていくように感じました。

休み時間は食べ物をつまみながら、みんなで休憩します。
和気あいあいと、でも「どうしたらもっといい野菜ができるか」「もっとおいしいお弁当ができるか」と、真剣に楽しく話している様子が印象的です。
そんなふうにやっていける仲間がいるっていいな、と思いました。
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【アズワンスタイルミーティング】
毎日1時間ほど、他の実習生やネットワーク事務局のスタッフとのアズワンスタイルミーティングがありました。
ミーティングでは、その日職場に行ってどうだったかとか、暮らしていて思ったこと、感じたことなどを話し合います。

普段の生活だったら、小さくて見逃してしまうようなことも聴いてもらいました。

例えば、職場で言いたかったけど言えなかった、共用の冷蔵庫の使い方が気になった、どうして人の動きに警戒してしまうのだろう、本当はこうしてほしい、などなど。

自分でも恥ずかしいなと思うことでも聴いてもらううちに、「こんな自分でもいいんだ」と自分の状態を認められるようになってきました。

というのも、普段の話し合いだったら「こうした方がいいんじゃない?」「それはあなたが悪いんじゃない?」で終わってしまうことも多々ありました。

でも、どうしてこの人はそう言っているのだろう、と背景ごと聴いてもらっているような気がしました。

自分で全部見えなくても、人が見てくれている。
監視ではなく、見守ってもらっているという安心を感じられるようになっていきました。

「こうすべき」とルールが先にあるのではなく、「本当はどうしたい?」というところから物事を見ていくと、自然とやりたくなったり、大切にしたくなったりする体験をしたように思います。
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体験プログラムのほかにも、滞在中にガイアユースやいくつかのサイエンズスクールのコース、ネットワーク合宿にも参加しました。
全体を通して、生まれてから今まで、ずいぶんと人からギフトしてもらって生きているのだなあと感じました。

親や家族からは、たくさん愛情をもらって、たくさんしてもらって、嗜好や考え方などの影響も受けて育ってきました。

住むところも、スーパーやコンビニに並んでいる商品も、何も考えず歩いている道路も、すべて見知らぬ誰かがつくったり、運んだりしてくれたものです。
職場での体験を通じて、「食べる」ということを実感したような気がします。

みんなと一緒に海で朝日を見て、「きれいだね」と言いたくなるのはなんでかな。

7日間共にいただけなのに、別れ際さみしくなるのはなんでだろう。
誰かから「これしてほしいな」と聞いて、わたしの中の気持ちが動くのも、これまでたくさんたくさん愛情をもらってきたからだろうか。

自分の命も、地球上の生命も、大きな流れの中でできたもの。
生きること、を本当にていねいに観た機会だったように思います。
迷いなく、「誰もが幸せに生きられる社会にしたい」と言う人たちの姿。
そんな世界に、私も一緒にしていきたいと思いました。

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実習プログラムレポート@落合圭太さん

約1か月半の実習を終えた落合圭太さんが、旅先からレポートを送ってくれました。今はスキー場のロッジで働いているそう。どうぞお楽しみください。
ファーム
鈴鹿ファーム農場
あっという間に大みそかですね。
旅の記録として。年内に書けて良かった〜
アズワンネットワークのページでも別視点で書かせてもらったので、もし良かったら読んで下さい。
http://as-one.main.jp/sb/log/eid1583.html
長くなりましたが、皆さんよいお年を!
照ちゃんと本山さんと
本山家でワールドカップ見たりご飯を食べたり楽しみました

