自分を知るための日常化レッスン やってみて

具体例を出して調べていく中で、
先のこと、どうなるか分からないことに対して、
「ある」「できる」となっている、
強い自信ある自分の観念の実態が、
浮かび上がってきたように思う。

「できる」となっていると、、
実際の成りたちへ関心がいかない。

こうしてああして準備したから、
手をうったから、
描いたとおりになる、「できる」となっていると、
実際は多くの人の意志があって、
成りたつことが、
その事実が見えない。

自分の頭の中で描いたことが、
そうなる、、できる、、となっている状態は、
現実を錯誤していて、
自分の世界観、現実の世界についての認識が、
誤っていると思う。

「できる」となぜそう言えるの?
という問いかけを、
自分に向けていくのには、
まずは他から問われる、、という
キッカケが要ると思った。

こういう問いは自分の中からは、
産まれてこない。
あまりにもあたりまえになっているようだ。

こういう機会が必要で、
調べていく中で、
自分の問いになっていくように思う。

自分のベースになっている観念状態を、
調べながら誤りに気づきながら、
いきたいと思う。
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自分を知るための研修生コース やってみて

 今回の研修生に はいって 初めて 突っ張るような回路が 自分のなかで どんな風に なっているのか 客観的に みえた。
 そうなるべくしてなっている。 努力や反省では 解決しない。 そのままをみて 紐解いていく。 このことが 言葉で知っている状態から 自分の中の実感として いくつかみえた。
 今 ブログの見え方の変化  そのひとの感覚での表現された世界と 自分の感覚で受けと取った世界が それぞれに あるのが 落ち着いてみると みえる。  自分 独特の受け取りが ある。今回の研修生の中で 実例で 考えて 出し合うなかで 言葉 ひとつにしても こんなにちがうんか と 驚きの 連続だった。
 今 書いていることも 今 思う 今回の研修生活。今 私の 脳が 組み立てたことかな?  明日 このことを 書いたら どんなに なるんかな?
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ライフミーテイングに参加して

 日常観察して自覚ある状態になろうとしていると思っていたが、その中味を見直せたかなと思う。日常の暮らしだけでは 自分の中を静かに見る目がなかなか養えない。観察といいながら外に目が向き、自分を素通りしてしまう。
 ミーティングに参加して、リアルタイムの生の観察の話を聞いて、刺激を受けた。実際に観察やれるには、そのときのそのままだから、知識はいらない。知識がじゃまをする。素直に観察してみようと思った。
 それと、特別に感覚を集中させてみる時間をもってみようと思った。
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NPO法人設立の会に参加して

自分にも誰にでも人間としての知性があり、
自分の生きる目的を自分で見出し、
受けてきたものでできた観念のまちがいに気づき、
人間らしさを取り戻し、
本当に自分らしく人生を送りたいものと思う。
人間としてあたりまえの姿と思う。
誰もが自分の人生として,
本当にその人らしく、
自由に快速に生きられる社会を、
つくりたいと想う。

そのためには、
自分の中の状態を見直し、
本当はどうかと研究究明する機会が必要不可欠。
研究機会に触れることで、
知性が引き出され,人間性に目覚めていく。
一会員としてライフセンターを採用していきたい、
万人の人に研究機会が齎されることを願って、、
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