研修生活に参加してみて

楽しかったな、面白かったなという印象がある。
「自分の感覚」というのはどういうことなんだろうかとゆっくり見てみた。
見たり聞いたり、におったり味わったりとやったことで、私の中に出てくるものがある。出てくるまでに私の中で起こっていることは、とらえたときの私にしかない感覚によるものらしい。
流しの桶につけてある食器を見たら「汚れているもの」と受け取って「あらいものがある」となる。使った食器は「汚れている」との私の感覚。
検討会の中でも、人の話を聞いていて、その人の発した言葉から私の中のその言葉の意味を持ってきて、私なりの解釈をしているのかと思う。出て来る思い方も人それぞれ、私の中でもその時その時、違っているんだろうな。
そうやって考えていくと、「私が思う」も何か感じたことを、それに合うような言葉を捜して「こう思う」と表現しているに過ぎず、私の感じたことそのものとは「別のもの」のようだ。とこれがまた「そうなんだ」と分かったかのようになる。自覚がないとどこまでもそれを繰り返すようだ。
今、思っていることは今の時点で「そうかな」と思ったこと。それだけのこと。「思っている」だけのこと。私の頭の中にあるもの。
日常の中でこういう検討機会を朝・夜、持ちながらやれることが贅沢なことにも思う。今の私に合っているかなと思う。来週からはレッスンを通して自分観察をしてみたい。
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研修生コースやってみて

やってみてレポートを、今 書かないとこの今の感覚は、何かに変換されていくようで、朝の検討会が終わってすぐにパソコンに向かっている。

一番こころに残っているのは、その都度その都度の瞬間に居る自分の感覚は、その時のものでしかなく、唯一無二のものなんだなと受け止めていることだ。

過去の自分の体験で、自分の回路や感覚を決定付けて観察していたのではないだろうかなと思う。

その時に居た自分は今の自分ではない。
にもかかわらず、何か持続しているものとして予想しているものを、実際にまた起こるものとしている。

体験や経験で学習したものと、その都度の感覚は別のものだなという捉え方が、新鮮に感じる。

何かのベースがあってそうなっている、という観方も実際はどうなのか分からないなと思える。

その都度の観察眼が、何か今までとは視点が違っているのかな・・・
よく分からないが、実際の自分というものに興味が行きだした。
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自分を知るための・・・

自分を知るためのコース感想文を読んで、
読みながら自分の中に響くものを感じる。
自分を観察し調べながら、
キメに気づき、本当、、に気づいていく過程、、
可能性と未知のものへの探求と、、
とてもおもしろそう、、
日常からすっぽり離れて
調べられる機会に触れられる大きさ。
私も近々是非参加したいと思った。
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神戸日常化レッスン第2回感想文

 今回のテーマは「私は自分の感覚を正しいとしていないかな」であった.このテーマを通して「聞く」ということについて考えさせられた.
 自分の感覚が正しいと思っているから、相手から「聞いた」ことが、相手が「言った」になるのだと思う.
 これについて、いままで私は「言った」を「聞いた」に置き換えていただけのような気がする.何か釈然としないものを感じていたが、今回のレッスンで気づけるものがあった.人の話を聞いているとき、自分の感覚で聞いているという自覚がなっかたということである.
 人それぞれの感覚には、それを生み出した大きな背景がある.私にもそういう感覚がある.その感覚がよい悪いではなく、そういう感覚で人の話を聞いているんだという自覚をこれからは持ち続けたいと思う.
 それができてこそ、本当に「だれだれが言った」が「だれだれから聞いた」になるのだと思う.
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おふくろさん弁当 テレビ放映

出演している人たちは、皆さんおなじみの面々も多いでしょう。



http://jp.youtube.com/watch?v=N-Ba4NxX2FU
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