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【次の社会創造】 連載第二回  争いのない、気持のままにやさしく生きられる社会へ

次の社会創造 連載第二回
【争いのない、気持のままにやさしく生きられる社会へ】
サイエンズ研究所  小野雅司
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連載第一回はこちらから
第1章

3.アズワンネットワーク鈴鹿コミュニティってどんなところ?

アズワンネットワーク鈴鹿コミュニティのことを、初めて知ることになった人もいると思います。

簡単にコミュニティの概要をお伝えしたいと思います。
日本のどこにでもあるような街の中で、「アズワンネットワーク鈴鹿コミュニティ」という、かつてない新しい社会創りの試みは展開されています。三重県鈴鹿市は人口20万人ほどの、鈴鹿サーキットとホンダで知られる地方都市です。名古屋から電車でも車でも約1時間ほどの場所にあり、西は鈴鹿山脈、東は伊勢湾に挟まれ、農業も盛んな地域です。

争いのない、気持のままにやさしく生きられる社会が世界中に実現していくことを願って、2001年からその試みがスタートしました。その願いの実現に向けて、様々な体験をしながら、研究と実験を積み重ねてきました。
コミュニティと言っても、規約や制約がありませんし、義務や責任もありません。ですから、どこからどこまでがアズワン鈴鹿コミュニティであるという境界もありませんし、誰がコミュニティのメンバーかの規定もありません。コミュニティのセンター的な役割をしている鈴鹿カルチャーステーションの周囲1キロメートルくらいの範囲に点在して暮らしている人がほとんどです。暮らしの形だけを見ると、一見、一般の人と変わらない暮らし方に見えますが、内実は、家族以上に親しい間柄が形成され、一つの大きな親しい家族のような暮らしが実現しています。

街に溶け込みながら、様々なコミュニティビジネスや各種の市民活動が、それぞれ自発的に展開され、関連し合い、繋がり合い、一つのコミュニティを形成しています。
会社は、各自の持ち味が発揮され、人が満たされる場として営まれています。
コミュニティでは、親しい家族のように暮らせる仕組みが考案・実施されています。

どの人も自由意志で行動できる組織運営、お金や見返りの要らない経済機構が試みられています。
子どもが元々持つものがそのまま伸びていける子育ち環境づくりにも着手しています。

また、コミュニティづくりや新しい世界の生き方を学ぶための学びの場を提供し、日本はもとより、世界各地から多くの人が学びに来ていいます。

アズワンネットワーク鈴鹿コミュニティHPこちらから

アズワンネットワークYouTube チャンネルこちらから


4 争いのない気持のままにやさしく生きられる社会って?
~そんなの無理だってあきらめていませんか?

「争いのない、気持のままにやさしく生きられる社会」と聞いて、どのように思いますか?
「宗教みたい!」
「それは理想だけど、今までの歴史を見ても、戦争はいつもあったし、人間は争うものだよ」
「同じ関心の人が集まるコミュニティの中だって、夫婦の間だって、必ず意見が違ったら喧嘩したりするよ。対立は当然あるものだよ。」
「聖人君子ならともかく、凡人の自分には、怒るのは当たり前だし、争いがないなんてありえない。世界中がそうなるなんて、非現実的!」
「誰もが本心で生きたら、世の中めちゃくちゃになっちゃうんじゃない?」

こんな声があちこちから聞こえてきそうです。
しかし、この文章を読んでみようと思われる方は、きっと、「そんな社会が本当はいいよなー」「無理かもしれないけど、できればそんな社会になってほしいな」などと希望を抱いたり、「いや、きっとやれますよ」と賛同してくださったりしてくれるのではないかと期待しています(笑)。

人類は、物や技術の研究・開発には素晴らしい能力を発揮して、100年前には、いや僕が子どもだった頃にも、夢にも思わなかったようなことを次々と実現しています。

スマートフォンで地球の裏側の人とビデオチャットができたり、ミクロの世界まで解明できたり、宇宙に人が旅行することも可能になっています。
本当にスゴイ能力だと思います。
このような想像力と創造力を持つ人間が、なぜか人間自身のことや社会のこととなると、あまり進歩していないというか、ますます複雑で暮らしにくい状態を作り出してしまっているようにも見えます。
人や社会のことになると、夢は夢のままなのでしょうか?