【不透明でも崩れない親しさ、コミュニティ】
先日までの約1ヶ月半、アズワン鈴鹿コミュニティに滞在していました。
主に実習プログラムという仕組みを利用しての滞在で、以下のような日常を過ごしました。
◉職場体験
 コミュニティが経営するファームやお弁当屋さんでのシゴト。週6日、6時間程度/日
◉ミーティング
 サポートスタッフや他の実習生にその日感じたことを伝えて話し合う(*)
◉他の実習生やコミュニティメンバーとの交流
◉食堂などのコミュニティスペース、暮らしの(実験)場の利用
*日々のミーティングで、感じていること等を実際に暮らしを共にしている人たちの中で気軽に出し合うこと、それを通して自分や人を深めていく「ミーティングのある暮らし」がアズワンの暮らしの1つの特徴。
本山さん広島焼
本山さん得意の広島焼も
血縁を越えた家族の暮らし
お金を融通し合えるあいだがら
それって実際どんな感じなんだろう?
どのように育んでいるのだろう?
圭太と文鳥
本山家の文鳥を頭に載せて
アズワンにはこれまで、1週間のセミナーと、鈴鹿から僕の地元に来てくれて開催されたお話会に参加させてもらいましたが、
その時に“外から”みた印象とはまた違う、ずっとdeepなアズワンの日常を感じることができた気がします。
・人を聴くということ(その定義と主体)
・人に関わるということ
・「自分の生計を立てる」「家計を支える」という意識のない暮らし
・所有感覚
・はたらくということ。シゴト、職場。
・礼儀、マナー(挨拶、敬語)
・感謝(ありがとう)とは
アズワンの暮らしを体験する中で、そもそものベース感覚の違いや、それってどうなの?という疑問などたくさんのことを感じましたが、
振り返ってみて今自分の中に一番残っているのは、
『本当の親しさ』とは何か。
その現れとしての、『不透明なつながり』、『委ねられること』。
作業風景
本山さんとリフォーム作業もしました
アズワンで暮らし始めた当初は、
人とのやり取りやコミュニティの運営方法など、どこか掴みどころがないというか、質問をしてもはっきりしたものが自分の中に得られず、モヤモヤすることがよくありました。
でも不思議なもので、しばらく過ごしてからはそれがあまり気にならなくなりました。
「そのスタイルに慣れてしまった」という部分もあるかもしれないけど、
よくわからずにモヤモヤしていた引っ掛かりが、反応としてすぐに自覚するレベルでは感じられなくなっていました。
ファーム看板
アズワンのオンラインイベントで、こんな質問があったそうです。
「コミュニティを運営する上で、組織内の“透明性”を1番大切にしていると思いますが・・・?」
その質問を受けたアズワンコミュニティの人は、「透明じゃないと成り立たないなんて、全然親しい間柄じゃないじゃん」と思ったそうです笑
まずその質問を聞いて、まさに自分もそうだなと思いました。
自分の中にも、「人との関係や組織は透明であるほど良いし、上手くいく」という概念が、疑いようのない既成事実かのごとくあるのを強く感じたからです。
「不安を感じる人、知りたい人もいるはずだから、情報はきちんと公開すべき」
「事前に提案して話し合いながら決めるもの」
「それが、みんなで作っていくってこと」
みたいな。
同時に、そのコミュニティの人が言った質問への感想にもとても共感を覚えました。
「親しかったら、そんなに気にならないかもなぁ」
.
もっと知りたい、はっきりさせたいと思っている自分は今も感じるけど、
「とりあえず、まぁいいか」と、そこに囚われず、モヤモヤした気持ちから離れていった自分。
そんな自分を感じて見えたことは、
「アズワンの人たちとのあいだに親しさを感じるようになって、心が満たされていた」ということ。
そんな幸福感の中では、自分が強く知りたいと思っていたことが比較的取るに足らないものへと小さく萎んでいった。そんな自分がいたのではないかと感じます。
人参
『不透明でも崩れない、という親しさ』
「本音で何でも言い合える」ことはもちろん、「お互いの気持ちに応え合える」こと、「透明である」ことも、親しさに通じるものがあると今の僕は思っています。
でも、
「知ら(されてい)なくても、そこに執着せず安心していられる」こと、
「はっきりしない、不透明なことがあっても、人間関係が崩れない、揺るがない」ことは、
たしかに親しくなければ成り立たないことだと感じました。
アズワンというコミュニティの運営や人に接した中で感じた、何とも掴みどころのないモヤモヤ感から、
自分の中にあった親しさというもののベース感覚に気づくとともに、
本当の(本来の)親しさとは何か、
これから帰っていきたい世界を垣間見ることができた気がします。
.
その人に、その場に、目の前で起きたことに『委ねられる』ということ
興味関心のあること、色々なことを知りたい、はっきりさせたい自分は今もいるけど、
それは今このタイミングじゃないのかもしれない。
ひょっとしたら、僕じゃなくてもいいのかもしれない。
今ここに僕がいて、受けていることの意味を思いました。
少し話は変わりますが、こんな問いをミーティングでもらいました。
「今この実習で、この環境で、今の圭太くんに適った過ごし方ってどんなだろうね」
ここ1年くらいで、委ねるということが少し腑に落ちてきた気がしていたけど、
それでも最終的には自分が「決め込みにいく」というような選択意識が比較的強かった気がします。
主体性もあるけど、自分一人の意志で決めるとか、決まるとか、そんなちっぽけなことじゃない。
自分一人では、そこには行けない。
周りに“安心”できる人がいて、一緒に考え、つくり、導いてくれるもの。
その中で、自動的に決まっていく。勝手にそうなっていく。
「委ねる」から、『委ねられる』へ。
この問いをもらって過ごしたことでも、委ねられるという感覚、親しさがまた少し深まった気がしています。
人参2
実習という非日常ではなく、日常として暮らすことができた日々。
まだ自分には想像できないものが拡がっているだろう世界。
単純にまた会いたいなぁ、また帰ってきたいなぁと思う人たちがいる場所。
これからもひょっこり行きますので、どうぞよろしくお願いします!
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【アズワンスタイル実習プログラムに参加して】 落合圭太さん

