さあ、再出発

神戸での第2回目の日常化レッスンが始まった.
今年はいろんな研修機会に参加し、多くのことを気づかせてもらった.
また、ライフセンターのNPO法人化にも携わらせてもらって、いろいろなことを考え、かつ、思いもした.それらのことを自分の中に、まず、根付かせたい、そして深めていきたいと言う思いを強くもっていた.

検討機会が進んでいくにつれ、あの時気づいたはずなのにぜんぜん自分の中に根付いていないことが随所に出てくる.特に私の思考パターンについて思い知らされた.何か見聞きすると瞬時に私の中に記憶の箱を探しに行く.そして該当するものがあると、その事象が本当はどうかわからないのに、その箱の中味で決め付けてしまう.自分の中の情報伝達の速さたるや光ファイバー以上である.

このことは自分を知るためのコースでいやと言うほど気づかせてもらったことである.それがヒョコッと出てくる.ぜんぜん根付いていないと言うか、自覚がない.まだ始まったばかりである.こういうことはこれからも起こるだろう.
これからは、改めて気づいたことで、自分の日常の生活を観察していこう.そうすれば、気づいたことも自分の中に根付き、自覚も生まれてくるのではないかと思う.
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8月ライフミーティングと会員検討会に参加して

自分がどう思うか、、でなく、
自分の中がどうなっているか、、を観察する。

今回参加してみて、検討する中で、この決定的な違いを想った。

内観コースに参加した人や、自分も含め日常化レッスンなど
検討機会に参加することで、この行き方の違いに気づき、
観察の道にのろうとする人が増えてきていると思った。

ライフミーティングの場が、人として正常になっていきたいという、
誰にでもあるものが呼び覚まされる、そういう機会になりつつあると思った。
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会員検討会とライフミーティングに参加してみて

 きのうライフセンター会員の検討会に参加した。そう言えば、自分は去年の9月内観コースに参加して、そのあと内観コースの感想をしゃべった記憶があるぐらいだから、ほぼ一年ぶりの参加だったように思う。最初一ヶ月をやってみてというのを出し合う場面で、他の人が取り組んいる(?)あたりを聞くにつけ、自分は何か意識して取り組んでいることもないなと思って聞いていた。
 実は、スタディライフなどという言葉も自分にはピンときていなかった。

 昼からはいくつかの用事を済まして、クーラーのきいている図書館にでも行って過ごすかな、などと思っていたが、どういうわけかライフミーティングに惹かれるものがあって、もう3時も回っていたと思うが、途中から参加した。

 会員の検討会やライフミーティングに参加して何か感じるものがあった。今振り返ってみて思うのは、各自が自分の体験を、あるいは自分の体験に即しての考えを語っていたんだなということだ。自分は人の話を聞くとすぐ「<それ>はどういうことか」みたいに頭が動く傾向が強いようで、それでは自分(の見方考え方)を検べることにはならないなという思いを最近抱いていたので、他の人が自分に即して語ろうとする姿に惹かれたのではないかと思う。

 最後の方で「私のスタディライフ」というテーマが出た時に、他の人の出す話を聞いていて、本当に各自それぞれの「私のスタディライフ」があって、みんな異っていて面白いなと思って、自分の最近を振り返ってみた。よく検べたわけではないが、フッと思いついたことがあった。

 先日、人生を知るためのコースに参加したあと、どういうわけか、何をやるにつけ、自分が思ったから何何をした、とか、自分がしたくなって何々をした、というような感じが薄れているように思う。自分がしているわけだが、またいろいろな思いはその都度頭に浮かぶが、自分がそういう思いの元に動いているのではない感じ、そんな感じがあって、その辺を観察して自分の元にあるものを検べてみたい、そんな思いが出てきた。ミーティングではそんなあたりを出してみた。

 それと、自分を見るとき、自分に距離をおいて離れて見るような感じも出てきていて、前よりも物事を冷静に見れるようになったような気もしている。反面冷静の中から何かしら気持が湧いて来るといった、そんな感じも少しある。そんなあたりも観察して、その元を検べてみたいような気もしている。「スタディ氏ライフ」という言葉が少し身近になったようだ。
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