コミュニティ歳時記12月号 【Prelúdio】

鳥籠の扉を開けると、2羽の文鳥が徐(おもむろ)に顔を出し、部屋の中に飛び立った。
ついさっきまで、食事をしながら言葉を交わす僕ら6人を、籠の中から時折、首を傾げながら観察して、微かな囀(さえず)りで呼応していた2羽が、今僕らの輪に加わった。
どういう訳か、Antjeがお気に入りのようで、ずっと彼女の手や肩や頭に飛び移っては、一緒にドイツ語でお喋りをしている。
「この子たち、2羽とも男の子だからね。」
と照子さん。
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Diegoは、声を掛けたり、手を伸ばしたりして、文鳥を自分の方に引き寄せようとするけど、彼らの関心は専らAntjeと隣のAlexのようで、Diegoの思うようにはならない。
「本山さん、あのクラシックギターどうした?」
不意にリビングの壁にかかっているギターを指差してDiegoが尋ねる。
「あゝ、拓也が使わないというのでもらってきた。Diego弾いてみる?」
そう言って、本山さんはギターをDiegoの手元へ。
「よし!弾こうか。ギターの音色にツラれて、彼らも僕の方に来るかもな!」

「エイトル・ヴィラ=ロボスのプレリュード1番弾けるかい?」
突然の本山さんからのリクエストに、調弦をしながらDiegoが軽く頷く。
演奏会が始まった。
不覚にもヴィラ=ロボスの名前は知らなかったが、Diegoの指先から繊細な音が爪弾かれると、確かにどこかで聴いたことがあるなあと脳が即座に反応した。
「僕が中学2年生の時に、大学生の従兄弟がこの曲を弾いてくれてね。僕はイチコロにやられちゃったんだよ。」
本山さんの瞳が輝く。ロボスはブラジル出身で、クラッシックの技法にブラジル独自の作風を取り入れた20世紀を代表する作曲家。
フレンチホルンの名手・Alexも、ヴァイオリンと共に育ってきたAntjeも、文鳥たちも暫し囀りをやめて、軽やかに踊るDiegoの指先を見ながら聴き入っている。
そして僕の脳裏には、Diegoの5年間が静かに流れてくる。
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今年の春、5年ぶりにブラジルの大地を踏んだDiegoのことを4月号の歳時記でも少し紹介したが、その後また日本に戻ってきて、ここでの研修や暮らしを続けていた。
9月にスイスから研修に来たAlexとAntjeの受け入れも僕と一緒に担当して、この3か月ずっと一緒に過ごしてきた。そして愈々、20代後半からの5年余りの学びと実践の日々に区切りをつけ、明後日・11月28日再び日本を発ち、これからはブラジルを拠点に生きていくことになる。Diegoにとっては、人生の次のステージへと踏み出す日。
“Diegoの5年間”、あんなことあったな、こんなことあったな、あの場面でのあの人からの一言、涙を堪え切れなかったあの時、こんな人たちに受け容れられ、こんな機会にも恵まれたな・・・浮かんでくることは数多(あまた)あるが、僕の頭の中にあるそれらをテーブルいっぱいに並べたところで、この5年間を表すことは到底出来ない気がする。
果たして、どれだけのものが、Diegoに注がれてきたんだろう?
周りの人から、モノから、社会から、自然から、見えるところで、見えないところで・・・
実のところ、何にも分かっちゃあいないなあとなってくる。
ただ、その5年間の総体が、Diegoの中に厳然とあるし、僕の中にもあるし、共に暮らす皆の中にもある。だからDiegoがブラジルに行くと言っても、離れていく気が全くしない。自分の一部が行くような、自分自身が一緒に連れられて行くような不思議な感覚がある。
どこにも“別れ”がない。
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韓国から3か月の研修に来ているグムちゃん。
パートナーのドンハと、2歳の息子ソンギョルと、もっと長期で鈴鹿コミュニティでの研修を続けたいと思っている。
ただビザの関係でいろんな制限もあり、どうしたものかと思案中。
その中で、ソンギョルを韓国で誰かに見てもらって、その間グムちゃんとドンハが日本に来たらどうかという案も出たらしい。でもグムちゃんは、
「韓国にはとっても親しい友人もいるからソンギョルを預けることも出来るけど・・・何故かは分からないけど、このまま鈴鹿コミュニティにソンギョルを預けて、私たちが韓国と日本を行き来した方が安心な感じがする。韓国の友人のように、この人とはとても親しいって人が日本には居るわけではないのに。なんでだろう?」
と言っていたらしい。
グムちゃんの内面がそんな風になってきているのは、ホントどういうことなんだろう?
そのことが、AlexとAntjeとのミーティングで話題になった時、Antjeはこんなことを言っていた。
「今でも、ソンギョルが親と離れて暮らしている場面あるけど、ここの人たちは誰も“お母さん、お父さん居なくて大丈夫?”とソンギョルに言ったり思ったりしないね。でも世間では違うね、お母さん居なくて大丈夫?可哀想だね!と周りの人は、そういう目で見て言ったりするね。」
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ガイアユースなどに参加していた早稲田大学の桃ちゃんが、自身の卒論の中で、”第4章「つながり」という豊かさを育むコミュニティの事例”というので、アズワンのことを採り上げ書こうとしている。
桃ちゃんに限らず、ここ数年、卒論で書いてみたいと相談に訪れる大学生(なぜか今のところ全員女性!)が後を絶たない。
桃ちゃんとのやり取りで、初めて聞いた言葉がある。それは、
“Social Capital”
桃ちゃんが担当の教授に、卒論でアズワンの事例をこんな感じで書いてみたいと言ったら、
「それはSocial Capitalの事例だね。“社会関係資本”という観点から書いてみると良い。」
と勧められたのだという。お金とかモノではなく、社会関係・人間関係を資本と捉える見方があるんだと新鮮だった。
12月15日が締め切りとかで、ここ数回にわたってやり取りを続けているけど、桃ちゃん自身、ここで体験したことを通して、その実態を表してみようと、筆を進めている。


『どんなに良い原石や材料が豊富に揃っても、設計や施工を間違えれば、見た目に立派な建物も風が無くとも倒れて醜い姿を晒(さら)すだろう』
そんな趣旨の一文を目にしたことがある。
これは何も建物のことだけではないだろう。
“ヒト”という豊富な良材を、設計・施工するのは、“社会気風・社会システム”だろうか。
いかに優れた人でも、自分自身を設計・施工することなど出来ないだろう。
たった今も80億人を超えたという豊富な人材が地球上に揃っている。
これからも次々と生まれてくる原石・良材。
社会の気風やシステムが追い付いていない分、あたらその良材も、生かし切れていないとしたら、なんとも口惜しい。
ここまで来た人間社会。
その気風・システムを完全ならしめるための一つの端緒として、“Diegoの5年間”も“鈴鹿コミュニティの22年間”も世界の頭脳から研究され、使われることを願う。
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Diegoのギターに聴き入っていた文鳥だが、相変わらずAntjeとAlexからは離れない。
さすがにDiegoも自分の方に文鳥を引き寄せるのを諦めたようで、Alex達との会話に気持ちが入りだした。そうすると逆に文鳥たちは時々Diegoを訪れるようになった。
もうすぐAlexとAntjeもスイスに出発する。
彼らもまた、もっと鈴鹿で学びを深めたい、理屈ではなく本当に誰とでも溶け合える人になるために長期間、ここで研修したいと企図している。そして、自分たちに続いてヨーロッパからやって来ようとしている青年たちの顔が幾つも浮かんでいるようだ。
Diegoには“5年前の自分”と彼らが重なって見える。
AlexとAntje は、今のDiegoの姿に“5年後の自分たち”を見ている。
僕の耳には、Diegoが弾いていたヴィラ=ロボスの音色とリズムが響き続けている。
preludioはプレリュード、前奏曲。前ぶれ、前兆。その第1番。
この場面でのこの曲の何気ないチョイス、本山さんお見事!と言う他ない。
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今日の昼頃、ブラジルへ向かったはずのDiegoから電話が入った。
「サカイさん、航空チケットの名前の表記がパスポートと違っていたね。名古屋セントレアから成田までの国内線は大丈夫だけど、成田からの国際線、航空会社が乗せてくれるか分からないと言ってるね。どうしようか?」
意気揚々と出かけて行ったのだが、ちょっとビビっているようでもあり・・・
「今からチケットの買い替えも容易じゃないし、とにかく成田行って頼みこもっか。」
「分かった。ダメだったら、一度鈴鹿に帰るか。」
スマートに旅立ちたいところだが、最後まで何があるか分からないのがDiego。
どうなるか分からないのは、彼だけじゃない僕もだし、誰もがそうか・・・
それでも数時間後、この界隈でDiegoは乗れたのか?帰って来るのか?と賑やかになっていた頃、メールが来た。
「チェックイン、バッチリです。See you!」
添えられてあった写真には、主翼と雲海の間に雪を冠した富士山が薄っすら浮かんでいた。
今度こそ、本当に飛び立ったかな、Diego。
さぁお互い、次のステージへ!
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コミュニティ歳時記11月号 【Brother~家族の風景から】

早朝、お弁当屋さんに向かって歩く。
毎週金曜日のこと。
行き始めた頃は、照りつける陽射しが眩しくて、サングラスなしには歩けなかった。

決まって、同じ辺りですれ違う初老のジョッガー。彼の出で立ちも、半袖ハーフパンツから長袖ロングパンツにいつの間にか変わり、今朝はその口元から白い息が漏れていた。
変わらないのは街の静けさ、まだ寝静まっている家も多く、鈴鹿サーキットに続くメイン道路もまるで開放区のようで、信号機を気にせずどこでも横断できる。
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10分ほどで、お弁当屋さんに着くと、厨房では調理のメンバーが所狭しと動いていて、既に盛り付け室のテーブルには、“今日のごちそう”がズラリと並んでいる。
「おはよう~、じゃあ最初にハンバーグにソースかけて準備して~」
とルシオから声がかかる。
三々五々、今日のメンバーが集まってくる。程なくして、
「さあ、そろそろ、お弁当の盛り付け始めましょうか~」
そんなルシオの声に促されて、盛り付けラインの前にみんなが勢揃いする。

かずきbrother 、
弁当屋シフトを 毎日 立てていますが、
盛り付け 週一回 かずさん どーでしょ。
時間は 6時半~9時、
入って欲しい

こんなメールがルシオから来たのは、9月が始まった頃のこと。
僕が、
「何曜日がいいとかある?」
と返すと、
「毎日来てくれてもいいよ、へへへ」
と戯(おど)けるルシオ。
結局やり取りして、金曜日に。それから毎週行っている。
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ルシオはミドルネーム、正式には箕輪ルシオ省吾、ブラジルで生まれ育った日系2世だ。
お父さんの保助さんは長野県佐久から、お母さんの美恵子さんは東京から1930年代にそれぞれブラジルに渡った移民で、サンパウロ州の日本人コミュニティで出逢った。
保助さんの美恵子さんを愛でる純粋さと一途さが実り、やがて結ばれたという。ルシオはその二人の五男坊。
僕はルシオと縁があって、30年以上の付き合いになるけど、会えるのはたまに彼がブラジルから来るときだけで、まあ仲の良い友人というような間柄だったと思う。
それが“brother”扱いに昇格?したのは、ここ1年のことが大きく関係している。