アズワンセミナーに参加して、その後アズワンスタイル実習プログラムで約一か月、鈴鹿コミュニティに滞在しながら、その暮らしを体験した「落合圭太さん」。

どんな体験だったのでしょうか。 一か月を終えて今、感じたことをレポートしてくれました。
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※写真左が「落合圭太さん」。 各地のコミュニティで暮らしながら体験している

11月19日~12月22日までの約1ヶ月間、実習プログラムを利用してアズワンの暮らしを体験した。

実習では、主に職場体験としてコミュニティが経営するファームやお弁当屋さんで1日に6時間程度はたらき、夕方に1時間程度、ミーティングとしてサポートスタッフにその日感じたことを伝えて話し合う、そんな日々を過ごした。また、実習生が暮らすアパートやコミュニティの人たちが集うダイニングで人と交流するとともに、これらの暮らしの場を体験した。

アズワンで暮らし感じたことはたくさんあったが、特に印象に残ったことについてまとめた。

【“挨拶”を通して感じた、“人とのつながり”とその“ベース”の違い、世界観】

実習生として暮らし始めてまず僕が感じたこと、それは「ここではみんな、“挨拶”というものをしないのだろうか?」という違和感。
例えば、初対面(に限らず)の人と食堂で会った時、職場に着いた時、家の廊下ですれ違った時。僕の方からこんにちはーとか、会釈したりしても、「・・・」と反応がなかったり。また、はじめましてとか、名前を名乗ってから相手に尋ねた時にも、返してはくれるけど、「なんでわざわざそんなこと?」というようなニュアンスで苦笑いされるような印象を相手に感じたりすることが多々あった。

コミュニティで暮らす人たち同士の普段の様子を観察してみても、みんな挨拶のようなことはほとんどし合っていないように見えた。
「もし僕の方から挨拶や名乗ったりしなかったら、きっとこれらのやり取りは交わされないに違いない」と思い、僕から挨拶をしないで過ごしてみる実験をしてみたりもした(結果、ほとんどないなと感じた笑)。

