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人生の転機② 吉田直美(アズワンNイーハトーブ)



20代の頃、ソロモン諸島の村人の暮らしに触れて人生の転機となった吉田直美さん。次の転機が、日本で経験する東日本大震災でした。そこで人間が人間らしく生きられる希望を見つけます。その可能性を求めて… 連載②をどうぞ!

人生の転機①>>>http://as-one.main.jp/sb/log/eid986.html



◆「何もしない一週間に思うこと」<2>
写真と文:吉田直美

3.11で現れた「分ち合いといたわり合い」
 青年海外協力隊員の活動が終わり,1997年に日本に帰ってきた。わが国では一般的に,時間,お金,規則,すべてをきっちりとすることが求められ,それができないと場合によっては責められる。そんな社会システムに,あっという間に戻り,慣れた。あの島のような生き方は,ここでは封印しなければやっていけない。あの村では原始の暮らしをしている。だから,時間にも,年齢にも,お金にも縛られない暮らしができるのだ。それに熱帯の自然の恵みがあり,食べるにも,住むにも困らない。日本とは生活環境,社会環境が大きく異なる。そういう「パラダイス」だからこそできる生き方だったのだと。この国では,彼らのように,人間らしく生きることは難しいと,ずっとあきらめていた。この国での暮らしが嫌になったら島に帰ればいいさ,という思いがせめてもの支えだった。


 それでも,あの島の人たちのように,身軽な生き方,人間らしい生き方をしたいという思いがずっと心底にあり,勤続20年を機に勤め先を辞め,次の生き方を模索していた。その矢先,2011年3月,東日本大震災が発生する。自分の身辺では大きな被害はなかったが,全体では未曾有の大惨事となった。岩手においても,内陸部では停電が2-3日続き,生活物資が一時的に不足し,燃料にいたっては一か月以上手に入りづらい状態が続いた。もちろん,津波が襲来した沿岸部は,これの比ではない被害があったことは言うに及ばない。

 そういった暮らしを脅かす事態にあって起こったことは,内陸部でも,沿岸部でも,「奪い合いや騒乱」ではなく,「分かち合いといたわり合い」であった。これは,人間の本質・本性ともいうべきものが,大震災という緊急事態において,はっきりと現れたのだと思った。このことは,自分にとって大きな期待となった。この地もまだまだ捨てたものではないと。それまで常に頭をもたげていた,「いざとなったら,あの島に帰ろう」,という気持ちをいったん棚上げして,「あの島のような生き心地の良さを,人間らしい生き方をこの地でも創ることができないか」という気持ちに転換した。

 しかし,この日本において,あの島の人たちのように,人間らしく,自然に生きていくにはどうしたらよいのか。既に何かモデルがあるのではないか。そう思い,色々と調べてみると,自分の感性に合ういくつかのモデルが見つかった。パーマカルチャー,トランジションタウン,エコビレッジなど。これは,と思うところには実際に足を運んでみた。

「日本でもできる」と感じて
 その一つが,アズワンネットワーク鈴鹿コミュニティである。ここでは,2001年頃から,「争いのない幸せな世界」,「誰もが本心で生きられる社会」を目指し,人が集まり,研究し,探究し,実践してきている。実際に行ってみると,あの島で感じたような居心地の良さ,いろんなことに縛られていないような社会機構づくり,安心してなんでも言えるムードが感じられた。そればかりか,既に「お金を介在しない経済」も試みられていて,コミュニティの人たちからは,「お金の心配」,というネガティブな思いは感じられなかった。むしろ,お金の管理から解放されて楽だという。これは,まるであの島のようではないか。ここでの滞在経験をもって,日本でもできる。。。そう確信めいたものを感じた。
 最初のころは,どうしたらこのようなコミュニティができるのか,どうしたら成り立つのか,といったように,方法や手法に視点がいき,模索していた。なにか,生き心地の良いコミュニティさえあれば,みんな幸せに暮らしていけるのではないかと考え,それにはコミュニティづくりのノウハウがあるのでは,と考えていたのだ。しかし,このコミュニティに触れるにつれ,それはあまり重要な視点ではなく,むしろ,そのベースにある人と人との関係が重要で,それが織りなすのがコミュニティであることがわかってきた。「まずはコミュニティという形ありき」,ではないのだ。そして,このコミュニティも最初から目的どおりにうまくいっていたわけではなく,人と人との関係という課題を乗り越えてきたとのこと。
 最近では,そのポイントは,本来の人とは何か,そこに立ち返り,人の本来・本質に適った生き方をする,ということではないかという思いに至っている。それが「人間らしく生きる」,「本心で生きる」ということであり,無理なく,自然に生きられることにつながっていくのではと思っている。「コミュニティで暮らすには,こうしなければならない」といった,ルールやモラルに沿うのではなく,ただ,人の本質に生きる。無理がないから苦しくなく,人間として,人らしく,自然に生きられる。あの島の人たちとの共通項も,ここにあると思う。



人としての理に適った生き方を目指して
 世の中は広い。もしかしたら,自分が知らないだけで,既に,あの島の人たちのような自然な生き方をしている人たち,コミュニティを形成している人たちが,アズワンネットワーク鈴鹿コミュニティのほかにも,どこかにいるかもしれない。もしもご存知の方があったら,ぜひご教示いただけたらうれしい。生き方のモデルも一つだけではなく,人によって選択できるように,多様であったらいいと思う。
 あの島の人や,鈴鹿に暮らす人たちのように,人間らしく生きているモデルを一度知ってしまうと,自分もそのように生きたいと願うようになる。今まさに自分はその状態である。これからの人生は,あの島や鈴鹿に暮らす人たちをモデルにして,人としての理に適った生き方,そういうものをこの地で目指していきたいと思っている。もちろん,人は一人では生きていけない。一緒に生きていく仲間も必要だ。自分自身のみならず,多くの人がこのような生き方に関心を持ち,志向していく。そうすることによって,わが国においても徐々に生き心地の良い社会が,暮らしが,広がっていくのではないか。いや,わが国のみならず,世界中にそんな生き方が広がっていかないだろうか。そんなことを夢想している。(つづく。。)

*アズワンネットワークについてはこちらをご参照。
http://as-one.main.jp/HP/index.html

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