去年の秋口は、まだルシオも日本に滞在している感じで、コミュニティの中でも子ども達の送迎とかサポート的なことをしていた。僕の家替え、引っ越しなんかもずっと一緒にやってくれていた。
それが、暫く日本で、ここ鈴鹿コミュニティで腰を据えてやっていこうとなり、職場も弁当屋さんになった。毎日の段取りは勿論、アカデミー生や実習生たちのことも受け入れるようになって、どんなお弁当を作り届けていきたいのか、お弁当屋さんをどんな職場にしていきたいのか、そんなこともルシオの口から聞くことが多くなってきた。

職場以外でも、彼の持ち味を発揮する持ち場に就いたり、それに応じた各種のミーティング機会にも参加するようになった。
僕は、日本語がそれほど堪能ではないルシオの付き添いで、銀行や公的機関に行ったり、書類作りや各種手続きをやるようにもなった。

ちょうどルシオが弁当屋さんに行き始めたのと同じ頃、ルシオの奥さんの奈々ちゃんが、僕と同じHUB職場になり、毎日インフォメーションの業務を一緒にするようにもなった。
それに加えて、この歳時記でも何度か紹介しているコミュニティに5つある“ファミリー”のなかで、同じ“木1ファミリー”にもなったので、毎週ミーティングもするし、ダイニングの担当もするし、お互いのことを知る機会も増えてきた。
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奈々ちゃんが今年になって随分体調も回復して、久しぶりにサイエンズスクールの合宿コースに参加した時のことをファミリーミーティングで話してくれたのだが・・

数年前の或る出来事がキッカケで僕に対して、
「この人とだけは絶対に一緒に仕事をしたくない」と思ったそうで、それが何としたことか同じ職場になってしまったと。
「でも、実際その後は、毎日愛情注いでもらって、気心も知れてきて、今は“兄貴”みたいな存在になって来たんだけど、それは“兄貴”が前とは変わって来たのか、自分の気持ちが変化してきたのか・・・ただ、最初に大きく引っ掛かっていた時の自分の状態をホントに見ることが出来なかったら、ずっと同じこと繰り返す気がしたんだ。それでね・・・」

奈々ちゃんは、僕がどうこうではなく、その自分の実例で、自分の見方や捉え方を観察、探究してみて、気付いたり発見したことをファミリーメンバーに話したかったみたい。
僕は僕で、その時の出来事を振り返ると、ニッコリ負けられない、意識ばかり高い偉そうな心持ちだったから、もうお恥ずかしい限りで穴があったら入りたいくらい。
とは言え、今でも自覚なく時折そんな気配が頭をもたげることもあって、
でもそんな時、隣に居る奈々ちゃんが、
「“兄貴~”、偉そうに雲の上から人を見下してないで、早く地上に降りてこ~い。」
と即行、声を掛けてくれるのに救われている。

米寿を迎える母の祝いに出かける前の晩、25歳でお母さんを27歳でお父さんを亡くしている奈々ちゃんから。
「私の分まで親孝行して来てね」
という一言をもらったことで、両親と過ごす時間の趣が随分変わったりしたこともあった。

先週の日替わり弁当のメニューは、“若鶏のうま塩唐揚げ”。
いつものように、ルシオと宏冶君が、今日はこんな盛り付けにしたいと見本を念入りに作っていた。副菜の位置はここ、漬物の量はこれくらい、レタスはこの辺に置いて、その上に唐揚げを3つ“山”になるように綺麗に組み合わせるetc.
僕は、唐揚げの盛り付け担当。二人の描いてくれた線でやろうと手を動かしていく。
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全体で何百個か作るのだが、最初の数十個やってみたところで、副菜の位置を少し上にずらして、3つの唐揚げを“山というより川”のように並べた方が、羽根になった唐揚げの衣が活かせて美しいなと思って、ルシオに見てもらった。ルシオは、
「オレは、見本の方がいいと思う!」と。
僕は、そうか!と思って、また切り替えてやり始める。
でも、やっているうちに手は唐揚げをまた川のように並べ始めていて、もう一度ルシオに言ってみる。
「やっぱり、こっちでどうかな?」

そんなやり取りが二度、三度あったが、面白いのは、僕もルシオも特に主張しないというか、自分の意見を通そうという気などサラサラ無いこと。ただ思ったこと言って、聴き合っているだけ。そう云えば最終的に二人でこうしよう!とか決めたわけでもないなあ、僕が盛り付けた唐揚げをルシオが最後チェックしながらフタを閉めていっただけ。
ただ、僕の役を後から来たセリちゃんに引き継ぐ時、ルシオは、
「かずきさんのやっているように盛り付けて~。それが一番キレイだから・・・」
と伝えていて、へぇ~!と思ったり。兎に角、風通しがよくて、一緒に遊んでいるようだ。

夕食時、いつものように円卓を囲みながら
「あれ、おとうちゃん、また寝ちゃったかな~?」
と奈々ちゃんが壁時計を見上げる。朝の早いルシオは、この時間に一寝入りしていることが間々(まま)ある。
「オレ、電話してみようか?」
とDiegoが応える。
暫くして、照れ笑いしながら登場するルシオ。椅子に座るなり、夕食はそっちのけで、Diegoや博也君、拓也たちと弁当屋談義が始まる。ようやく食べ始めたと思ったら、今度はダイニングにやって来たアカデミー生たちが次々寄ってきて何やかやと言葉を交わす。そして食べ終わった後も、どっかりと皆が見渡せる円卓椅子に陣取って、スマホと睨めっこしながら翌日のお弁当屋さんのシフトを組んでいく。
「おとうちゃん、ダイニングに居てもお弁当屋さんのことばっかり・・・」
と嘆く奈々ちゃん、でもどこか嬉しそう。
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「はい、明日のシフト出来ました~」
と満足げにルシオが席を立つ頃には、あれだけ賑わっていたダイニングも人は疎(まば)ら。僕らもそれぞれ家路につく。

この歳時記を書き始めて、今回でちょうど1年になる。
その第一回が【家族の風景・・・そして家族以上の】というタイトルだった。
僕は、ルシオや奈々ちゃんのこと、brotherでありsisterであり、ホントの家族になってきているなと思う。助け合っているという意識はない、もうお互い他人ではない自分のことだから、ただ普通に一緒に生きて、暮らしている、そんな感じ。
そして、そうなってきた1年を振り返った時、自分たちだけの個人的な努力や思いでは、こんな風にはとても成れなかっただろうとも感じる。
鈴鹿コミュニティという小社会ではあるけど、経済面、生活面、人育ちの面、その他様々な機構やシステムに乗っかって揺られている内に、僕らは家族になってきた。

この社会に暮らしていなければ、奈々ちゃんは”絶対この人とは関わりたくない~”というまんまで、僕と”兄妹”に成ることも無かったかも知れない。ルシオと僕も親しい友達の域を越えられなかっただろう。
偶々、ルシオと奈々ちゃんとのことをピックアップしたが、それは特別なことではない。ここでは当たり前のこと。毎日至るところで家族の産声が上がり、家族の実質が育っていっている。
”誰もが本当の家族に成れる社会”なのかもしれない、ここは。
僕らはそんな社会に住んでいる。
良い家族ー良い会社ー良い社会
僕らを通して、それが実証されている今なのかなとも見えてくる。
明日への、次代への贈りもの。
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「かずきさん、時間です!」
とルシオに声を掛けられ、手を止める。
お弁当屋さんの勝手口を出ると、向かいのブラジル人学校から、子ども達の大きな声が響いてくる。思わず目を遣ると、その豊かなBody Languageについつい魅了されてしまう。
そして、よくルシオの口から語られる少年時代のこと、スケールが半端ないブラジルの大地のことが浮かんでくる。
左手のメイン道路は、勢いよく流れている車でいっぱいだ。
道に面したおふくろさん弁当の駐車場では、ずらっと並んだピンクの箱車に、今日のお弁当が積まれ始めた。
今から、一人ひとりの口元、心元に
僕らのお弁当が
届けられていく。
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コミュニティ歳時記10月号 【何をしても可愛い】

「サカイさ~ん、ただいま~」
韓国からアーちゃんが2年半ぶりにやって来た。

4歳になったヨミンが、会話している僕らの様子を見上げている。
「ヨミン、大きくなったね~」
と声を掛けると、アーちゃんの後ろにパッと隠れてしまった。
程なく、1歳のヨジョンが身体を左右に動かしながら、一歩一歩近寄ってきた。
「これが、ヨジョンです」
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とアーちゃん。ヨジョンはもちろん初来日。その顔には笑みが浮かんでいる。
パンデミック前、アーちゃんが韓国に帰る時の別れ際に、
「サカイさん、必ずまた来ますね」
と言って駆け寄り、ハグしてきたことがあった。
次の瞬間、その時2歳だったヨミンは見様見真似で、お母さんがしたのと全く同じように、僕に歩み寄りハグをした。
膝をついて、ヨミンの小さなカラダを受けとめながら、”可愛いなあ”と、その存在そのものへの愛しさが身体中に充ち、やがて零(こぼ)れ出るのを抑えることはできなかった。
そして今、お母さんの背後に隠れてしまうヨミンもまた可愛い。
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9月になり、コロナの水際対策が緩んできたこともあって、海外との行き来が活発になりつつある。
・9/7  韓国からキム・セリ、2か月の実習プログラムへ
・9/8 ブラジルより岩田さん帰国
・9/10 スイスよりアレックス、アンティエ、3か月の実習プログラムへ
・9/11 韓国よりドンハ、グムサン、ジョンアの3人、準アカデミー生として入学
 (ヨミン、ヨジョン、ソムギョル、3人の子ども達も一緒に)
・9/13 タイで開催のEcoversities Allianceギャザリングに片山弘子さん参加
・9/19 Leo、月岡夫妻ブラジルへ