また、「“敬語”や“ありがとう”が使われていない」という印象の違和感も感じた。
例えば、職場で祖父母と孫ほどの年齢差はあるであろう人たちの会話を聴いていても、孫世代の人が普通にタメ口で話している。また、僕にはその人が何かを“やってもらった”ように見えた場面においても、“ありがとう”という言葉が発せられるのを耳にすることがほとんどなかった。実際に僕が触れ合った中でも、同様の印象だった。

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※圭太さんの地元「藤沢市」では、アズワンの探究体験会も開催している

もちろん、これらの例は全て僕が捉えた認識上のことであり、数多くあったやり取りのうちのごく一部ではあるけど、僕にとっては印象的な出来事であり違和感だった。

「(特に初対面では)挨拶はするもの」
「挨拶がないと、名前を最初に名乗り合わないと、良い関係性は築けない」
「お互いに嫌な気持ちになる(に決まっている)」
「まずは敬語から入らないと失礼」
「親しき中にも礼儀あり」

礼儀、マナー、義務、謙虚、謙遜・・・

長年染み付いた固定概念・反応として、これらが今も出てくる自分はいるけど、ここで僕が感じた、挨拶や敬語、ありがとうを言う・言わないの“現れ”の違いは何なのか?どこから来ているのか?ここで暮らす人たちの内側はどんな感じなのだろう?

自分で想像したり、人に聴いてみたりしながら過ごす中で見えてきたのは、人とのつながりにおける「前提、ベース」が違うのではないかということだった。
僕の中に感じたのは、人とのつながりや関係性というものが、挨拶や敬語、ありがとう等のある種形式的なものによって容易に左右されうる、「とても危うくて表面的」なものだったということ。人に対しての基本的な見方の中に、警戒や疑い、不安的な要素があって、そこから関係性がスタートしていくから、挨拶等にも意識が向くし、それが人とつながっていく・関係性を作るための大事なツールだったりする。いつの頃からか、そんな感覚が染みついて習慣化し、人との間を生きてきた自分を感じた。

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※2022年7月に【アズワンセミナー】に参加

一方、アズワンの人たちからは、人とのつながりや関係性というものが少しのことでは左右されない「揺るぎなさ」を感じた。人へ警戒や疑い、不安というものが薄く、自分の中にあった、人に気を遣うとか、遠慮をするといった感覚もあまり感じられなかった。
挨拶等が全く交わされていないという訳ではない。でも、それをする・しないで人とのつながりや関係性が本質的に変わるものでもないから、わざわざ当たり前にするものでもないし、そもそもそこに“意識”がない。そんな感覚が、ここで暮らす人たちのベース、“当たり前”になっている。人への警戒や遠慮等の「ベース感覚の違い」が、挨拶等の “現れ”の違いになっているのではないかと思うようになった。

現代社会で挨拶や敬語、ありがとうを言うのかどうかや、その良し悪しは別として、

もし自分の中に、人という存在に対しての心からの安心感があったら。
人とのあいだに、本当の家族のような間柄があったら。
それが当たり前の世界だったら。

人に気を遣う、遠慮をするという“概念そのもの”がなくなり、
挨拶をしてもしなくても、どちらでもいいし、
わざわざ敬語を使わなくてもいいし、
あらためてありがとうと思わなかったり、言わなかったり、
本音で何でも言い合える、認め合える。

「本来の人間」の姿って、そういうものなのかもしれない。

ここでの暮らしを重ねていく中で、当初抱いていた違和感がどんどん薄れ、人との間に自らがつくっていた形式的な壁、囚われが小さくなっていくのを感じたのとともに、As One(元々一つ)の世界観を垣間見たような、そんな印象的な体験の一つだった。
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スイスからの実習に来ていた、アレックスとアンティエが出発

9月にスイスから来日し、3か月ほどアズワン鈴鹿コミュニティで【アズワンスタイル実習プログラム】に参加していたアレックスとアンティエが、母国に向けて出発していきました。

3ヶ月の滞在中は、アズワンセミナーやサイエンズスクールのコースに参加したり、コミュニティで暮らす人たちと生活を共にしたりと、仲の良い大きな家族のような生き方を体験しました。

3ヶ月の滞在を終えて、二人はどんなことを感じているのでしょうか?

