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【次の社会創造】 連載第8回  争いのない、気持のままにやさしく生きられる社会へ

次の社会創造 連載第8回
【争いのない、気持のままにやさしく生きられる社会へ】
サイエンズ研究所  小野雅司
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小野雅司

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連載第8回
第三章

2. お金の介在しない経済の試み ~すべてが生かされる自由自在な世界

アズワン鈴鹿コミュニティを訪れた多くの人が一番興味を示すのは「コミュニティスペースJOY」です。JOYというのは、暮らしに必要な食品・食材、日用品などが並んでいる場所です。

人々が何に驚くのかと言うと、ここは、お金の要らない場所だからです。ギブアンドテイクでもないのです。もちろん交換や報酬もない、つまり、一方的に贈り、一方的にもたらされる仕組みで運営される場所なのです。
鈴鹿ファームからは米や野菜や農産加工品、おふくろさん弁当からは弁当や惣菜が贈られます。街のはたけ公園から果物が、里山から椎茸や炭や木作酢が届けられます。

料理好きな人の手料理、手作りの菓子・味噌・漬物など、庭に実った柿や、山で採れたタケノコや山菜や栗、海で採れた貝や魚、交流のある各地の人達からの贈り物、そして海外の韓国、ブラジル、スイス等の親しい人達からのお土産が並びます。

買い物上手な人が購入してくれる食材や日用品も並んでいます。
購入品は、みながお金を出し合って共同購入というような形をとっていますが、内実は、これらの物が、お金を介さないで、自由に、欲しいものを欲しいだけ持ち帰れる仕組みなのです。家族の中の食料品や日常品の置き場所のようなところなので、単身の人は、調味料やパンなども、小分けにして持ち帰ることができるので、家で腐らせたり、ムダにすることがなくなります。

日常で暮らすのに必要な物はほとんど揃うので、地元のスーパーなどでの買い物に行くのは月に数度という人がほとんどです。
現在約100名の人達が使っています。(家族を入れると150人くらい)

2020年12月からは、JOYの隣のスペースに、ファミリーダイニング・ゼロがスタートしました。コミュニティの人達に昼ご飯と夕飯が用意されるようになりました。ファミリーダイニングで大家族で団らんしながら食べてもいいですし、そのおかずを持ち帰って、家で食べることもできます。

子育て中のお母さんは、「夕方まで仕事など自分のやりたいことをやって、ファミリーダイニングでおかずをもらって家に帰って食べられるから、メニューを考えたり、買い物したり、調理したり、片付けしたりをしなくてもよいから、すごく楽だし、子どもたちとゆったり過ごせる」と喜んでます。もちろん、家族に自分で作ってあげたい時と思う時は、思う存分やれます。
まとめて約100人分の食事の調理を、おふくろさん弁当の機材を使ってするので、1人で数時間でできてしまうのです。個々の家庭で、それぞれが食事を準備する手間と労力とエネルギーを考えると、どれだけ効率がいいか、エコな生活になるかも想像がつくでしょう。

JOYを見て、コミュニティを訪れる人から、「たくさん持っていく人はいないんですか?」という質問をよく受けます。コミュニティに住む人からしたら、「?」という質問です。いつでも好きなだけ持っていけるのですから、必要以上に持っていきたい気持は湧かないですから・・・。

所有も貨幣も個々の家計も交換も報酬も、すべて人間が作り出したフィクションです。地域通貨やネット上の仮想通貨なども、やはり、みな交換というフィクションの上に成り立っています。
元々の世界には、所有も、家計も貨幣も交換も報酬もないですね。宇宙から見る青い地球の写真には、どこにも国境はないですよね!自然界は交換で成り立っていないと思います。それぞれ贈る一方、そして必要なものを受け取るだけです。実にシンプルです。

元々はシンプルな世界にいたのに、人間の考えで作り出した所有というフィクションに人類の多くが縛られているのが今の社会だと思います。所有すると、自由にモノが使えると思っている人がいるようですが、元々はどんなモノも誰がどのように用いてもよいのです。人間の考えで囲ったり、隔てを作らなければ、元々が自由なのです。

所有は、所有する人が他の人に、そのモノを自由に使わせないという考え方だと思います。所有する人の許可があれば使えるけど、許可なしに使うと罰せられる制度です。つまり、一人の人があるモノを所有すると、その人以外の世界中の人が、そのモノをその人の許可なしに自由に使えなくなってしまうのです。現代社会は世界中の人が所有を拡大しようとしていますから、モノがいかに豊富になっても、自分の所有しているモノ以外は自由に使えるモノがほとんどないという状況になってしまっています。