コミュニティ“ファミリーダイニング ゼロ”での夕食時は、とっても賑やか。日本語、韓国語、英語、ドイツ語、ポルトガル語があちらこちらで行き交う。そんな光景がだんだん普通になってきた。
そして今、乳幼児からシニアまでが憩うファミリーダイニングの主役は、何と言っても収穫したての“新米”だ。
冬の間に準備した種籾は育苗ハウスに播かれ、育った稲の苗は4月終わりから5月初めに田圃に植えられる。初夏―梅雨―真夏と、苗は土に蓄えられた肥料へと根を伸ばし、しっかり根を張り、茎を太らせ伸ばし、やがて穂をつけ稔らせる。そして8月後半から9月にかけて収穫の秋(とき)を迎える。
その穫れたての新米がダイニングに初お目見えしたのは、9月3日のこと。
その日のメニューはとってもシンプルで、“新米のおにぎり”
どんどん次のおにぎりに手が伸びる、あちらでもこちらでも、“美味しいな~”と感嘆の声が上がる、そしていつの間にか、なんと普段の倍以上のお米をみんなで平らげてしまっていた。
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アカデミー生・環ちゃんの、
「時々、今日みたいにお米をたっぷり食べられるのもいいなあ~」
って呟きも、聞こえてきた。
日本に住む自分たちには、“やっぱりお米かな”、そんなことを思わせてくれる日だった。
遠い秋の日、母の田舎の田圃で、たくさんの従兄弟たちと稲掛けの周りで弾け戯れている幼い頃の姿が蘇ってくる。微笑み見守る親たち、吸い込まれそうな青い空、胸いっぱいに充満する芳しい穂の香、山間(やまあい)に木霊する鳥の鳴き声、稲株を踏む時の硬さと脆さの感触、頬張った柿の甘味と渋味、長閑(のどか)な、そして絶対安心の原風景。
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コミュニティで食べるお米も、そしておふくろさん弁当で使われるお米も、昨年初めて、<全量>自分たちの田圃で作ることが出来た。自家産お米自給率100%達成ということになる。
SUZUKAファーム株式会社が誕生したのが2010年、それ以前も稲垣さんが、コミュニティメンバーが安心してお米を食べられるようにと作り続けてきた何年間かがある。
当初は、高齢化した地元の農家から田圃を借りて作り始めたが、あまりの下手さに見るに見かねた、おじいちゃん・おばあちゃんが随分手助けしてくれたとか。時にはコンバインやら農業機器まで融通してもらったこともあったみたい。
“稲ちゃん農園”と呼ばれ、稲垣さん個人でやっている段階から、20代~30代の若者数人で会社を興し、意気揚々とやり始めたのが12年前。だが、たちまち行き詰ってしまった。経営的にも、お互いの間柄も。見切りをつけ離れてしまう若者もいた。
だが、そこからが本当の始まりで、そこに根を張ろうとする一人、二人から新生SUZUKAファームが動き出した。何のためにお米や野菜を作るのか、何のためにその事業をするのか、どんな会社や社会を創っていこうとしているのか・・・真の目的に立ち還り立ち還り、10年以上かけて、じっくりとじっくりと育て上げてきて、我が家・我がコミュニティの家業になってきた。
そしてお米も全量、自家産になった。
もちろん、まだ道すがらだが、その道中の陽気なこと!
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アレックスとアンティエはスイスから来て、もうすぐ3週間。
アレックスはスイス生まれだが、アンティエはもともと東ドイツに生まれて育ち、ドイツ統一後スイスで暮らしている。或るミーティングの中でこんなことを言っていた。
「スイスやドイツで、私たちが育ってきた社会の雰囲気、とっても厳しいと感じる時がある。親や先生や目上の人は、これが正しいとか、これはやらなくてはならないとか、注意したり指摘したり強制したりが当たり前。大人になっても、お互いにそういう関係が続いてしまうね。見張り合っているね。」
聞きながら、スイスやドイツのことだとは聞こえてこない、なんだか日本に居る自分も同じような道を通ってきたなと。躾とか、教育とか、人を正すとか・・・
大人になり、親になり、知らず知らず、その道を次の世代に押し付けてきたこともあった。
人を知らず、人生を知らず、そうする以外の道を知らず、知ろうともしない。スイスやドイツで厳めしく、人を正そうとする人達が自分と重なってくる、他人ごとに思えない。
なんで、そんなアホなこと真面目にやってきたんだろうと今では不思議にさえ思うが、良かれと無意識でやっている裡は自分の愚かさ、浅ましさになかなか気付けない。
アレックスとアンティエは、なにやら今の鈴鹿コミュニティに流れている穏やかな気風を感じているみたい。包まれているような、だから周囲の目を気にしなくていいような、自分の思っていることをオープンにしたくなるような・・・
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彼らと日々接しながら、改めて、そういう環境・土壌の中で、生きてきたんだなあと、自分の10数年の歳月を顧みたりしている。
この歳になって漸(ようや)く、ちょっと人らしい生き方に向かい始められたのも、このコミュニティの土壌のおかげだし、土壌と言っても、じっくり見守り続けてくれる親のような存在があるということかなと思ったりする。ただ温かい環境や雰囲気があるというだけでなく、いつも原点に立ち還れるように、その人らしく生きられるように、道標を立て機会を用意してくれている。そんな深い愛情からの外さない厳しさを体現している親の存在。
そして、そこを進んでいくのは、自分自身、一人ひとりの主体。

さてヨミン。
前回、日本で暮らしていた時、ちょうど同じ頃に生まれた“うみ” とずっと一緒だった。
全く会わずに2年経って、お互いのこと覚えているのかな?
再会したら、どんな感じになるのかな?
なんとなく、みんなそんなことを考えていた。
“その時”の様子、こんなだったみたい。
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うみ と ヨミン
チラチラとお互いを見ながら?
それぞれで離れて水遊びしていたけれど
いつの間にかその距離もだんだんと近くなっていく
うみの後ろをヨミンが同じ動きをしてついていく
またヨミンの後ろをうみが同じ動きをしながらついていく
を繰り返す
同じように動いていくうちに相手になって
言葉は交わさなくても
通じ合っていくように見えて面白いな

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毎年、同じパートナーとカップルになる南極の皇帝ペンギンは、1年ぶりに出逢った時、シンクロして同じ動きをしながら、お互いを確かめ合うそうな。うみ と ヨミンも一緒かな。
その日、ヨミンはお母さんのアーちゃんにも、
「今日、うみと遊んだ!」
と自分から言ってきたみたいで、アーちゃんも“うみ”って言葉が、ヨミンの中から出てきたよ~と驚いていた。
ヨミンだけでなく、ヨジョンも、ソムギョルも、コミュニティの子ども達と、もうすっかり馴染んでいる。あっという間に溶け合っちゃう。そんな様子を見ていると、いつまでも余所余所(よそよそ)しくしている大人の関係が不自然に見えてくる。
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稲の稔りが一朝一夕で出来ないように、今こうして韓国やスイスから、その子ども達も含めてやって来て、一緒に安心して“我が家” に居るかのように暮らせているのも、そうなるようにと何年も何年も、耳を傾け、足を運び、心を寄せ続けた親の存在が実在しているからだと思う。
「何をしても可愛い」
きっと誰もが自身の裡に、垣間見たことのある、その境地。
何をしても、何もできなくても、どうあっても、どうなっても、ただ可愛いだけ。
その吾が子の本当の幸せを願い、見守り、先を歩く親。
親心・親の愛が、幸せな人を育て、やさしい社会を招来する。
その中で暮らす子ども達。その一日一日が、一人ひとりの原風景、原点になる。
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コミュニティ歳時記9月号 【masterpiece】

毎朝、ブラジルから送られてくる絵を見ている。
ある日は人物画、またある日は風景画だったり、見たことも無い鳥や果物や樹々だったりと様々だが、色合いというか色調が、今までの彼の作品とは随分違う印象を受ける。
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以前、この歳時記でも紹介したコミュニティで日本画を描いている岩田さんは8月の半ばからブラジルに行っている。そして、毎日彼のブログにその日のスケッチを簡単なエピソード付きで載せてくれている。
南半球に位置するブラジルは、季節としては冬を迎えているが、岩田さんが滞在しているサンパウロ州では半袖姿の人も多く見受けられる。

6月の20日頃、どういう流れか失念してしまったが、一緒に何人かで食事をしている時に、
「岩田さん、ブラジル行って来たら?そこで見たものを、日本画で描いてみたらどうだろう?」
そんな話が持ち上がった。
鈴鹿コミュニティと少なからず縁のあるブラジルの大地や人を、今の岩田さんが描いたら何が生まれてくるだろう?
岩田さんによる“ブラジルを日本画で”をやってみようかと、あちらでもこちらでも話が進んで、コミュニティから送り出して行くことになった。
例年なら、秋の院展(日本美術院展覧会)への出展のために制作に没頭する期間だが、今年はブラジル行きに懸けてみようと岩田さんも思ったようだ。

“岩田さんと旅”というので、想い起されるのは何十年も前、東京でお互い知り合ったばかりの学生時代のこと。
彼はどこへ行くとも告げずに、僕等の前から忽然と姿を晦(くら)ましてしまったことがあった。
携帯やスマホなんて無い時代、あちこち心当たりは尋ねてみたが全くの行方知れず、当時は気を揉むことしか出来なかった。
2,3か月後、これまた突然帰ってきて、小さな居酒屋に皆んなで集まり話を聞いた。
関西の著名な画家に師事しようと直談判に行ったこと、その願い叶わず放浪していたことなど話してくれた。小学校の低学年からずっと白いキャンバスに向かい続け、芸大に進学し、これからどこに向かって行こうとするのか、その模索が始まった頃のことだと思う。
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ブラジルのアズワンコミュニティに到着した岩田さん

今回のブラジルへの旅も、健康面から心配する声もあった。
数年前ALS(筋萎縮性側索硬化症)という難病が進行中と診断された岩田さん、現在左手が思うようには動かせなくなり、絵筆を握る右手も動かせる時間や範囲が日に日に狭まってきている。首や肩の痛みも常態化してきた。治療のため、隔週で点滴を受けているが、渡航中は中断しなければならない。その岩田さんが、往路だけで24時間以上のフライトがある長旅に耐えられるだろうかと。
3年前、滋賀の大学病院に今後の治療や生活について、一緒に相談に行ったとき、
「とにかく、よく食べて、健康に暮らしましょう。今の段階で治療薬はありませんが、医学の進歩も凄まじいです。必ず薬は出来ますから、その時を待ちましょう。それまで少しでもALSの進行を遅らせるため、しっかり食べて前向きに生きましょう。」
と、専門の先生から力強く励まされた。
昨年来、各種メディアでボスチニブという白血病の治療薬がALSにも有効では?との報道がなされ、京都大学IPS細胞研究所で今年の4月からその第2治験が始まるとの情報を得て、直接連絡も取ったりしてみた。結果的に、治験の対象者には成れなかったが、専門の先生が語ってくれた“その時”が直ぐそこまで来ていることを実感させてくれた。

“その時”がいつになるのか、それは誰にも分からない。
でも、それまでの一日一日をどう過ごしていくのかがいつも問われているのだと思う。 
今の岩田さんが最も生かされていくには、どうあったらいいんだろう?
“岩田さんをブラジルへ”というみんなの願いや、“ブラジルを日本画で”という岩田さんの意欲も、そんな中から湧いてきたのではないだろうか。
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ブラジルの岩田さんから、SNSを通して毎日絵が届けられる。
まるで一緒に旅をしているかのよう