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アレックス

私は、どこでも居心地がよくて、どこでも人と居心地のいい心で仕事ができる、そんな人間になりたいです。

今朝はたくさんの人が来て、私たちに別れを告げてくれました。雅子さんや直絵さんも来てくれて、とても嬉しかったです。この美しい二人の女性に会えて、とても楽しかったです。そして、彼女たちが人生を楽しんでいる様子を見て、私の心は大きく開かれました。


自分の中では、すべての人たちをAsOneのセミナーに呼びたい、という気持ちがあるんです。

もっとAsOneの講座に参加して、自分を知りたいです。もっと長い期間、鈴鹿に帰ってきたい。3ヶ月では短すぎる。そして、講座に参加できるくらい、日本語を理解し、話せるようになりたいです。

3ヶ月で変わったと思う。

アンティエ

3ヶ月を振り返ると、いろいろなイメージや思いが浮かんできます。

そして、今、私の中でどうなっているのか?

静かです。本当に去るのではなく、別の場所で続いているのです。スイスの人たちと再会するのが楽しみです。

スタート地点が今までと違うのです。

自分から相手への境界線を作らないと、どうなると思いますか?願いや要望を聞いて叶えたいと思ったら?お互いに本音で話せるかどうか?

このような家族関係に興味があります。それぞれとどんな関係なのか?

アレックスとなら、何でも話せる。そこからさらに一歩一歩進んでいくことができるのです。

ここでは、その雰囲気を感じることができました。

すでにそこにいる人が先に行くと、自由に動きやすくなるし、探究もしやすくなる。

この環境で、ヨーロッパから来た人たちがもっと自分を知ってほしいですね。

*記事はサイエンズスクール会員ブログより抜粋しました。
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【海外から続々と】 学びの場としてのアズワン鈴鹿コミュニティ

9月に入り、海外から鈴鹿コミュニティに学びに来る仲間が続いています。

↓スイスから来た、アレックスとアンティエ(写真左手前)↓
アレックス&アンティエ食事会

韓国から、セリさん、グムさん&ドンハさんと息子のサムギョルくん、ジョンアと二人の子どもたちヨジョンとヨミン(写真左から順に)↓
韓国ファミリー

アレックスとアンティエ、セリさんはアズワンスタイル実習プログラム生で

グムさんとドンハさん、ジョンアさんはサイエンズアカデミー生として学びたいと来日しています。

子どもたちは、日中は自主保育のチェリッシュで、コミュニティの子どもたちと一緒に、じいじやばあば、お兄さんやお姉さんに見守れながら、暮らし始めました。
よみん&なつき

サムギョルたち

今回は、スイスから来ている二人に、どんな思いで鈴鹿に来て、どんな時間を過ごしているのか、レポートしてもらいました。


アレックス

AsOneセミナーに参加して、世界が広がり、自分自身が満たされた気持ちになりました。

今年6月、鈴鹿に10日間滞在しただけで鈴鹿からスイスに旅立ったとき、故郷を離れるような気持ちになりました。そして、また来たい、もっと長い期間来たいと思ったのです。

8月には、スイスで開催された「社会を知るためのコース」に参加しました。それ以来、誰も何もしなくていい、誰もが自由に行動し、同時に調和がとれた社会を作るにはどうしたらいいのだろうと考えています。人々がお互いに楽しく充実した人生を送れるような社会。それができる人間になるために、私はここで学びたいのです。