人間や社会に対しても、人間の持つ想像力や創造力を発揮することができたら、「争いのない、気持のままにやさしく生きられる社会」も夢ではないと僕は思うのです。
なぜ、人間のその素晴らしい能力が、人間や社会に対して発揮されていないのでしょうか?

それは、人間や社会に対しての深い「思い込み」「キメつけ」や「あきらめ」があるからだと思うのです。(第1章第6項参照)だから、理想の人間とか、理想の社会に無関心になってしまっているのだと思います。
「人間の歴史を見れば、いつの時代にも戦争があったのだから、人間は争う動物なんだよ。だから争いはなくならないよ」。
今の混乱した社会の中で育つ中で、知らず知らずのうちに、こういった観方になっている場合が多々あるようです。

本当にそうなのでしょうか?人間はそんなものなのでしょうか?
数千年の戦争や対立の歴史から、「人は争うものだ」「本心で生きるなんて難しい」という、人や社会に対するあきらめた観方や、思い込みができてしまったのかもしれません。

仮に、今までの歴史がそういうものであったとしても、人間の素晴らしい能力を以てしたら、それも変えることができるかもしれません。
ゼロから見直してみたら、あきらめやキメつけや思い込みから解放されるのはそれほど難しくないと思います。
世界中の誰もが本心では「争いのない、気持のままにやさしく生きられる社会」を願っていると思うのです。
その願いを現実に実現する力を人間は持っていると思います。

例えば、争いについて言えば、その原因を探究し、それを取り除くことができれば、争いをなくすることができると思います。心の中の怒りもなくすことができると思いますし、人間関係のいざこざや、社会の戦争もなくすこともできると思います。

「幸せ」ということについても、「幸せ」とは何かを知らないまま、なんとなく「幸せ」になりたいと思ってやっていても、目的地を知らないで走っているようなものだと思います。「幸せ」とは何かを解明し、ハッキリ知ったら、「幸せ」は実現すると思います。(「幸せ」とは何かを解説し始めると、長くなるので、ここでは、簡単に「無理のない、自然界の理にかなって生きる姿、つまり、すべてと無理なく調和し、楽に快適に満たされて生きる姿」と表現しておきましょうか。)

こういう文章を読むと、「そんなの無理だ」、「難しいこと言うな」と思われるかもしれないですね(笑)。
そこが「あきらめ」思い込み」になっていないかな?と思うのです。
今までの常識や自分の観方を、一回ゼロから見直してみる。そこがとても大事な視点になると思っています。「無理だ」「できるわけがない」という考えを一度棚上げして、「もしかするとできるかもしれない」と見直してみるのです。

「空なんか飛べるわけない」という思い込んだ思考のままだったら、飛行機の発明はなかったと思います。「飛びたいな」「飛べるんじゃないかな?」、そういう現状の思い込みやあきらめから解放された先進的な人がいて、「飛べる!」という事実を世に示すことができたからこそ、世界中の人の観方が変化したのだと思います。今では、それは当たり前のことになり、世界中に飛行機が飛び、自由自在に旅行できる時代になっています。ライト兄弟が初めての飛行に成功して、100年ちょっとしか経っていません。

モデルができるというのは、そういう意味があると思っています。皆があきらめて「できないよ」、「無理だよ」と思っていたことが、実例を目の当たりにすると「できるんだ!」と可能性に胸躍るようになるでしょう。

これは単なる希望的な思いではないのです。僕は、20年を超すアズワンネットワーク鈴鹿コミュニティでの研究と実験を通して、人間の素晴らしい能力を使えば、自分達が本当に願う世界は実現できると実感しています。
宗教や特別な教えを学んだり、特殊な能力を使ったりするのではないのです。これだけの文明の進歩をもたらした人間の持つ知能・知性を使えば、それが可能だと思うのです。

つづく
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