あなたにとっての一枚の絵、masterpiece・マスターピースは何ですか?
と問われた時、浮かんでくる絵は・・・
僕には、“これ”というのがある。
それは、ゴッホでもモネでもピカソでもなく、申し訳ないけど岩田さんの絵でもない。
その絵はたぶん、もうこの世には無いのだが。
子どもの頃、僕は松本城のお隣というくらい、とっても近くに暮らしていて、毎日天守閣を仰ぎ見ていた。ある日、家族で絵具と画用紙を持って、お城の写生に行ったことがある。
珍しく父も一緒に来て、僕や兄が描いているのをぼんやり眺めていた。
その終わりがけ、徐(おもむろ)に父が僕の絵筆を取って、真っ新な画用紙にササッと色を付け始めた。
下書きは一切なしで、迷いなくどんどん色が塗られていく、あっという間に“お城”がもう一つ出来てしまった。その見事さに僕は圧倒されて、見入ってしまっていた。
「さあ、もう帰るか~」
と涼しげな顔の父。自分の描き上げた絵をくしゃくしゃと丸めようとしている。
僕は慌てて、それを奪い取って、持ち帰った。
家に帰るなり、母に頼んだ。
「この絵を額縁に入れて、部屋に飾ってほしい」
と。
母は、
「あの人は親の跡を継いで、この店の商売をしているけど、そういうのが無かったら絵描きにでも成っていたかも知れないねえ。その方がずっと向いていると思う。」
と言いながら、絵を居間に掛けてくれた。
その日から、その“お城”が僕にとっての松本城になった。
それから、毎日その絵を見ては惚れ惚れしていた。
友達が遊びに来ると必ずその絵を見せて、父が描いたんだ、その時の父はこんな佇(たたず)まいだったんだと自慢していた。
大学に行って、実家を離れてから何年か経ったとき、その絵は片付けられ、なくなっていた。
おそらく父が生涯で、たった一つだけ描いた作品。
もう、僕の脳裏にしかない、その一枚の絵。
理由とかは自分でもさっぱり分からないが、
それが唯一無二のmasterpiece。
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絵とか、音楽とか、芸術と呼ばれるもの、なぜ人間は、昔からそういったものを創作し、鑑賞し、遺してきたのか、ちょっと大きなテーマで簡単にどうこうとは言えないが、絵や音楽だけが芸術というのも狭い感じがしてならない。人の暮らしから生まれてきているものは、家事や仕事であっても、実は凡て芸術なんじゃないか、そんな気もする。
静かに見渡してみると、社会のあちこちに、暮らしの隅々に、古今東西のあらゆる人が創作し、練り上げ、磨き上げた芸術作品が無数に横たわっている。その宝の山の上で、僕らは生きている。
岩田さんだけがコミュニティの芸術家ということでもないだろう。
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ブラジルの市場にて。岩田さんのスケッチ

お弁当屋さんの何某も、ファームで野菜作っている誰それも、子どもの成長見守っているメンバーも、毎日みんなのご飯用意してくれているお母さんたちも、草刈りしたり修繕したり住居環境を整えているシニア達も、繕い物や編み物してくれるおばあちゃんも、実はみんなコミュニティの芸術家なのかもしれない。
それぞれが、もっと弄(もてあそ)び的にその道を極めたらどうなっていくだろう?
その人だからこそ出せる味、その人にしか添えられない色に彩られて、凛と香るその人自身が、その暮らしそのものが芸術・masterpiece(傑作)になっていくかな。
たった今も、コミュニティという縁無(ふちなし)の壮大なキャンバスに日々刻々と未知なる絵が描かれている最中とも見えてくる。まぁ多少の描き損じや、色の塗り間違いはあっても、元々いつでもデリートして真っ新に出来る私であり・あなたであり・キャンバスだから、気楽なもの。
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スケッチに勤しむ岩田さん

そんな百花繚乱の芸術家たちの中で、岩田さんは絵を描くことを得意、専門とする一人の芸術家。
9月8日に帰国予定。
ブラジルで描き溜めたスケッチを、2か月かけて日本画にして、11月18日~27日に3年ぶりの個展を開催する。そこに何を表していけるか、何が現れてくるのか・・・乞うご期待。
Don’t miss it !
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ブラジルで岩田さんを受け入れてくれているミノワ夫妻と岩田さん
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コミュニティ歳時記 8月号 【夏日寸描】

目を覚ますと、近くから遠くから幾重にも折り重なるように、
「ジジジジジジ~ジジジジジジ~・・・・」
と聞こえてくる。真夏の到来を実感する。
カーテンを開けると、一匹の蝉が網戸に飛んできて啼き始めた。
部屋全体を振動させるほどの大音量が響く。

仕事場に向かう道すがら、東の空には湧き立つ雲。
右手の田圃の稲は、胸の高さほどに生育し、稲穂が膨らみを増している。
鈴鹿カルチャーステーションの南側、全面ガラス窓の外には、見事な緑のカーテンが出来て、程よく陽射しを遮る。ゴーヤの実もたくさん見られるようになった。
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鈴鹿カルチャーステーション夏の風物詩「ゴーヤのカーテン」

(寸描・その1)
今回の鈴鹿コミュニティのツアー(1泊2日でコミュニティを見学し、その暮らしや人に触れられる機会)に参加したのは、Valerie MadokaさんとKarlaさん。偶然だが、二人ともドイツから来た。そのツアーの中で、ここでの暮らしが6年目になる韓国のフンミと、今サイエンズアカデミーで学んでいるタッキーと触れ合った時の一コマから・・・
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ドイツから鈴鹿コミュニティを見学に来たKarlaさんとValerieさん

フンミ
最近暮らしていて思うことは・・・
子どもを産んで育ててみたいなという気持ちが湧いてきて、それに向けて病院に行き始めたんだけど~・・・そう思うようになった自分も不思議で、自分一人だったら出てこなかった発想かも知れないな。お母さんから、「あなたを産んで育ててみて本当に愉しかったから、あなたにも経験して欲しいな」と聞いたり、パートナーが、「家の中に子どもが居る暮らしを一緒にしてみたい」と言っていたり、他にも何人ものコミュニティの人たちから声をかけてもらう中で、そういう気持ちが湧いて来たんですね~。
病院で担当の先生と会うのもすごく楽しみになってきて、次の予約の日時を話しているときでも、いついつとただ決めるんじゃなくて、「今のフンミさんなら、もう少し早く診た方が良さそうだから、この日はどうですか?」と先生の方から考えて言ってくれる。それは○○先生も、××先生も。なんか、私の身体のことなのに、私のことじゃないみたい。とっても不思議。
実際に子どもが出来るかどうかは先のことで分からないけど、そういう人たちの中で、私の中からそんな気持ちがポッと湧いてきて、それをまた皆が自分のことのように考えたり動いてくれているのが愉しいですね~

タッキー
昨夜、1年間のアカデミー生活を終えて出発する人の送り出し会があって、そうか、もう7月なんだと自分のこの間のことも思い出されて・・・
ちょうど1年前、僕は或るアカデミー生と大ケンカ中というか、とてもギクシャクした関係になっていて、顔も合わせたくなくて自分の部屋に閉じ籠っていたんだよね。
でも部屋に居ても悶々とするだけで、やっぱりみんなにも聞いて欲しいなと思って、アカデミー生のグループラインにメッセージ流したら、リビングに全員集まってくれた。
そこで僕が、「どうしていつも人の文句をチクチク、チクチク言ったりするの」って自分の思いを出したら、その人が、「ワタシだって、そうしたくてしているわけじゃない」って言い始めて、その後みんなでやり取りする中で、自分の中の何かが動いて“そうせざるを得ないものがその人の中にあって、今はそんな風な出し方になっちゃうんだな”って、初めて相手の方に関心が向かっていった。それまでは、“嫌だなあ”っていう自分の気持ちしか見えなかったけど、その人にはその人なりの世界があって、そうしているんだなあって・・・

Valerie Madoka
二人の話を聞いて・・・
ドイツで私は、ある地域づくりのプロジェクトリーダーをしていますが、時々感じることがあります。人にではなく、石に話しかけているようだと・・・
そういうお互いからは何も生まれてきません。
私がやっていきたいのも、やっぱり“人と人”のやり取りなのだと・・・今、そう感じます。

Karla
私は、半年間の交換留学生として神戸大学で学んでいますが、ドイツではたくさんのエコビレッジがあって、いくつかの場所には訪れて体験もしてきました。
どこのエコビレッジもイベントやフェスティバルが盛んです。そこに周りから、いっぱい人も集まってきます。その時は楽しかったりしますが、皆だんだんと疲れ果てていくようです。
フンミさんやタッキーがフォーカスして愉しんでいるのは、イベントやフェスではなく、日々の暮らしなのですね。
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鈴鹿コミュニティで暮らす「タッキー」「フンミ」との交流の時間

(寸描・その2)
ダイニングで一緒に食事をしていた5歳のサクトが、二本がつながった子供用のお箸を使っていたので話しかけてみた時のこと。

サクト
ぼくはねえ、まだ大人のはつかえないよ。
でもねえ、サラはつかえるよ。
あと、ハルもつかえるよ。
アカリは、まだつかえないよ。
・・・
一緒に育っているコミュニティの子どもたちのことを一人ひとり、喋っているサクト。
彼らは、どんなお互いなんだろう?
あの子は使えるけどボクは使えなくてダメだとか、そういうのは一切無いみたい、面白いなあ、でもそれがホントは普通なのかな。
啼き続ける蝉も、湧き立つ雲も、稔る稲穂も、もし隣りの蝉や雲や稲穂と比べて、いろいろ思っているとしたら、おかしくて笑っちゃうよな。

近くの公園でサクトが遊んでいた時のこと、プレハブの倉庫を工事のおじさんが造っていた。しばらく横に居て、見ていたサクト。
途中から、ビスをおじさんに一つずつ渡し始めた。
一本打ち終わって、さあ次という絶妙のタイミングで、サクトが、
「ハイ!」
とおじさんに手渡していく。
工事のおじさんもそれに応えて、
「ハイ!」
と受け取って、一本また一本とビスを打っていく。
結局、最後倉庫が完成するところまで、その二人のやり取りは続いた。
初対面のサクトと工事のおじさん。
その二人に通い合っていたものは何だろう?
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コミュニティで育つ「サクト」。お父さん達の真似?ミニ田んぼを作って稲作

(寸描・その3)
またまた別の場面。週に一回のファミリーでのミーティングで。

純奈
(開口一番)ああ、やっと皆揃ったから話せる~もう、みんなに話したいことがあって、さっきからずっとウズウズして待ってた~
奈々子
(中盤で)ああ、どうしよう。まだ話したいことあったぁ。続けて私ばかり話してもいいかな?昨日の夜からミーティングが待ち遠しくて・・・

40歳になっても、50歳になってもファミリーメンバーに話したいなあ、聴いてほしいなあって、そんな気持ちはどこから湧いてくるんだろう?
“ねえ、お母さんきいてきいて”
って、みんなそうやって育ってきたんだから、当たり前のことかな・・・

(寸描・その4)
Valerie Madokaは、建築家であり、映像作家。日本人の父とドイツ人の母の間に生まれた。ずっとドイツで育ったので、日本語は殆ど話せない。ドイツではお父さんも全然、日本語は話さず、教えてくれたこともなかったらしい。
今、鈴鹿コミュニティを題材に短編の芸術的な作品を創ろうとしている。
一緒に食事している時に、
「お箸の使い方、上手だね」
と言うと、
「お父さん、日本語は教えてくれなかったけど、お箸の使い方は教えてくれました」
と笑う。
「そうだ、納豆食べる?」
と訊いてみた。
「お父さんが食べていたことがあって、ワタシも試したことあったけど無理でした」
とのこと。
そう云えば、以前テレビの番組で、ありとあらゆる世界中の珍味を食べ尽してきたという外国人の猛者(もさ)が、納豆に挑戦するという企画をやっていた。自信満々で臨んだ彼だったが、匂いを嗅いだだけで速攻ギブアップした。
美味しいと言いながら納豆を食べている僕を、不思議そうに眺めるMadoka.・・・
まったく“好き嫌い”なんていうのも、いい加減なものだと思う。
ただただ、環境によって作られ、また環境によって如何様にでも変り得る。
どこまでいっても相対的なものなのに、自分の中での絶対的な価値観のようにしてしまったり、なんともアホなことをしている。
“良い悪い”も、“優越感劣等感”も、同じようなものか。全部自分の頭の中のこと。
“そのもの、その人”とは何の関係もない。
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建築家であり、映像作家のValerieさん。「コミュニティを映像で伝えたい」

Madoka・奈々子・直絵
3人が初めて会って、ダイニングで食事をした時のこと。
独語・仏語・英語はオッケーだけど日本語の殆ど分からないMadoka, 2年間のオーストラリアステイでも英語が全く操れないという直絵、20年以上ブラジルに居て日本語もポルトガル語も英語も全部中途半端と自認する奈々子、話が通じるのかなあと会う前はそれぞれに心配していたけど、夕食食べ終わる頃にはスッカリ馴染んじゃって、その後同年代の3人でまるで旧知の友人のように、はたまた姉妹のようにガールズトークに花が咲く。この中では一番、英語が通じると思っていた僕は、その展開の速さに付いて行けずに置いてきぼり~
この3人、つい1時間前までは、会ったことも話したこともないお互いだったのに。
このチャンスが無ければ、一生知り合うことも無かったかも知れないお互いなのに。
“人と人”って不思議すぎる~、何なんだろう?

