私は、何によって生きているのだろうか?

「人生を知るためのコース」では、「人が生きている」とは、どういうことだろう?、と、思いや感覚的なものでなく、具体的に「人が生きている」ことの実際について調べていきます。自分たちの頭を使って調べてみると、「自分そのもの」「人そのもの」が見えやすくなり、自分の周囲の多くの人たちについて、「その人そのもの」を理解しようとする気持ちが自然と湧いてくるようです。
5月「人生を知るためのコース」に参加した人の感想レポートを紹介します。
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◆人生に希望が見えた
先ずは「本来の人間」や「本来の社会」というものを、私はそもそも「知らない」ということ。
そして、これまでの知識や経験の積み重ねの中で「知っている」「分かっている」気になって、それをもとに考えをこねくり回しているに過ぎないという自覚をもつことから始めることなのだなということが見えてきた。
「知る」ことを通して観えてくる人間、社会がどのようなものになっていくか、自分自身もそのあらわれの一部となって楽しんでいけたらと思う。
現状においても、人間のつくり出した考えや概念によってゆがめられているとはいえ「この人生の途中の今、なぜにここにいるのか?」というテーマを探究する中で観えた「今、この場所にこの人たちと、このような状況になっている、あらゆる要因、働きの不思議さと間違いのなさ」は、全く否定しようもなく、ただただ「本心」に沿った人の営みの過程にある、今のあらわれなのだというところに立てた。
ついつい意識上のあらわれに囚われ、自分自身や人と人の間に隔たりや縛りを作ってしまう、今の人間社会のありようだが、自覚をもった個人が本心からの願いに沿って自分を知り、人を知り、そんな人と人との間でその人らしさを発揮し始めたら、自ずと本来の人間の営みがあらわれ出るだろう。
その実際に思い至るとき、「私だけの独自の人生」という視点ではなく、あらゆるものの営み、ここまでのいのちの営み、ヒトの人生が、いろんな形で響き合い、織り成して今があるのだなぁと思う。
これから開かれていく人生に希望が見えた。(40代男性)
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