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2021年最初のアズワンセミナーを開催

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2021年最初のアズワンセミナーが開催されました
1月5日(火)から11日(月)までの一週間、今年最初のアズワンセミナーが開催されました。マスクの常時着用や、食事のときのパーテーションなど、コロナ感染予防のための対策を徹底しながらの6泊7日でした。
セミナーの一週間を終えて、それぞれの参加者の中で、大きな気付きと変容があったのを感じます。自分自身や社会について、これまで頑なに思い込んでいたものがほどけて、本来の楽に生きることのできる自分に立ち還るきっかけとなったようです。

ひとりの方の感想文を紹介します。

もう、今までに既に色々な領域を探究してきたという思いがあり、パンフレットやホームページを見ても、ふんわりとした理想論に感じ、参加しても何を持って帰れるだろう・・・??と、大きな期待はせずに、どちらかといえば軽い興味で参加したアズワンセミナーでした。

ところが、1週間、参加者やスタッフの皆さんと生活を共にしながら、「人間の考え」「実際・事実はどうか」について調べ、「本来・本質はどうか」を見ていき、「理想」を本気で生活しているアズワンの方たちの話を聞いて、本を輪読し、それってどういうことだろう・・・と一緒に考え、自分は今まで想像したこともなかったけれど、(あるいは、子供の時には感じていたけど、今は忘れてしまっているけれど)想像してみたら、どんな理想を実現できたらいいと感じているのだろう・・・と考えるにつれて、思ってもみなかった世界が脳内に広がりました。
そして、一人一人の認知は違うけれども、それをミーティングという形で分かち合いながら、地上で(しかも、日本の、私の住んでいるところから近い三重県で)探究を実際の生活のレベルで実験的に形にしていっている大勢の人がいることをすごいと感じ、新しい可能性を感じています。

これらは、考えることで探究してきた部分もありますが、同時に「感じる」ことでもありました。
1週間を共にした仲間を家族のように感じます。
「やさしい社会」の中で何度も「家族のように」という言葉が出てきて、ネガティブな反応を示す私でした。
「家族」の中で、色々な辛いこともあり、また私以外にも、家族の中で辛い経験をしたストーリーを聞いてきたからです。
でもそれを、炬燵を囲みながら机上に出し、「じゃあ、どんな言い方がいいんだろう?」「自分の体の一部みたいな感じかな?」「右手と左手みたいな感じかな?」と検討するにつれ、気持ちがほぐれ、今は、自分の原家族の中で、「やさしい社会」に出てきた「家族のように」すごした時もあったな、と思い出しています。
「自分の考え」「人間の考え」はその時は強い思いに感じられたとしても、一面的なのですね。
ミーティングの中で検討し、それが見えてくる、そして固定的だった「考え」から距離が生まれるプロセスが面白いです。

セミナーで探究してきたことはすべて、そのほかの探求にもつながり、興味深く、面白いですが、「一面的」と言えば、「社会とは」について検討したことも目が覚めるような経験でした。
「社会とは」合わせないといけないもの、うまく合わせられない私は「はぐれ者」、「頑張って、『社会の一員』にならなければいけない」ように感じていた私でしたが、「社会の一員」という言葉をポジティブな意味で使っている人の話を聞き、私は「社会」と名付けていなかった社会基盤(水道、ガス、電気、交通網、病気になったら治療してもらえるシステム・・・)にどれだけ支えられて自分の人生があるのかに思いを馳せると、「自分」が頑張って社会の一員にならないといけないと思っていることがおかしな話のように思えました。
社会は本来何のためにある?」というお題に対して、「僕のため」という言葉も出ました。私は「私のため」に社会が存在していると思ったことがありませんでしたが、社会とは本来何のためにあるのかを検討すると、その本質には「分かち合い」「与え合い」があると気づき、「私のため」の社会であると考えることに矛盾はないように思えました。
そう感じることは、社会と自分の分離をいつも感じている私の癒しになりました。
(中略)
社会で受けた傷は社会の中で癒す、という言葉が印象的でした。内側に抱えている痛みや、トラウマ、思い込み、思い癖・・・等、今後の人生のためには、自分で解決したり、癒したりしないといけない、と思っている節があり、修行が進む、進んでいない、などの考えがありました。
けれども、そもそも、自分で選んで痛みを抱えたくて痛んだり、思い込みたくて思い込んだりしているのではなく、いつの間にか、気づいたら持っているもの、言い換えれば環境から、社会から取り入れたもの・・・と思うと、またそれを、社会、環境から愛されたり、慈しまれたり、見てもらったり、聞いてもらったりすることで、自然といつの間にか癒されていく・・・ことも自然に思えました。
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