地球の一隅・鈴鹿コミュニティでの夏日寸描(かじつすんびょう)。
どの寸描も、こうやって眺めてみたら、世界中のどこにでも転がっていそうな、ありふれた光景かも知れない。
ただ、それぞれ場面や人は違うけど、別々という感じがしないのは何故だろう?
目に見える現れは、どれもこれも違うけど、それが湧き立ってくる元はどこか繋がっているのだろうか。
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鈴鹿白子港から望む夏空

日日、姿を変えて湧き立つ夏の雲。
どこから、どんな風に湧き立ってくるのだろうか?
日日、表情を変える私たち“人”そして“人と人”
湧き立ってくる元にあるものは何だろう?
そして、
ポッと浮かび上がってくる
どんな姿も
どんな表情も
愛おしい・・・
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鈴鹿コミュニティで学ぶ、アカデミー生 【みんなで空を見る日常】
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コミュニティ歳時記7月号「大きな少年たち」

なだらかな階段を上り、堤防の上に立つ。
眼前に広がる大海原。
"Ach, es ist das Meer~"
感嘆の声をあげる3人の大男たちを、潮風がやさしく包む。
"Oh, es ist eine weiße Welle"
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※写真左からパトリック・アレックス・アンドレ(スイスから来訪)

あちらでもこちらでも打ち寄せる白い波に、“生きている海”を実感する。
まるで引き寄せられるかのように、Patricがテトラポットを伝(つた)って、砂浜に降りていく。ほどなくAndre、Alex、僕も後に続いた。
先に砂浜に着いたパトリックは、早々に靴と靴下を脱ぎ、スラックスを膝上までたくし上げ、やる気満々の風(ふう)。そこから、大男3人は瞬時に“少年”となって海と戯れ始めた。
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波打ち際に行って飛び跳ねたり、貝を拾ったり、釣りをしている子ども達に話しかけたり、1時間近く裸足で砂浜を歩いたろうか・・・
山に囲まれ海に面していないスイスの3人にとって、そこは格別の味わい愉しみがあるようだった。それが、単に見慣れぬ海のせいだけではなかったと気付いたのは、暫く経ってからのことだが・・・

パトリックとは青年期に、かつてない新しい社会を模索する道中で出会った。もう30年来の友人で、お互いの子ども達が同級生だったこともあって親交を重ねてきたが、こんなに弾けた姿を見たのは初めてのことだった。
放っておいたら、そのまま名古屋の港まで辿り着きそうな勢いだったので、
「さあ、大きな少年たち。そろそろ、帰ろうか~」
と声をかけた。

その前日まで、アンドレとアレックスは、鈴鹿で開かれた6月度アズワンセミナーに参加していた。観光やビジネスが目的ではなく、セミナーの1週間を体験するためだけに、遥々スイスから海を渡ってやって来たのだ。パトリックはその通訳として入っていた。
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※スイスの3人が参加した【6月アズワンセミナー】

アンドレは、スイスの地で、30年以上も戦争や諍いのない平和な社会を創ろうと活動し続けてきた人。そんな彼にとってもセミナーでの体験は衝撃的だったようで、
「今まで、頭ではそういうことだと分かっていたつもりのことが、初めてズシンと心に入ってきた。今までのことは今までのこととして、ここからは本当にゼロからやっていきたいんだ」
と“やさしい赤鬼”のような面持ちで心の裡を曝(さら)け出した。
37歳のアレックスは、同年代の人たちも学んでいるサイエンズアカデミーに惹かれるものがあったようで、
「スイスの仲間やパートナーに送り出してもらって、鈴鹿にまた帰って来たい。今の僕にとってはアカデミーで学ぶことが、本当の自分を取り戻していく最短の道なんだと思う。」と。そんな風に語る二人の瞳は、海と戯れている時以上に、少年の輝きを放っていた。
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※滞在中はアズワン鈴鹿コミュニティメンバーと会食をともにした

パンデミックもひと段落した気配の中、こうして国内のみならず海外からも、鈴鹿コミュニティに訪れる人が増えてきつつある。
SUZUKAファームの野菜仕上げ場でも、新たに入学したアカデミー生や体験・実習プログラムの参加者などで、大賑わい。

そんな中、或る“事件”が勃発!
10年以上前のファーム創設時からのメンバー・俊幸君が、その賑わう仕上げ場にひょっこり顔を出した時のこと。いきなり或る青年女子から、
「あの~初めて体験で来られた方ですか?」
と声をかけられたのだ。
「いや~、実は10年くらい、ここでやらせてもらってるんですけど~」
これには、一堂大爆笑。
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※SUZUKAファームの谷藤俊幸君と娘の「はなちゃん」

俊幸君は、主に 田んぼや畑の作付け・管理・収穫などを専門にやっていて、外回りをしていることが多く、仕上げ場にいつも居るわけではない。まあ、どこの職場や集まりでも新入社員とかが多いとき の“あるある”なんだろうが、とは言え笑える。
「ファームでこんな顔の黒い、日焼けした新人おらんやろ~」
とは、俊幸君の弁。
ちなみに、ファームで賑わっているのは人だけではない。トマト、キュウリ、ナス、ジャガイモなどの夏野菜が本格的に採れ出している。真っ赤な完熟トマトを皮切りに地元の愛用者たちからは、朝採り野菜が喜んで迎えられている。

コミュニティを最近何度も訪れている一人が日野進一郎さんだ。(通称・日進さん)
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※アズワンネットワーク岡山の「日野進一郎さん」もペンキ塗りに参加

先月歳時記で紹介した屋根のペンキ塗りでもコミュニティメンバーに混じって大活躍。
というか、誰よりもペンキ塗りを自分事として愉しんでいて、
「僕はこのペンキ塗り、やり終わるまでは帰りませ~ん」
と結局滞在を延ばして、最後まで見届けた。とても70歳を越えているとは思えない身軽さだ。
『日野環境デザイン研究所』の一級建築士でもある日進さんは、その前後も二度、三度と手弁当で岡山から駆けつけてくれて、コミュニティの建物・施設の設計を担当している。
「日野さん、やっぱりここのところ、もっとこんな風に出来ないかなあ?」
耕一君、龍君を始めとしたコミュニティ若手メンバーからの度重なる無理難題と思える注文にも、
「ああそれね、確かに面白そうですね~」
とか言いながら応えている。そんな受け応えを通して、日野さんの中から眠っていた何かが引き出されてきているのを感じる。
「もう、図面の書き直し、これで9回目ですね~・・・こんなこと今までなかったなあ~」
と嬉しそうに語るその姿も、まるで少年のよう。
熟練の技が、その少年の心と相俟って、どんな建物が建てられていくだろうか。
そして一昨日、
「こちらでは本山さんがダイニングの増設工事を始めますよ~!」
とメールしたら、
「そうですね。本山さんの姿を思い出したら、ウズウズしてきたので、こっちの雑用を済ませたら行きます!」
と返信が来た。日進さんの勢いも、留まるところを知らず。
まさに、『日進月歩』~

動物は“本能のままに”生きて、当たり前。
人間は“本心のままに”生きて、当たり前。
じゃあ、“本心”ってなんだろう? 
心からの欲求、意志、気持ちって、どんなものかな?

よく反発とか抵抗とか反骨とか嫌悪とか言ったり、聞いたりするけど、
“心から反発、抵抗、反骨、嫌悪してる”人って、自分を含めて見たこと無い。そんなこと出来る人、一人も居ないんじゃないかな。
何かに反発したり、抵抗することはあったとしても、“心の底から”って程のことじゃなさそう。実は、とっても表面的だったりして。
私が“心から”したいことって?
あなたが“心から”したいことって?
“少年のような心の人”は、本心と開通・直結している人の姿かな。
シンプルに、心からの欲求、意志、気持ちだけで、お互いに生きていける環境だったら、どんな一日を送るんだろう、そしてどんな人生になっていくんだろう。
それさえあれば、誰もが“本心のまま”に・・・
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海を見に行った翌朝、パトリックは始発の電車に乗りたいというので、5時頃駅まで送っていった。東京で一仕事して、夜のフライトで羽田からチューリッヒに飛ぶと言う。車中、この5月にアカデミーに入学したパトリックの愛娘Juliaの話などしながら。
「ゴツン!」
いつも、申し訳なく思うのだが、190㎝を優に超えるパトリックには、日本車は小さ過ぎて、降車の時にどうしても頭をぶつけてしまう。
改札の前で、
「パトリック、いよいよ7月にはスイスでのセミナーだね。」
と声をかける
「はい、そうですね~」
と飄々とパトリック。
「どうなるかなあ、楽しみだ~」
と手を振ると、
「そうね、なんとかなるでしょう~。またね!」
と悪戯(いたずら)っぽく笑って、踵(きびす)を返した。
7月17日から、ヨーロッパでは初めてとなるアズワンセミナー。
日本とスイスを行き来し何年にも亘る準備を経て、パトリックが開催する。
アンドレやアレックスのサポートのもとに。
このセミナーを端緒に、ヨーロッパの片隅から広がっていくであろう新たな地平。
その胸の内には、もう既に描かれているものがハッキリある、そんな足取りでパトリックは駅のホームに消えて行った。
「いずれアカデミーを出発したら、お父さんと一緒にヨーロッパでセミナーをやっていける人になりたいんだ。」
そんなJuliaの言葉が、大きな少年Patricの背中を押しているようにも思えた。
”Wir sehen uns wieder, Brüder”


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※スイスの風景 7月にはスイスでアズワンセミナー初開催の予定です。
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コミュニティ歳時記6月号 【日日是(にちにちこれ)…】

