自由になりたくて《1》~意識の囚われからの解放


「もっと自由に生きたい」「この世の中はなんて不自由なんだ」と思っているあなたへ!
ここに紹介する吉田直美さん(岩手県在住・1967年生)は、子どもの頃から「自由」を求めてきたと言います。
学校に拘束され、会社に縛られ、その反動で放浪癖になったとも。でも、その求めていた「自由」とは何だったのか? そして「自由」になるには?
これまでの人生を振り返り、今思うところをまとめています。4回連載でどうぞ!



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自由になりたくて《1》―意識の囚われからの解放―

子どもの頃から「自由」を求めていた。それは,「不自由」の裏返しだったかもしれない。

子どもの頃の不自由の代表格は,なんといっても学校だった。学校に行くのが嫌だった。楽しいことなど何もない。そんな空間に拘束されることほど不自由なことはないといつも思っていた。

高校生くらいになると,その不自由の反動か,日常的には服従して学校には行くが,心はいつも非日常のことを考えていて,長期休暇の間には,国内をあちこち放浪して,非日常を楽しんだ。学生が終わり,社会人になったら自由が訪れると思っていたが,服従先が学校から職場に変わっただけで,相変わらず非日常を求めてワールドワイドに放浪していた。非日常が自由になれる時間で,それを楽しみにして不自由な日常を我慢してやり過ごす。そんな日々を過ごしてきた。

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そもそも,学校や職場に「拘束されている」,という意識はどこからきているのだろうか。子どもは学校に行くもの,大人は職場で働くもの,という固定概念がいつの間にか形成されて,それが揺るぎのない真実のごとく意識に刷り込まれていたのかな,と今では思う。しかし,本当はどうなのか。元々人間は誰しもが自由なのではないか。学校に行かなければ,職場に行かなければ,としているのは自分の意識の中にあるだけで,本当は行くも行かないも自由なのでは。最近はそう思っている。

このような視点で日ごろの行動を振り返ってみると,「○○しなければ」という意識に囚われていることが多々ある。根深いのは,そういう風に意識に囚われていることすら意識に遡上しない,無意識状態で服従していることが結構あるということだ。例えば,12時だからご飯を食べる,というのもそれかもしれない。ご飯は,お腹がすいたら食べるというのが本来的であり,時間だから食べるというものではないだろう。

アインシュタインの遺した言葉で,「ある問題を引き起こしたのと同じマインドセットのままで、その問題を解決することはできない」というのがある。これを,このことに当てはめて考えると,自分が不自由としていたり,縛られていると感じるマインドセットのままで,その不自由を解消したり,縛りから解き放たれたいと考えて行動すると,結局,放浪するという一時しのぎの対処・対応にとどまり,根本的な解決にならない,,という風に言えるのではないか。そうすると,これまで放浪を繰り返してきたことが,なんとも徒労に感じる。不自由や縛り感から根源的に解放されたいならば,マインドセットを一回リセットしてみることが要りそうだ。そうしたら,無駄に放浪するクセも,自然と解消されていくだろう。意識の囚われからの解放。自由に,楽に生きていくための秘訣は,どうもここにありそうだ。

(2へ つづく)

自由になりたくて 1 ~意識の囚われからの解放
自由になりたくて 2 ~人らしく生きる,それを知る
自由になりたくて 3 ~人の心に焦点が当たっているか
自由になりたくて 4 ~自由になるのは難しくない
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