食べ物、気候、言葉、睡眠、共同生活など、私にとってここは新鮮で興味深い場所です。一緒に食事をしたり、日本語を学んだり、手伝いをしたり、リビングルームに一緒に座ったり、もちろん何でも言えるし何でも聞けるミーティングも、ここにいる他の人たちと一緒にやるのが楽しいです。

私は、いつでも、どこでも、探究し、観察するようにしています。どこが上手くいって、どこが上手くいかないのか、興味深いです。そして、なぜそうならないのか?それをミーティングの中で一緒に見ていくこと。何もため込まず、自分の中にあるものを全部言って、一緒に見ていきたい。

そうやって、どんどん現実に近づいて、現実を知ることができたらいいなと思います。自分の内面はまだ落ち着いていないけれど、気分はいいし、どんどん居心地がよくなっていく。

私はよく、調和のとれた社会、未来の社会について考えます。そして、それをどのように実現するのか?毎日、アカデミーの学生たちを見ていると、自分もアカデミーの学生になれないかと思うことがあります。

3ヵ月後にスイスへの帰国便がありますが、本当はここに残って、日本語をしっかり勉強して、ここにいる人たちと一緒に研究して、みんなの楽園を実現したいという思いがあります。なぜなら、一緒にやれば可能だと思えるからです。


アンティエ&みずき
↑栗の皮むきのお手伝い、実習プログラム参加中のみずきちゃんと↑

アンティエ

鈴鹿に来て3週間ほど経ち、実習プログラムに参加しています。
スイスでは、エコビレッジにずっと住んでいます。人生とは何かを知り、誰もが幸せに暮らせる社会に加わりたいです。

3年前に小野さんがスイスに来られ、アズワンのコースに参加するようになりました。またゼロから見るのはとても楽しかったです。とてもやさしく感じて、もっとこうして探究していきたいと思いました。

いつか鈴鹿に行って、そこで人々がどのように共に暮らしているのかを見てみたいという思いが強くなっていきました。AsOneのスタイルは、どのようなものでしょうか。アレックスと一緒に来て、二人で、このプログラムに参加することになったことに驚きました。どちらかというと、外から見たいと思っていたのだと思います。

今は、自分を知りたいという気持ちの真っ最中です。何も知らない、分からないままでは楽しめないということに気づきました。理解しなければ......という考えだと、難しくなります。それなら、何でも知ろうと、物事に親しんでみようと。それが毎日できることにすぐ気がついたんです。

で、今は?今はどうかな?どれだけ知っているか、理解しているかは関係ない。今、自分は見ているか、尋ねているか、聴いているか。いろいろな人と関係を築くことは、とてもエキサイティングなことです。

それができない、何も分からないなど、頭の中で考えや思いを固めた途端、自分からのつながりの中で何かが揺らぐ。切り離された感じがする。私はここで、日常のあらゆることに目を向ける機会を得ました。

なぜ、このことをしたいのか。何かを達成した喜びの背景には何があるのか。自分のイメージはあるけれど、実際はどうなんだろう?ミーティングで見たり調べたり、何度も試したりするのが楽しみです。


海外から、日本のアズワンコミュニティで学んでみたいという問い合わせが増えています。今後ますます、諸外国の人たちの来訪や滞在が増えていきそうで楽しみです。
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自分を縛る考えに気づく面白さ! アズワンスタイル実習プログラムに参加してみて

アズワン鈴鹿コミュニティで、アズワンスタイルの暮らしを体験する【アズワンスタイル体験・実習プログラム】

そのプログラムに初めて参加した戸塚爽太さん(24)どんな体験をしたのか、感想レポートから紹介します。
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【実習プログラムに参加して】

自分を知るために、参加した。
色んな自分がでてきた。仕事がある。忙しい。緊張する。こんなこといって良いのかな。不安だ。安心する。楽しい。話がしたい。寒い。懐かしい。嬉しい。はなしていいのかな。人とあっていたい。寂しい。ミーティングが楽しすぎる。行きたくない。何したらいいか分からない。朝早い。この時間に行かなきゃ。ひまだ。話すと安心する。ミーティング凄い。どう思われるんだろう。話すの楽しい。