東京から、伸(のぶ)ちゃんが訪ねてきた。つい一昨日のこと。
京都旅行の帰り道に立ち寄ったので、コミュニティのカフェスペースで2時間程話しただけだったが。

エントランスに掛けられている岩田さんの日本画も鑑賞したかったようで、
「ねぇ隆、この線はどうやって描いたの?」
だの、次々と質問を岩田さんに浴びせかけては、
「あ~、作者に直接尋ねられるのってすっごいシアワセ!」
と悦に入っていた。
自らも絵を描くことをライフワークにしている伸ちゃんが、
「今、隆は毎日、毎日、絵を描いてるんでしょ?どんなモチベーションでやってるの?」
と尋ねる。
「以前は、こんな絵を描いてやろうとか、賞を取ってやろうとかあったけど、それって非日常的な動機だったよね。今は、絵を描くことが“日常”になってる。“日常”を描いているのかなあ~」
「へぇ~、そんなんだったら、どんな絵が描かれていくんだろう?」
二人の絵談義は終わることがない。その様子を僕は、ほくそ笑みながら見ている。
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コミュニティで絵を描き暮らす、画家の「岩田隆さん」

伸ちゃん、岩田さん、僕は学生時代に、“東京若人会”なんて云う、今から思えば、何ともダサいネーミングのサークルで活動をしていた仲間で、来る日も来る日もコロコロと兄弟姉妹のように戯れていた。話し出したら、直ぐさま、その頃の自分たちにワープする。
わずか2年にも満たない期間だったが、一生続く関係性が出来てしまうような日々だった。

「僕と岩田さんは今、コミュニティの中で一緒のファミリーなんだよ。」
と此処のことを殆ど知らない伸ちゃんに説明し始める。鈴鹿コミュニティは大きな家族のような暮らしをしているけど、その中に5つほどの“ファミリー”と呼ばれる集まりがあって、そのファミリーごとに、ミーティングしたり、食事したり、お互いのことを見合ったり、知り合ったりしている。僕らのファミリーでは岩田さんの絵の個展を開催したりもしたよ、この秋もやろうと思っている等々・・・
そして、話しながら、僕らはどんな“日常”を送っているんだろうと、改めて振り返って見ている自分がいる。

皐月の“さ”は、田圃の神様に捧げる稲とか、5月に植える早苗を意味するらしいが、この時期、田んぼは動き出す。
田植えはもちろんだが、それと共に蛙の大合唱が始まる。
コミュニティダイニングの窓から、道を挟んで2反ほどの小さな田んぼが見える。
夕食時、鈴鹿一帯の蛙がその田んぼに大集結しているんじゃないかと思われるほどの、オーケストラサウンドが響きわたる。
毎週木曜日の夕食は、僕らファミリーの出番で、ダイニングにやって来るコミュニティメンバーがゆったりと寛げ味わえるよう、その場を創っていく。老若男女が寄ってくる、最近入学したアカデミー生や、各地から体験や実習に来ている人たちの顔も見える、それだけでそこに行きたくなる。当番や担当感覚じゃなく、家族団欒カンカク~。
満足したみんなを送り出し、片付けが終わった後の、ファミリーメンバーでのお茶タイムも、また格別。他愛もないこと言い合って、聞き合って、時を忘れる。
「蛙って、田植えする前はどこにいたんだろう?」
「そりゃあ田んぼの中で、冬眠してたんじゃない?」
「でも、そうしたら、田植え前の耕運機のロータリーで死んじゃうよ~」
「ホントだ。じゃあ、どこかから田植えしたの見ていてやって来たのかな?」
「でも、田んぼにやって来る蛙の行列なんて見たことないぞ!」
取りあえず、ググってみる。
「え~、草むらとか山や森に居るって書いてある。」
「ここは、住宅街に“ポツンと田んぼ”だから、山や森なんて近くに無いし、草むらだって見当たらないじゃん」
話している内容は、どうでもいいようなことだけど、奈々ちゃんも、ルシオも、玲子ちゃんも、敏美ちゃんも不思議と子どもの頃のような好奇心が湧き出してくる。

後日、その田んぼの横を通った時のこと。斜め向かいの橘公園で三歳のあかりちゃんが、ちょうど遊んでいるのを見かけたので声をかけると、
「ほら、この木のこぶのなかに、カエルさんいるよ~」
と指さし教えてくれた。
「ここの草のなかには、もっとたくさんカエルさん、いるよ~」
「ええ~~~、どこどこ?」
こんな街なかでも、カエルさんの居場所はいくらでもあるんだとそりゃあ驚いて、次の木曜日、ファミリーメンバーに伝えるのが待ち遠しかった。
「どうやったら、あの蛙の大合唱が止まるか、僕は発見した」と岩田さんは語り出したり、我がファミリーでのカエル研究はまだまだ続く。

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耕一君から送られてきたLINEのメッセージに応えて、次々と足場屋さんが組んでくれた階段を上っていく、アカデミー生も、子どもたちも。錆び落としから、錆び止め、そして終盤は各ファミリーで屋根に上り、一家総出でペンキに塗(まみ)れた。
ゴールデンウィークの1週間、晴天にも恵まれて、畳にしたら500畳以上の広さの屋根をシルバーのペンキ一色に塗り替えた。まさにシルバーウィーク?!
よく八木さんが言うけど、
「僕らはとっても大きな家に住んでいる。部屋はあちこちにあって、なが~いドライブウェイを歩いて、みんなのダイニングやリビングのあるSCS(鈴鹿カルチャーステーション)にやって来る。大邸宅なんやで~。」
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“自分たちの家の大きな屋根を、自分たちで葺きなおす”。
“自分たちで葺きなおすから、もっと自分の家になる”
合掌造りで有名な白川郷での、茅葺屋根の葺き替え。『組』とか『結』とか呼ばれる集まりがあって、村中みんなで、一軒の葺き替えを一日でやってしまうとか。
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そう云えば、母の生家は山間の村にあって、茅葺屋根だった。
祖父に、「おじいちゃん、雨や雪は沁みて家の中に入ってこないの?」と訊くと、「ほら、ここで囲炉裏の火を焚いているだろ。この煙が、屋根に上っていって、茅を乾かしたり、燻(いぶ)してくれる。そうすることで、丈夫な茅葺屋根になるんだ。だから、人だけじゃなく、牛や蚕さんのお家にもなる、心配しなくていい。」と言っていた。
そんな家の中で、安心して一緒に暮らすから、近くなる、親しくなる。

家族って面白いと思う。子どもからしたら、親や祖父母や兄弟姉妹を選んだりは出来ない。
たまたま、そこに生まれて、そこの家の子になり、一緒に暮らす。
近しいから、親しいから一緒に暮らすというのでもない、始まりは。
特別な日を送っているわけでもない、一日一日何の変哲もない日常を過ごす。
でも暮らしているうちに、家族になる。いつの間にか親しく近しくなって、一生揺るがない絆が出来る。
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今の“ファミリー”も、どこか似ている。
それぞれがそのファミリーを選んだわけでもなく、たまたまファミリーになっている。

そして一緒に暮らす、特別でない当たり前の一日一日を。

もともと、近しかったり、親しいのもあるけど、一緒に暮らすから、もっともっと近くなる、溶け合っていく。
そうしたら、もっともっと一緒に暮らしたくなる。揺るぎようのない“一つ”になる。
そのファミリーだけに留まらす、コミュニティ全体にそんな気風が充満していく。
そして、コミュニティだけに留まらず・・・
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僕は、“東京若人会”の活動後、両親が願っていたのとは全く違う進路を選択した。
大反対して、悲しんだり、泣いたりした母が暫くして送ってきた手紙が、今でも机の中にある。
「お前がその道と決めたのなら、最後までやり遂げたらいい」
親の凄さを知った。文末に書かれてあった、その一言は、ずっと自分の原動力の一つになっている。
どうなっても、何をしても、家族はいつまでも家族。母や父は絶対変わらずに、自分を見てくれる、愛情を注いでくれる、そうに決まっている、嫌われたり、見放されたりする筈がない、何をやらかしても大丈夫、意識とは違う心の底辺に漂う空気みたいなものが、いつも自分をふわっと動かす追い風になってくれた。

家族として、父や母、兄や祖父母と毎日一緒に暮らす中で、形成されてきた崩れようのない透き通った気流。
そこにポワ~ンと乗っかって人を見て、人と接し、人と暮らしてきた。
たくさんの友人・仲間ができ、兄弟姉妹・家族へと間柄が深まっていった。
親になり、自分の内からも溢れ、子ども達に注ぎ続ける、汲めども尽きぬ源泉があることを知った。それが“自分の子ども限定”ではないことも程なく分かってくる。

そして、今のコミュニティでの日常。
岩田さんの絵に描かれる日常、一人ひとりの持ち場に現れる日常、暮らしの中に浮かび上がってくる日常・・・
人知れずその一隅で、それぞれの舞台(ステージ)で、工夫を凝らし愛情を込めて舞い踊る“戯れの日常”から、滲み出てくるもの・・・
この一日、一日の暮らしは、どこに繋がっていくだろう。
溢れ出てくるものを、どこに向けて行こうか。
たとえ、どんなことがあろうとも、何かやらかしても、僕の“家族”は放っておかない、誰も放っておかれない。
一蓮托生、蓮(ハス)じゃないな大船か、日々是・・・

昨夜遅くに、“ファミリー”のグループLINEに稲ちゃんが写真を送ってきた。
「うちの田んぼの上、蛍がとんでる」
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光る蛍に、目を輝かせる、あかり、こころ、はな、なつき、うみ、たつみ、さくと・・・コミュニティの子ども達の顔が次から次へと浮かんでくる。
そろそろ、田んぼは初夏の賑わいだ。
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コミュニティ歳時記 5月号 【積み木遊び】

【積み木遊び】

小学校3年生の夏のことだったと思う。
当時所属していた少年合唱団の合宿があった。
毎年夏休みに、北アルプス燕岳の玄関口・中房温泉で開かれていた小学生50人くらいの恒例行事。ガードレールもない狭い砂利道を、何十分もバスに揺られて登っていく。
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そこは標高1,462メートルの高地。雄壮な渓流の脇にある山小屋風の大きな建物で寝泊まりし、さらにそこから長い階段を昇っていくと、立派な屋内温泉プールがあった。
様々な思い出が蘇ってくるが、肝心の合唱練習をした記憶が全く出てこないのに、笑ってしまう。

その夏、合宿最終日の前夜、山の天気は荒れに荒れた。
翌朝、外に出てみると、あれほど澄んでいた渓流が茶色の濁流と化し水飛沫(みずしぶき)に覆われ、大きな岩がゴロゴロ音を立てて流されていた。
僕らは、その凄まじさに歓声を上げた。
程なく、合唱団の先生たちから、伝えられた。
「山道で数か所、崖崩れがあった。今日は山を下りられない。」
僕らは、またまた歓声を上げた。
「もっと、ここにみんなと居られる。」
「やったー、何して遊ぼう。」
「先生、もう合唱練習しないよね!」
「・・・・・」
崖崩れが嬉しかった。
もう、そこからは愉しいばかり、パラダイス。
濁流見学に駆け回ったり、トランプや卓球をしたり、茶色で底が見えない温泉プールに潜って忍者ごっこしたり、テレビで高校野球を観戦したり、遊びたい放題。
何日居たのかは分からないが、途中食糧が底を突き、リュックを背負って山道を登ってきてくれた救助隊から、お握りをもらって頬張り、また歓声を上げた。