そういう社会の中では、自己防衛的に、所有するしか、モノを自由に使うことができないということになってしまっているのです。そういう悪循環の中で、自らの首を絞め合って苦しんでいるかのようなありさまです。所有をそのままにして、より自由に、より豊かにとやっても、縛り合いの牢獄の中で、より自由に、より豊かにとやっている様と変わらないのではないかと思います。

アズワン鈴鹿コミュニティでは、人間が作り出したフィクションから脱け出した経済が営まれています。つまり、人間の元々の姿、すなわち、交換も所有も報酬もない、お金を介在しない経済が営まれているのです。

物を豊富にするのはもちろんですが、誰もが自由に得られる仕組みと運営が大事です。現状では、個々別々に稼いで暮らす経済観念が強いと思いますが、個別に頑張らなくてよいのです。みんなで社会を豊かにして、その恵みを受けて安心して暮らし、心身ともに満たされながら、その人らしい人生を送れるようにしていくのです。

鈴鹿コミュニティは、普通の街の中で、それぞれ家を建てたり借りたり、アパートやマンションを借りたりして暮らしているので、個々別々の家族の暮らしに見えますが、コミュニティが「我が家」のような存在になり、隔てのない「一つの家計」で暮らしている人達が70数人います。物もサービスもお金(給料も家計も財産)も自由自在に活用し合う経済です。

フィクションから解放された、仲のよい家族のような親しい間柄ですから、お金を介在しないということも、お金を自由自在に融通し合えるのも、ごく自然な姿なのです。親しい家族の間柄だったら、家族の中でお金をやりとりしないことも、お金を自由自在に融通し合うことも普通のことですよね?そんな親しい家族のような関係の人がたくさんいるということです。

「一つの家計」がスムーズに流れるために、コミュニティHUB(ハブ)という仕組みがあります。仕事、住まい、教育、健康、家族、税金、保健、お金、そして心理面に至るまで、生活全般のことを何でもオープンに気兼ねなく相談できる場所です。
各家庭の経済状態の把握や手続き事務や管理作業を専門的にやってくれるので、各人は家計を気にする煩わしさがなくなり、自分の持ち場に専念できるようになります。

僕も鈴鹿の街中で暮らしていますが、普段は財布は持ち歩かない暮らしです。

贈る行為は物だけにとどまらず、知恵や技術や能力にも広がります。
人の行為に見返りや報酬が要りません。人の行為をお金に換える必要がありません。すべてその人がやりたい気持からの働きになってきます。その人の心からの行為や贈り物です。

美容師の人や自動車や自転車の修理・整備、家電の修理やエアコンの取り付けなど技術を持っている人は、その持ち味を存分に発揮してくれています。
また、コンピューターや家や土地、家電や自動車の購入・サポート、旅や引っ越しの手配など、素人や苦手な人には手に余ることを、得意な人が気軽に引き受けてくれます。
してもらう方も、してあげる方も、どちらも満足する喜びの連鎖になっています。

隔てのない親しい間柄では、お金のことを気にする必要もなく、車も家電も本も衣装も、必要なモノが必要な人のところに流れていく仕組みが次々と生み出されていきます。

鈴鹿のような地方都市だと、1軒に2~3台の車を持つ家庭も多く見られます。アズワン鈴鹿コミュニティでは、家族以上に親しい間柄の人達が近所にたくさん住み、職場も近く、コミュニティスペースJoyやファミリーダイニングの仕組みもあるので、買い物に行く必要もほとんどないので、車の台数もとても少ないです。その人専用で使っている車もありますし、カーシェアとして、いろんなコミュニティの人が使う車もあります。

僕も自分の名義の車はありませんが、遠くに行くときはそれに合う車、荷物を運ぶときはそれに合う車、人を迎えに行くときは大きめのキレイな車と、用途にあった車を用意してもらい、使わせてもらう暮らしをしています。親しい間柄が実現すると、エコ的にも経済的にもいい暮らしが、楽に簡単に実現していくのです。

アズワン鈴鹿コミュニティを訪れる人の中には、お金の要らない暮らしに触れて「いいなぁ!」と思う人がたくさんいます。「JOYを持って帰りたい!」「自分のコミュニティでもJOYを作りたい」。
でも、形を真似してやってもうまくいかないですね。形の前の親しさが肝心です。

それには、親しさを邪魔している所有や家計や交換や報酬などの、固定したフィクションを自覚し、解放する必要がありますね。
形だけでやろうとすると、「所有してはいけない」という逆の縛りが出てきて、却って不自由になる場合があります。

固定したフィクションから解放された世界は、本来の自由の世界です。それは、人と人とが、なんでも話し合える関係性ということでもあります。
本当に親しい人間関係ができ、なんでも話し合うことができたら、お金の要らない世界は簡単にできてしまうということなのです。

論より証拠!? お金を介在しない経済の試みを一度見に来てみてくださいね。
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