新年おめでとうございます!

去年は、多くの研修機会を用意してもらって、
身を置いてしらべようとするごとに、自分の姿に出会い、自分に気づき
自分の世界の殻を少しではあるが、自覚できるようになってきたと思う。

人達、物のなかにいる自分、
理屈ではなく溶けていく、
頑張らなくても、そのままの自分で、
仲良くと思わなくても、いいも悪いもなく、そのままでひとつの世界、
今年はそんなところで、皆さんとともにやってみたいと思います。
どうぞよろしくお願いします!
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今年を振り返って・・・。

2007年もあと数時間。
ありがたいことに、「おふくろさん弁当」よりのおせちがあるので、ごゆるりと過ごさせてもらっている。この一年を軽く振り返ってみると、ライフセンターの充実と共に、スタッフ及びその周囲の方々にサポートしてもらって、程度は不明ではあるが、スタディライフへと、歩み出したかな~?と思う。
「キメツケ」「固定」で不自由な頑固頭から、刻一刻と変化する、すべてのものに素直に、柔軟に思考する頭へと、変わるためのキッカケを与えてもらった一年と言っていいかも知れない。
そして、それは何のためか・・・。自分にとって、もっとも大切なものは何か・・・。何をやろうとしているか。
頭で分かろうとするでなしに、自分の心の状態から、目を離さず、心の中にあるもので、やっていきたい。
この一年、自分を知るために観察力を養おうと、研修生コースや日常化レッスンを通して、練習させてもらった。研修機会を通して、ほんの少し気付けただけでも、それまでとモノの見え方が変わり、明るくなる。
それをありがたがらずに、本筋を見失わないよう、もっと明るく、楽な人生に向けて、更に一歩踏み出したい。
来年もどうぞよろしく!
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2007年 お世話になったと感じた事

 2007年11/4から11/10の自分を知るための内観コースに参加しました。
何か、とてもお世話になったと感じていて、とにかく今年中に「お世話になりました。ありがとうございます。」とブログに書きたくなって書こうとしたら、パスワードを忘れていたので事務局に確認して、今キーボードを打っていますので皆さんよろしく!!

 さてこの中の事実はどこにあるのでしょう。よく解っていませんが杉さん伊与田さん節子さんのブログを参考に考えてみます今回は感じた事を書いてみます。とにかくのびのび書いてみます。

 お世話になったと感じたのは、毎日食事を運んでもらった・毎日ゆたんぽを用意してもらった・考えやすいようにCDをかけてもらった・私の思いを十分聞いてもらった・静かな環境を用意してもらった・江口さん宅に泊まった・帰りの日公子さんがお昼を用意してくれた・伊与田さんが加賀から車で迎えにきたくれた・などです。
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第4回神戸日常化レッスンを終えて

研修機会やライフミーテイングなどを通じて、「ほとんどのことが自分の頭の中でおきていること」という認識は、かなり進んでいるように思っていたが、
例えば、思わず「誰々が言った」とか「言われた」とか言う言葉が口をついて出、その度に「言われたのではなく聞いたのだ」と思い直しながら、自分の中では単に言葉の置き直しをしているようで、釈然としないものを感じていた。
今回の「行為」と「頭の中」の検討は、そういう私の「頭の中」のモヤモヤを吹き飛ばしてくれた。
合宿研でも日常化研でも終わったあとは、何か大切なものが掴めたという思いがするが、今回は本当にすごいことに出会えたように思える。
この考えが身につけば、本当にこだわりのない自分に出会えるのではないか、本当に検べられる自分になれるのではないか、そんな思いすら湧いてくる。
しっかりレッスンをつんでいきたい。
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12月度ライフミーティングに参加して

今月も又、楽しい、面白い、有意義な、身の引き締まる,様な感じを味わえたミーティングだった。
実感、みんな、一緒に、通じる、自分、とはなどがテーマにあがったと思った。いろんな話題がでた中で、ぜりー,と、虹、が話題になった時に、昨日のゼリーの記憶があってその記憶でゼリーを見ている様に思えて、その様な見方をするとどうしてもゼリーを見るになってしまうと思った。それで記憶を横に置いて、あるいは記憶を消してみて「みたいな感じ」でゼリーそのもの、ではなく、そのものを見るみたいな事をやってみて、見るってこんな感じかもしれないなと思った。これは練習中です。
虹、と、自分とはをやってみて、虹をみる前の自分と虹を見た後の自分、どちらも同じ自分と捉えていると思った。そこでふと次の様な思いがわいてきた。
生まれて今日迄、感覚や頭の働きでそれこそ途方にもない知識、情報、経験、体験、見てきた事、聞いてきた事ごと,楽しかった事、悲しかった事、怖かった事など、それらの総べての総合体が自分の様に思えた。そんな感じで虹を思ったら、虹が自分の中に入ってくるように思えた。つづく
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自分を知るための日常化レッスン