今の御時世なら、
『崖崩れで、中房温泉に取り残された児童たち、孤立無援状態に』
と全国ニュースになっていたような事態だったのかもしれない。
きっと、大人たちも大らかだったのだろうし、僕たち子どもは、ただただ喜んで遊び呆けていた。不安とか心配とか、皆無だった気がする。
何かあったみたいだけど、まあそれも大人たちが何とかしてくれるんだろう~、そんな意識があったかどうかは分からないが、丸ごと委ねて安心の胎水(うみ)にぷかぷか浮かんでた。
おそらく、誰もがそれと似たような経験をしてきているんじゃないだろうか。

「よく、こんな状況で、子どもたちは笑ったり遊んだりしていられるなぁ。」
そんな光景を目にすることがある。最近はとみに。その姿に驚いたり、と同時にどこかホッと安堵したりもするけど、僕たち人間の元々の本性って、その辺にあるのかなとも思う。
電車やバスに乗って、すぐ居眠りしてしまうのも、
水でも食べ物でも、すぐに口に入れてしまうのも、
どこで誰と居ても、そこの空気を吸って吐いて平気でいられるのも、
そんな本性の成せる業。
一日のほとんどは、そうやって油断して過ごしている。
自然や、社会や、ヒトのこといちいち疑っていない。
誰が運転しているかとか、誰がこれを作ったのかとか、
いちいち確かめたりしないで、力抜いて無防備に生きている。

“脱力” といえば
鈴鹿カルチャーステーションの真向かいに、子どもたちの体操教室がある。
大きなガラス窓があって、連日外から子どもの勇姿を見ようと親たちの人だかりができる。
ちょうど、正面が鉄棒で、気持ちよさそうに大車輪をしている男の子の姿が道を挟んで、目に飛び込んできた。
逆上がりするのだって、とっても力使うのに、なんと悠々と回っていることかと不思議な感じがした。
ずっと、“脱力”しているように見えて、観察してみる。
身体が鞭のように柔軟にしなっている。手もギュッと鉄棒を握り締めずに、何本かの指は浮いている。きっと体幹とか必要なところだけは効率的に働いていて、余分なところに力が入っていないのだろう。
我が身を振り返って、いちいち周りを警戒して防御して、全筋肉・心までカッチコチにしていたら、人生の大車輪は出来ないだろうなと思う。気持ちよく回り続けるのには、そしていつまでも遊び呆けるには、余計な力抜いて、油断して、本性のままにかな。
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さて、コミュニティのセンター的な位置にある鈴鹿カルチャーステーションでは“恒例”の改装工事が始まっている。2010年の開館以来、何度となく行われている改装工事。
何度か来訪される人たちからは、「また、どこそこ変わりました?」とよく訊かれることがあるが、その通りなのだ。
傍から見れば、なんと無計画な、なんと非効率な、と映るかもしれない。
確かに、もっと先が描けていたらこうしていたのにと反省することも多々あるので、それはこれからの課題にするとして、今回はこの春アカデミーに入学した韓国の5人や、それに続く青年たちの動きに向けての拡張工事が進められている。
手掛けているのは、コミュニティの大工、本山さん。
ここだけでなく、コミュニティの会社や施設、それぞれが暮らす家など、何かあったら、
「本山さ~ん」
と声がかかる。
「トイレが詰まっちゃった~」
「壁紙が剥がれてきた」
「エアコン取り替えてほしい」
「床にワックスかけたい」
「屋根の錆び落とししたい」
「・・・」
いつでも何度でもどんなことでも、そうやって声をかけられる、その安心感というか親しさと云ったら表現のしようがない。もう空気を吸うように当たり前になってしまっているけど、コミュニティの一人ひとりの心の中に、それは染み渡っている。
そして、そこに応えてくれる本山さんが居る。
これも当たり前だけど、「なんで、そんなことしたの」って咎められたことないなあ。
「どんな風にしたい?」
こうしようか、ああしようかと、打ち合わせしているだけでも心地よくて、愉しくなってくる。途中のいろんな変更にも、「はいよ~」と対応してくれるから全然難しくない。だから、気兼ねなく何度でも言えるし、訊ける。そして、最終的に直してもらったり、作ってもらったりして、満々満足~。
僕にとっては、頼りになる兄貴が、よしっ任せとけって、いつも大工道具担いで大家族の中に控えて居てくれている感じ。全面的にお任せ、お任せ~
HUB職場で一緒に仕事をしている八木さんは、
「いっぱい直してもらったけど、本山さんにお礼の一つも言ったことないわ~」
と笑っていた。そういう関係、そういうお互い。
こういう一人の人の存在って、ホントに大きいと思う。
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(コミュニティの大工、本山さん。1番左)
今の改装も、大の大人が寄って集って『積み木遊び』をしているようなもの。
「ダイニング広げたいから、隣の食品保管庫を空にしたい。」
「じゃあ、こっちの面談室を保管庫にして・・・」
「衣類置き場を移動して、あそこを面談室にリニュアルしよう。」
「衣類置き場の開き戸は、そのまま保管庫に取り付けられるなあ。」
「もっと広げたいから、廊下もダイニングにできないかな?」
「それなら、廊下にあった一時荷物置き場を、ここの倉庫の部屋ぶち抜いて移そう。」
「・・・・・・・・」
出るわ出るわ、名案、凡案、珍案、そして徐々に皆の中で浮かび上がってくるブレークスルーなアイディア。
5月の終わり頃、ひとまず完成予定だけど、どうなっているだろう。
その頃、訪れる人の眼にはどう映るかな。
積んでは崩し、また積んで・・・
積み木組むのも愉し、積み木崩しもまた愉し。

ちょっと機密情報になるけど、八木さんの【好きな動物は?】の答えは、【ヒト】。
積み木遊びも、ヒトとやるから面白い。
ヒトが寄るから、どんどん面白い積み木が出来ていく。
(周りに人が居るから緊張するとか、誰それの言動に不安になるとか)、
いつの間にか身に付いちゃった“有りもしない迷路”に嵌まるクセはあったとしても、
そこからスルリと抜け出てみれば、目の前に居るのは所詮ヒト、そのヒトが見えてくる。
あなたもヒト、わたしもヒト、ヒトとヒトが出会って、さあ何して遊ぼうか・・・
ヒトの中に居て、安心だから、積み木に遊び呆けていられる。
いつも周りにヒトが居るから、積み木が崩れることへの恐れがない、崩れても心配がない。
ヒトと一緒に流されて行くなら、清流でも濁流でもその愉しさに変わりはない。

僕の【好きな動物?】も、やっぱり【ヒト】です。
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コミュニティ歳時記 4月号

コミュニティ歳時記4月号
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迎えられる人

“18歳から成人に”
朝のニュースを見ていたら、そんな特集をやっていた。
明治時代から140年間、20歳からとされていた成人年齢が、民法の改正で2022年4月1日から18歳に引き下げられるという。
街角でインタビューに答える高校生たちは、戸惑いや不安を口にしていたが、その特集で扱っていたのは、どうやったら18歳の新成人が犯罪に巻き込まれないかということだった。
親の同意なしで、クレジットカードが作れたり、各種契約ができるようになるので、騙されたり、詐欺にあったりするケースが増えてくる。それに備えて、既に高校の授業では、悪質な手口に対しての対策とか、クーリングオフのやり方とかが組み込まれているという内容だった。
成人になる、大人になるというのは、どういうことだろうか?
そうなるために、周囲社会は何を用意していくことだろうか?

同じ日に、FBで“10年前の思い出”とかいう過去に自分が投稿した記事がアップされていた。時々、FBは勝手にそういうのを載せてくれていて、ほとんど見ることはないのだが、たまたまその日は覗いてしまった。
悠海ちゃんが短大を卒業する日の写真と、コメントが載っていた。

今日は悠海ちゃんの短大卒業式
彼女は、この2年間、コミュニティの中で学び暮らして来た。『おふくろさん弁当』でバイトして、大学の帰りには鈴鹿カルチャーステーションに寄って勉強したり居眠りしたり、弘子さん照子さん佳子さんなどいろんなお宅でご飯をご馳走になり、今日の髪結いも街の美容室の純奈ちゃんが、着付けは茶道教室の弘子さんが買って出てくれた。
四月からは就職し、栄養士として子ども達に、ご飯を作る。数キロ離れた所に住むけど、これからもコミュニティで見守っていきたい。

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あれから、10年。
もうすぐ悠海ちゃんは4児の母になる。
今は、コミュニティの乳幼児たちが育ち学ぶ場・チェリッシュの一役をやっている。
それだけでなく、各種ミーティングを設けたり、青年たちのお姉さん役をしたり、その場に悠海ちゃんが居るだけで、なにやら和んでしまう、和気藹々(わきあいあい)の語らいが広がっていく。

鈴鹿コミュニティで、【サイエンズアカデミー】が始まったのは今から4年前、2018年4月のこと。18歳から40歳までの青年たちに、その門戸を開いた。
ただし、その準備期間というか、前段階として、“サイエンズ留学”という場を3年弱用意していた。2015年7月4日から韓国と日本の青年2人でスタート、延べ50人ほどが集って、コミュニティを体験した。
悠海ちゃんが、青年としてコミュニティに来たのは、その“サイエンズ留学”が始まる5年ほど前ということになる。

ブラジルの青年Diegoが、やって来たのは2017年2月。
1年2か月、留学生として学び、その後3年間アカデミー生として学んだ。
彼は、明後日3月31日に5年ぶりにブラジルに帰る。彼を送り出してくれたブラジルのコミュニティのもとへ。
「Scienz Academy」 次の社会を創る人が育つ
片言の日本語しか話せず、周りからバカに見られないようにと背伸びしたり、お弁当屋さんは流れ作業で、あれはチャップリンのモダンタイムスと一緒だ、人間のやる仕事じゃないと批判するところから始まった彼の5年間、昨晩送別の会食をしたが、とにかく近くなったな~、回りから愛されてるなあ、抵抗するものがない気楽な相棒にお互い成ってきたなあ、そんな印象を持った。
どんな一歩をブラジルで踏み出していけるだろうか。
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昨年の秋から冬にかけて、アカデミーには、航平君、静香ちゃん、理恵ちゃん、梓ちゃんの4人が新たに加わり、渡航制限の解除で待望のジョンインも韓国から合流、そしてこの3月で直絵ちゃん、彩ちゃんの二人が出発する。

自分のやらなきゃ、やりたいを聴いて応えてくれる人
固くて重いものでも砕こうとしない、壊そうとしない
そのまま丸ごと受けてくれる柔らかさ
その人の中につるっと入って
いつの間にか自分が、人が、というのも溶けていく
その人を通して広く人の中に深く溶け込んでいくような感覚
大きなものにおさまっていく安心


出発の発表会で二人からは、ずっと大きな懐に抱かれて、安心のなかで暮らしてきた実感が伝わってきた。コミュニティペアレンツを始め、本当に彼女たちを、丸ごと聴いてくれる人、受け容れてくれる人が彼方此方(あちらこちら)に実在していたんだなと思う。
こうしなくちゃいけない、こうあらねばならない、そういった捉われやキメツケから、どんどん解放されていく。これだけは言えない、そんなことは知られたくないと自分の中で頑なに握りしめていたことも、いつの間にか緩んでオープンに、何でも軽く出せる人に成って自らを開放していく。そうしたら、むくむくっと本心が顔を覗かせてくる。
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3月24日~28日には、ユネスコ認証教育プログラムGaia Youth が鈴鹿で開かれて、アカデミー生もそのスタッフに入った。20歳から27歳までの参加者に、スタッフに入ったアカデミー生・たっきーの心境。

どんな人とも、溶け合える。
誰とでも通じ合える。

そんな人になりたい。

そして、明るく照らせる人に。
その人といたら、本心が丸見えに。
気にしてたことが、バカみたいになったり。

そんな人になりたい。

みんなの話を聞きながら、そんな思いが出てきた。

一緒に過ごしてきた4日間。
素直さに、純粋さに何度も何度も心が温かくなる。
みんな、ポカポカ浸かってる。

ツアーでアカデミー生との交流。
みんなに紹介したかった、僕の兄弟たちだな。

明日で最終日。
ここから、みんなの新しい出発。
1人1人に、何かが湧いてくる。

こういうのって、種まきだなって思った。
その人の中に眠っているものが、にょきにょき出てくる。
いつ、芽が出るかはわからないけど。
種まきというよりは、水やりか?