やっぱり思い出すのは反応が強くなったところ。
ネガティブに聞こえるかもしれないけど、
全体的な感想は、とても安心する。ということ。
出てくる悪感情や、対立感情、自分を縛る考えを、そうなのね!そう捉えるんだね!面白いね〜!何が起こってるのかね!
と、受けとめてくれる安心感。
聞いてくれる安心感。笑ってくれる安心感。かな。一緒に見ていける、考えていける安心感。


環境が変わっても。。
今までの仕事観、人間観、社会観を存分に引きずってるなと思った。
そして、ねばならない。どう思われるか気になる。こんな自分でいいのか。という不安がいっぱい出てくるんだな。と思った。

でも、ミーティングを重ねるごとに、みんなと話すごとに、あれ?何とも思われてないぞ?あれ?そんなこと思ってるの俺だけ?あれ?なんか違うっぽいぞ?俺がそう捉えてるだけか?暗い妄想してるだけか?実際はもっと明るいのか?と思うようになったかな。

まだまだ出せないな〜。こんな自分は受け入れられないな。やっぱりやらなきゃ行けないことはあるな。と思ってしまう自分が出てきたりするけど。きっとこれも少しずつ薄れて、無くなって行くんだろうな。
もっと人と会うのが楽しくなって、話すのが好きになって、軽くなって行くんだろうな。
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ここでならそうなれる気がするな。はやく、そうなりたいな。

明日の自分が楽しみになる。未来の自分が楽しみになる。そんな感覚が今はあるかな。
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アズワンスタイル体験プログラムに参加してみて@松尾嘉友さん

3月のサイエンズスクール「自分を知るためのコース」に参加した、佐賀県の松尾嘉友さんが、コース終了後に「アズワンスタイル体験プログラム」に参加しました。

地元佐賀では、代々続く割烹料理店を経営されている松尾さん。自分のお店も、おふくろさん弁当のように、上下で人を動かしたり、義務や規則で縛り合わなくても運営できるようになりたいという願いがあり、今回の体験プログラムでは「おふくろさん弁当」の現場を体験しました。
(写真中央が松尾さん)

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【以下松尾さんの体験記です】
おふくろさん弁当を体験して

自分が理想とする、笑い合って楽しく無理のない「傍(はた)を楽(らく)する」はたらく(傍楽)職場作りに、ずいぶん前に北九州の吉岡さんからおふくろさん弁当があるよとお聞きした。

コロナ禍で時間が取れるようになり、思い切って「自分を知るためのコース」に参加、事務局の力也さんにお世話してもらい次の日におふくろさん弁当での体験をさせてもらいました。

主に盛り付けをし、ベルトコンベアーからパックが流れて、周りを見て皆さんが集中して盛り付けをされてました。目の前のことをされてるのですが、一人一人が全体的に見渡すような余裕がのある作業をし、ちょっとしたミスは、気遣いながら微笑ましい様子が感じられました。

また弁当箱の数量ミスが生じ、関わる方々がどうしようかなと相談し合う様子は自分の理想の雰囲気を垣間見た感じがします。

その後、仕込みで切り込みの作業もお手伝いして、コースで一緒だった省吾さんに作業の流れなどお聞きし、楽しみながらすることができました。

全体的な作業等を体験や見させて頂き、自分の見える世界がどう反応し、認識したのか、スッーと抵抗なく入ってくる感覚を、実際はどうかとこれから自分の職場で活かしてと思います。
おふくろさん弁当の方々、事務局の方々、ありがとうございました。
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【3泊4日の異文化体験】奥田智子さん体験プログラムレポート(2月23日~26日)

