コミュニティ歳時記 2月号

セントラルグリーン

“もち菜”は正月の野菜売り場の主役になる。
雑煮にはもち菜というのが、この辺りの定番のようで、面白いのは、“小松菜”と貼られていたラベルが、この数日だけ“もち菜”に替わることだ。
もともとは尾張地方で江戸時代から始まった食べ方のようだが、三英傑に所縁(ゆかり)の地らしく、<名(菜)を持ち(餅)上げる>というのが起源だとか。
ともあれ正月三が日、SUZUKAFARMの仕上げ(出荷)場は、お弁当屋さんのお節からバトンタッチして次なる踊り場となる。ここからは佳世ちゃんの元旦のブログ
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仕上げ場に着くと敏美ちゃんが錠前を開けていた。
中に入って、なにしようかー、亜子さんも来た。
葉っぱからやる?
マックスバリューのが出来次第、持っていくよ。
じゃあー、ニンジンもやろう。
山ちゃんが来る。
7時からカラオケに行くまで小松菜そうじなんだって。
亜子さんと一緒にニンジンの壁を作る。
ほうれん草を雪の中、としゆきと、たけみちが洗い始める。
井戸水は暖かいとか言いながら。
はるかも、照子さんも、みっちゃんも、あやちゃんも、深草さんも、たくやも、次々来る。
・・・
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正月2日は、餅つきも。
代わる代わる7臼ついて、その場で出来立てを味わう、なんとも贅沢。

そして、三が日明けた4日には5軒の引っ越しを一気にやった。
やってみては“引っ越し”より、寧ろ“家替え”の方がピタッと来るのだが・・・
先ず年末年始の直前に、
・俊幸君が新しいところに居を構え、
・その空いた家に、よっしー一家が移動した。
4日の朝から、
・絵里ちゃんが、よっしー達の居た部屋に越して、
・その空いたところに、剛道君が移り、
その昼からは、
・宏冶&フンミが、剛道君の居た家に、
・続いて僕が彼らの居た部屋に、
・そして拓也が僕の居た家に
と、まるで一筆書きのようにスムースに進んだのだけど、合わせて7軒もの家替えなので、何度聞いても分からない~という声が周りから続出したほど。
それぞれ歩いて5,6分のところに位置しているから移動距離は短いとはいえ、5軒もの移動がたった一日で、実際には数時間でやれてしまうというのはどういうことなんだろう?と改めて思ったりした。

「この家具使う? 置いとくわ~」
「冷蔵庫と洗濯機は、そのままにしとくね~」
「トースターと湯沸かしポットと扇風機、引っ越し先にあったから戻しとくわ」
そんなやり取りが行き来して、運ぶものがどんどん減っていったのもあるし、
物の移動は、俊幸君がファームの2tトラックを出してくれて、剛道君、Diego、伴君という若者たちが担ってくれたのも大きいかな。
僕も含めて引っ越す本人たちは、ただ「ああして~、こうして~」という気楽さで、拓也なんかはその日居なかったこともあって、予め纏めてあった荷物を本人不在のなか運んでもらっていた。
新居に移るとか、引っ越しするとかいうと、人生の中での一大事のように映ったりもするが、こうも軽々とやれてしまうと、どうも異った趣(おもむき)が出てくる。
<大きな家族の中での、超楽々家替え>
その時々の、各自の暮らしへの欲求とか家族構成の変化とかで、住む場所や家が替わっていくというのは至極当然のことで無理がないことだと思うが、例えば半生かけて建てた家だから最期まで住み続けなければならないとなったら、何とも窮屈な感じがする。

『人のための会社』という表現を、自分たちがやろうとしている関係性の姿として用いたりすることがある。
“会社のための人”では本末転倒と頭では分かっているつもりでも、案外気付かないうちに手段を目的に穿き違えてしまうことがある。
それと同じように、もし“家のための人”になってしまったら、どうなることか・・・
『家替え』というのは、今のその人や、その家族に相合う家に替わっていくという感じだろうか。
『人のための家』なんだろうと思う、もともと家というのは。

この辺りは家やマンション・アパートだけでなく、商店・商業施設が密集する典型的な市街地なのだが、5分も歩けば見渡すばかりの田園地帯が目前に広がるという稀有な土地でもある。
住む僕らにとっては、格好の散歩・ジョギングコースでもあり、四季折々に足を運んでは稲の成長に驚かされたり、水辺からそよいでくる涼風に癒されたりもする。
10年以上も前のことだが、当時市会議員をしていた杉本さんから、
「鈴鹿の街づくりをするときに、市街地の真ん中に“緑の中心核(セントラルグリーン)”を残そうというのが最初から計画にあったんだ。」
と聞いたことがある。『人のための街』そんな発想が元にあったのだろうか?

今の時季、中には“もち菜”などの野菜が育てられている所もあるが、多くは土とわずかな草が散見されるだけの眠っているかのような田圃。
暫く見入っていると、空の雲や山々を映す水面に整然と植えられた何百万本もの苗、無数の虫や鳥たちの棲み家となる緑草の海、香しい匂いさえ運んでくる揺れる穂波と、いくつもの情景が浮かんでは消える。また同時に、
「様々な表情を見せる、この田圃の“実質”は一体なんだろう?」
そんな不思議な感触が湧いてもくる。
今は何も無くて、眠っているように見えるけれども、やがて月日と共にいろいろな現れを見せる。どんどんと移ろい、変化していく。
無から有へ 有から無へ その果てしない繰り返し・・・
ただ、それも自分にはそう見えているというだけのことかも知れない。
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何も無いように見えても、実際は絶えず何かが流れているんじゃないだろうか
たとえどんな現れをしようとも変わることのない“田圃そのもの”が。
振り返って、それと同じなのかもしれない“人間”を、目の前のその人を、日頃どう見ているだろうと自問してみる。
もっと多様で、複雑だったり豊かだったり可憐だったりする一人ひとりの姿を。
そして、その現れの元にある、目には見えないその人の実質を。
現れを見ては右往左往してばかりだなあと反省もしつつ・・・

『人と人で』生きていくとか、暮らしていくとかいうとき、
表層・表面のやり取りだけだったら味気ないだろうなと思う。そんなことも沢山してきた。
でも本当に仲の良い家族だったら、『実質と実質』だけが行き交っているような気がする。
分かり合えている、委ね合っている、愛し愛されているお互いの間で、守ったり、飾ったり、大きく見せたり、萎縮したり等々、そんなのまったく意味がない、要らない。
そこにあるのは、実質と実質だけ。安心し切っているから心地よい。
それは理屈でなく感得してきているような、芯部から懐かしさが滲み出てくるような・・・・<名(菜)を持ち(餅)上げる>なんてこととは無縁の世界。

三英傑のせいだけでは無かろうが、僕らも小さい頃から随分と<名を持ち上げる>為の教育を受けてきて、今となっては余計なものを付けてきてしまったと染みついたモノの頑固さに辟易(へきえき)とすることもある。
ただ、最近、
「あ~、誰とも張り合わなくていいんだ。誰とも張り合いたくもないんだ。みんなの中の自分で居たいんだ。」
という自分の中心核に出逢えた感じもあって、どこかホッとしている。

セントラルグリーン

『人のための街、会社、家・・・』もイイけど、その前に、自分は
『人のための人』に成っていきたいんだな~。

そんなことを、やさしく気付かせてくれる社会に住んでいます。
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