行為と頭の中のことをそれぞれ出し合った。他の人のも自分のも陥りやすいところが明らかになっていくようで、おもしろかった。私は出かけるときかぎがないことに気づいてさがす場面をやってみたが、行為の中に手足を動かしたことは意識にのぼったが、見ていたことがぬけていた。見ると聞くはいろんな場面で大半をしめているなということもいろんな例できづかされる。
最近の場面で「だってそう言ってたもん」と思うことが妙にひっかかっていたが、それでかと思った。
書いてあったことを見た。言ったことを聞いた。やってるのを見た。となっていて、その見え方を自分の感覚と意識していたのかな。と思った。何か映像が入ってきて自分の頭の中でこれこれを見たとなるのかな。音が入ってきて自分の頭でこう聞こえたとなるようだ。
自分の感覚だという自覚があるだろうか。意識してやってみよう。
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研修生コースやってみて

今回は、「行為」と「頭の中」を分けて見てみる。ということをずっとやったように思う。
このことで、今まで行為としていたことがみごとに頭の中で自分がそう思っていることというふうにクローズアップされてきた。
「自分がそう見ている」
「自分がそう聞いている」
「自分の関心のあるものに限られている」

このことが実感として捉えられるようになったと思う。
見ることも聞くことも、自分がそうしようとしてやっていることで、勝手に何かが入ってきているわけではない。
このあたりを、理論的に解釈するのではなく、自分の実態を知るというふうになったかなと思う。

靴下から足が見えてるのを、「靴下の穴を見つけた」となっている。
自分が見て「穴と思う」、「恥ずかしいな・・・」というふうに発展していく。
壁にかけてあるカレンダーを「あ、曲がっている」と見る。
そのものがそうという捉えかた、事実になっているというより前に
自分が見ているというところに帰ってきた感じだ。

穴とか曲がっているとなる前には、自分の「見る」がある。
必ずといっていいほど、「見る」という行為があってからそこから始まっている。
自分がやっている行為は、見るとか動かすとか聞くとかいうだけで、あとはほとんど頭の中のことだなと、分類しやすくなった。

自分を観察するというのを、自分から抜け出して外のカメラで見ているような感覚で捉えていたけれど、自分がそうしているという自分の中にいながら、観察できるようになった気がする。

観察の振り出しに戻ったようだ。
ここから始まるなという気がした。
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研修生活に参加してみて

楽しかったな、面白かったなという印象がある。
「自分の感覚」というのはどういうことなんだろうかとゆっくり見てみた。
見たり聞いたり、におったり味わったりとやったことで、私の中に出てくるものがある。出てくるまでに私の中で起こっていることは、とらえたときの私にしかない感覚によるものらしい。
流しの桶につけてある食器を見たら「汚れているもの」と受け取って「あらいものがある」となる。使った食器は「汚れている」との私の感覚。
検討会の中でも、人の話を聞いていて、その人の発した言葉から私の中のその言葉の意味を持ってきて、私なりの解釈をしているのかと思う。出て来る思い方も人それぞれ、私の中でもその時その時、違っているんだろうな。
そうやって考えていくと、「私が思う」も何か感じたことを、それに合うような言葉を捜して「こう思う」と表現しているに過ぎず、私の感じたことそのものとは「別のもの」のようだ。とこれがまた「そうなんだ」と分かったかのようになる。自覚がないとどこまでもそれを繰り返すようだ。
今、思っていることは今の時点で「そうかな」と思ったこと。それだけのこと。「思っている」だけのこと。私の頭の中にあるもの。
日常の中でこういう検討機会を朝・夜、持ちながらやれることが贅沢なことにも思う。今の私に合っているかなと思う。来週からはレッスンを通して自分観察をしてみたい。
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研修生コースやってみて

やってみてレポートを、今 書かないとこの今の感覚は、何かに変換されていくようで、朝の検討会が終わってすぐにパソコンに向かっている。

一番こころに残っているのは、その都度その都度の瞬間に居る自分の感覚は、その時のものでしかなく、唯一無二のものなんだなと受け止めていることだ。

過去の自分の体験で、自分の回路や感覚を決定付けて観察していたのではないだろうかなと思う。

その時に居た自分は今の自分ではない。
にもかかわらず、何か持続しているものとして予想しているものを、実際にまた起こるものとしている。

体験や経験で学習したものと、その都度の感覚は別のものだなという捉え方が、新鮮に感じる。

何かのベースがあってそうなっている、という観方も実際はどうなのか分からないなと思える。

その都度の観察眼が、何か今までとは視点が違っているのかな・・・
よく分からないが、実際の自分というものに興味が行きだした。
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自分を知るための・・・

自分を知るためのコース感想文を読んで、
読みながら自分の中に響くものを感じる。
自分を観察し調べながら、
キメに気づき、本当、、に気づいていく過程、、
可能性と未知のものへの探求と、、
とてもおもしろそう、、
日常からすっぽり離れて
調べられる機会に触れられる大きさ。
私も近々是非参加したいと思った。
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