初めて体験プログラム(3泊4日)に参加した奥田智子さんの感想レポートです。
アズワンセミナー、自分を知るためのコース、そして今回の体験プログラムの前に「自分を見るためのコース」に参加していました。
鈴鹿コミュニティでの暮らしを体験してみて、どんなことを感じたのでしょうか。
奥田智子さん体験プログラム

【自分を見るコースを終え、翌日から体験プログラムへ。3泊4日の異文化体験】


初日は生活スタッフの方と。見るコースを出たばっかりだったので、いつも家事としてやっている「食器拭き・洗濯物を干す」の動きや思考を丁寧にみてみた。
いつもは時間に追い立てられながらやる作業。
やることとして、やっている
作業前(干す前)と作業後(干した後)
としかみてなかったけれど、細かく見ていけば、前と後の中に、動作も思考もかなりある。こんなにもあるのに「ない」と思ってる。もしくは、あることすら気付いてない。なんてことー!?
そして、気づくと何故かお茶してた。
あれ?仕事、、、?仕事って、、、?
 仕事をしているわけではない
 やることをやってるわけではない
と聞いたかな。
じゃあ、何をやっているのかな?
私の日常はやる事でいっぱいで。やる事で終わってる感じがするな。


翌日からはファーム。ブロッコリーや春菊を愛でながら袋詰め。詰めていたら、ちょっとした違和感を捉える。
「おかしいな。今まで愛でながら作業していたはずなのに、いつの間にか愛でられなくなってるな」
いつもならきっと感じない。そんなことにも気付く。そのちょっとした違和感の元を探っていくと「褒めて〜。凄いでしょ私〜」みたいなのがわらわらわらわら出てくる出てくる。それに気付くと、なんかわかんないけど、笑っちゃう。今思えば、そこで立ち止まって、その場でみんなに出せばよかったなぁ。スッと出せない自分にも気付く。

宿泊していたアズワンハウスは今回で2回目。
突如始まる探究会。ふと話した事や、反応したことに対して、それはどんな感じなんかな?と尋ねてくれる。そしてまた、一緒にみてくれる。ひとりじゃないんやなという安心感。そして、それが日常。
初日はなんだかソワソワしてて、落ち着かなくて、緊張してて。でも、ダイニングでご飯を食べた時、
あれとってー、これとってー
あれしてほしいなー、これしてほしいなー
言葉が飛び交うのを聞いて、
「あー、ここはひとつのおうちやったんやった。職場も、ここも、寝る場所も、全部含めて<おうち>なんだよな」
なんて思ったら、なんだか落ち着いて、ホッとする。それ以来「ずっと住んでましたけど、何か?」みたいな気分で過ごせたな。


毎日ミーティングのある生活。その日あったことや、そこから思いつく事、あれやこれやと話し出す。あんなに「どうですか?」と聞かれることが苦痛やったのに、話が止まらない。泣いて、笑って、笑われて、とりあえず全部だしちゃう。
 
聞いてくれる、見ててくれる、その安心感。

自分を見る濃さ
自分をみててくれている濃さ、
人と人の間の濃さ、


濃ゆすぎて輪郭が見えない。
というか、ない?
ひとりひとりなんだけれど、みんなでひとつ。
 as one
まさしくそう。

私できてへんやん!と最終日にどでかい塊が出て泣いてしまったけど、この「ひとつ」をなんとな〜く感じることができただけでも、体験プログラムをしてほんまによかった。今度はガッツリ1ヶ月くらいで来たいな。プログラム中はほんとにゆったりと時間が流れていて、そして「やりたくない事」を無理矢理することがなかった気がする。

終えて、自分の中が何かで満ちている。

満たされて。満ちすぎて。自分から泉のように溢れだしたものが、
また、誰かを満たしていく。
そういうの、いいな。そういうふうになっていきたいな。

そして「異文化」ではなく、これを日常に。
互いに満たして満たされて、満ち溢れる。
そういう世界になってほしい。


そう思うと、胸がキュッとなる。

私の願い。
そして、きっと、みんなの願い。
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