暖かい、暖かいって言ってる参加者がいた。
何を感じてるんだろう。

鈴鹿での試み。
そうちゃんが言ってたみたいに、今までの人類史上、成し得なかったことを、今ここでやろうとしている。
ここの気風に触れて、今までにないものを感じて、それぞれの中が変化していく。
たった5日間だけど、ぐーっと進んでいくような。



これまで、コミュニティがアカデミーという場を用意してきた。
コミュニティのメンバーが、アカデミー生を包んできた。
それは、これからも変わらないだろうが、今、新しい流れが生まれつつある。
アカデミー生自身が、アカデミーという場を作り、
アカデミー生たちが、新しいアカデミー生を生み出し、包んでいく。

4月8日には、韓国から新たに4人の若者たち、ダジョン、スジョン、ミンジュ、スルギがアカデミーに入学してくる。
その後、日本からも世界からも続々と・・・

“溶け合える人” に、成っていく。
“迎えられる人”に、成り合っていく。
アカデミーの本領発揮。
5年目を迎えようとする今、その水口(みなくち)が切られた。
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コミュニティ歳時記 3月号

【北帰行】

「ばぁば、ばぁば」と呼ぶ声が響く。

鈴鹿カルチャーステーションの玄関で、夕食前の5時頃のこと。
呼んでいるのは夏輝(なつき)。数か月前から一人で歩けるようになって、言葉もたくさん出てくるようになった。その名の通り、産まれたのは夏真っ盛りの2020年7月。韓国から留学生として来ていたジンちゃんと、博也君との間に誕生した日韓のハーフだ。韓国名はパク・ハフィ、ジンちゃんを見たら「オンマー」とスタスタ駆けていく。
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呼ばれているのは千恵さん。血の繋がりのある祖母ではないが、この1年半、ずっと夏輝に付きっきりの“ばぁば”だ。もう夏輝と云えば千恵さんなのだ。
この時間帯、コミュニティ・ダイニングでは小さな子ども達とシニアの人たちが夕食を共にすることが多い。すると、夏輝は通りかかったり、出会ったりするシニアの一人ひとりを指差しては、「ばぁば、ばぁば」「じぃじ、じぃじ」と呼ぶ。
呼ばれた方も満更ではない。「はーい、夏輝!」「おー、夏輝!」と一日一日、その成長を肌で感じながら、食卓も賑わい、自然と食も進む。
もしかしたら夏輝の発する言葉の中で、圧倒的に「じぃじ、ばぁあ」が多いのではなかろうか。
そして、いったい夏輝の瞳には、千恵さんやシニア達、その周辺が、どんな風に映っているのだろうか?
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「韓国からお母さんが荷物送ったと連絡来たケド、まだ届いてナイ?」
フンミが鈴鹿カルチャーステーションのインフォメーションに来て、訊いてきた。

「まだ来てないなあ、届いたら連絡するよ」
「ウン、早く来ないカナ、早く来ないカナ・・・」

と、まるで小さな子どものように呟きながら帰っていく。
フンミに限らず、ここインフォメーションに郵便や荷物を届けてもらうようにしている人が多い。朝から晩までここは開いているから、時間指定しなくていいし、その時だけ家に帰って待っていなくていいし、とても快適なシステムだ。
届けられる自分たちだけでなく、届ける側にとっても“やさしいシステム”で、再配達の手配やその手間も省ける。このエリア担当の宅急便のお兄ちゃんなんかは、だんだん事情が分かってきているので、
「家に届けたけど○○さん居なかったので、こっちに持って来ました~」
なんて、ちゃっかり荷物を置いていくこともある。

さて、フンミである。

2,3日後に大きな段ボールが送られてきたので、連絡を入れるとスッ飛んできた。
「ワ~、来た~。来た~」
満足げに段ボールを紐解きながら、
「みなさ~ん、中を見たいデスカ~?」
と、ちょうどインフォメーションの職場の打ち合わせをしていた美映さん、奈々ちゃん、僕の3人に向かって満面の笑顔で言う。どうも見せたくて仕方がないようだ。
「見たい、見たい~」
と、美映さん、奈々ちゃんが応える。
「それじゃあ、見せてあげまショ~」
と得意げなフンミ。
「これが乾燥させた荏胡麻(エゴマ)の葉っぱでショ~、こっちはやっぱり乾燥させた大根の葉っぱでショ~、これはタオルで~、おっとこれは下着~ハハッ・・・・」
と次々、一つ一つ袋を開けて中身を見せながら、丁寧に説明していく。
「そんな物まで送ってくるんだ。母の愛だね~、それも母の愛だね~・・・」
美映さんは、何度もそう言いながら嬉しそうに見入っている。
ひとしきり4人での鑑賞会を堪能して、荷物をまとめて帰路に就こうとするフンミ。
「フンミ、それ20㎏以上あるよ。僕が車まで運ぼうか」
「いえ、ジェンジェン大丈夫。ワタシが運びます。」
なんだか、その重みを喜ぶようにフンミは段ボールを抱えて出て行った。
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ダイニングの隣にはコミュニティスペースJoyがある。
その一角に、毎日SUZUKAファームからの野菜が届けられる。
白菜、キャベツ、大根、小松菜といった冬野菜が届くようになってから、そのスペースが整然として一段と映えるな~と感じるようになった。

クリアな空気が、ファームから流れ込んできているかのようでもある。そのせいかどうか、みんなの食べる野菜の量が増えてきているねという声も聞かれた。
そんなある日、たまたま野菜が届けられる瞬間に出くわした。
届けてくれているのは、ファームの月岡さん。

野菜を一つ一つ、コンテナに並べていく。なにか一つの作品でも創り上げていくかのような、静かだが凛とした佇まいに魅せられてしまう。
驚いたのは、白菜もキャベツも大根も、もうそのまんま齧れるんじゃないかというくらいに、土を落とし、外葉などを取り除いて綺麗に仕上げてきていること。届くまでに随分と手間がかかっているのが見て取れる。

言ってみれば、ここはコミュニティの自家用スペースだから、スーパーなどで販売するような見た目のクウォリティは求められていない。
なのに、月岡さんはなぜ、そこまでして届けてくれるのだろう?
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故郷の幼友達がSNSに、安曇野の犀川に越冬のために来ているコハクチョウの写真や記事を時々載せてくれている。そしてちょうど今時季、彼らの北帰行(ほっきこう)が始まっている。

向かうのはシベリア。

そこで繁殖し、また初冬に増えた家族と共に安曇野に帰ってくる。
誰もがどこかで目にしたことがあるであろう渡り鳥たちのⅤ字飛行。
何千キロという大いなる旅路を、安全に快適に仲間たちと成し遂げていくための究極のスタイルだという。ちょうど北京オリンピックのスケート・パシュートで、後方の選手の空気抵抗が少なくなるとか、先頭の選手は時々交代して負担を減らすとか解説があったが、鳥たちはずっと昔から、そうしているみたいだ。

規則や当番制も無いのに、否(いな)、そういうものが無いからこそ、見事なⅤ字を編成し、毎瞬毎瞬、気流や空気抵抗、前方の羽ばたきに応じた動きをし、適切な交代をしながら、みんなで遥か彼方の目的地へと飛んでいく。近年、科学者たちは最新のテクノロジーを駆使して、その謎を解明しようとしているが、彼らの想像をはるかに超えた鳥たちの機能や関係性が続々発見されているとのこと。
『鳥たちは互いに、仲間の鳥がどこにいて何をしているのか本当によく理解しています。
何よりそのことに深く感心しました。』
と、或る科学者は語っていた。

それにしても、安曇野・松本と云ったら、雪はそれほどでもないが、高地であるが故、冬の冷え込みは極めて厳しい。そこに越冬のために来るコハクチョウ、シベリアの冬の寒さは如何ほどであろうか。そして、暖かい春の訪れを喜ぶ人間をよそに、そこをサラリと飛び立ち、遠くシベリアへと繁殖のための帰路につく群れ。

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極寒だからと言って、力尽くで領土を広げたり、戦闘に打って出なくても、行きたいところに出かけて行って、温かくその地でも受け入れられ、また時季が来たら惜しまれ見送られるなか、悠々と帰って行ったり、鳥みたいに人間も自由自在にやれないものだろうか。

私たちが、回帰したい場所はどこだろう?
鳥たちは本能でそこを知り、自らに備わる能力と仲間との結束で、帰るべき場所に帰って行く。
私たちが、回帰したい“心の住処(すみか)”はどこだろう?
どうやって、そこに帰って行くのだろうか?

2009年11月、今ダイニングやJoy、インフォメーションのある鈴鹿カルチャーステーションの構想を学者研究者の方々と描いたときに、初めて鈴鹿を訪れた京都大学名誉教授の内藤正明さんやドイツのハーン博士から、
「この辺りはホントに何の変哲もない街ですね。目立った文化遺産もないし、風光明媚というわけでもないし、洗練された街並みでもないしね。新しい魅力あるコミュニティ造るなら、もっといい場所があるでしょうに。」
という意見をもらったことを思い出す。

確かにな~、ここには人を惹きつけられるような物理的な魅力は殆ど無いし、なかなか造ることも出来ないなあとずっと思ってきた。
でも、誰もが帰って行きたくなる“心の住処”を、ここで創っていこうとしている今なのかなとも思う。

鳥たちがその本能で、当たり前のように飛び・輝き・奏でる美しい世界。
本能プラス知能まで備わっている人間だったら、もっともっと華麗に飛んで、
もっともっと優美な世界が奏でられるはず。
きっとそれが当たり前。
それも普通の人たちの結集で。

「なっ、夏輝!ハフィ!」
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