研鑽科学第2号の紹介

『研鑽科学』第2号の紹介です(11月28日発売予定)。
第2号は、「心の健康」のテーマで構成されています。
 人が望む健康は、単に身体的な健康感や、社会的な活躍、長寿を期待するものでもないのではないか、本当の意味での健康とはどういうものだろうか?
そういうことに焦点をあててみての研究発表です。
 研鑽科学研究所では、根源的な健康には「心の健康」が欠かすことのできない要素であり、それは幸福と密接につながっているのではないかと捉えています。また、すべての人が健康な心で人生を送れるような実践活動を趣旨としています。
 そういったところから、今回は研鑽科学サロンで発表された「自分を観るということ」(自分を知るために)~井川氏発表~と、「心の健康と社会システム」~小野氏発表~の2編を取り上げました。
 また、その発表のベースになった研鑽ライフセンターの「内観コース」を取り上げ、内観体験者の座談会の記録も編集しました。
 今回は約100ページ、岩田氏のレイアウトと装丁で、すっきりとした構成で、大変読みやすいように思います。本としても、一段とグレードアップです。
 1冊1,000円です。問合せ、連絡先は下記です。
研鑽科学研究所出版部  E-mail publish@kensanscience.org
                 FAX 059-375-1561
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シンポジウムが開催されました

11月23日(月)、鈴鹿の清和公民館にて、シンポジウムが開催されました。
『足元からつくろう 循環共生型コミュニティ』
     ~「食」からはじまるサバイバル作戦~ と題し、
環境研究で知られる内藤先生、ドイツの空間設計研究で知られるハーン先生、水系デザインの研究で知られる神谷先生の3名の研究者の講演を聞きました。
一方通行ではなく、循環していく暮らし、循環しているコミュニティというものが、今の環境問題を解決していく糸口になるようでした。
そして、このような研究を元に、鈴鹿で「SUZUKA CULUTURE STATION」を考案、
どのような中身で、どのように進めていくかなど、坂井氏、後藤氏により問題提起されました。

いずれも、『人』の要素がかなり大きいようです。
どのような人が、どのようにつくっていくか・・・、
みんながよくなるコミュニティ、その実現へ向けて一つ踏み出したようです。
詳しくは。後ほどHPで紹介予定、乞うご期待・・・。

以下は、シンポジウムのパンフレットです。参照ください。
シンポジウム 足元からつくろう循環共生型コミュニティ
「食」からはじまるサバイバル作戦

 地球温暖化問題が顕在化する中で、日本は2020年までに温室効果ガスの排出=エネルギー使用を25%削減(1990年比)することを世界に公言しました。地球環境問題は、すでに京都議定書以前から科学者が指摘し、またマスコミでも幾度となく取り上げられてきましたが、では実際に日々どうすれば解決につながるのか、一般によく分からないという声が多く聞かれます。
しかしこのまま問題を先送りするわけにはいきません。このたび鈴鹿の街角から、市民・企業・農林業・建築家・学者等が一体となって「食」をキーワードに循環共生型コミュニティづくりがスタートすることになりました。なぜこのプロジェクトが必要なのか、どんな方向性か、そしてその方法など、専門家の立場からの提案を聞いて、自分たちの足元を見直し、今後の実践を描く機会を用意しました。ご参集ください。

               記

●2009年11月23日 (月・祝日)12:30pm開場
 13:00 第一部 シンポジウム
  趣旨説明 鈴鹿を循環共生型のコミュニティに    小野雅司
                            (研鑽科学研究所)
  あいさつ  農に根ざした新しい文化を       杉本信之
                (鈴鹿市議会議員・鈴鹿身土不二の会代表)
  基調講演 「なぜ循環共生型コミュニティなのか」   内藤正明
       (滋賀県琵琶湖環境科学研究センター長・KIESS代表理事)
  講演1 「五感と心を磨く新しい建築と街の設計」エクハルト・ハーン
            (ドイツ・ドルトムント大学空間設計研究所所長)
  講演2 「水系そして雨水の恵みを生かす」    神谷 博
              (設計計画水系デザイン研究室 代表取締役)

 15:15 休憩 
 15:30 第二部 
  問題提起 「Suzuka Culture Stationの提案」  坂井和貴・後藤健
                      (研鑽科学研究所・KIESS研究員)

 15:50 質疑応答・懇談会
 16:30 終了                    (以上敬称略)

●会 場:清和公民館 ℡:059-379-4140 鈴鹿市算所5丁目21-1
●参加費:500円 当日会場にてお支払いください。
●申込み連絡先:NPO法人研鑽科学研究所
        Fax:059-375-1561  E-mail:info@kensanscience.org 
●主 催:Suzuka循環共生Party NPO法人研鑽科学研究所
●共 催:鈴鹿身土不二の会
   NPO法人KIESS(循環共生社会システム研究所・京都市左京区)




〔講師プロフィール〕


内藤 正明1939年大阪府生まれ。京都大学工学部卒業、1969年京都大学工学博士、環境システム工学(専門)。1969年京都大学助教授、国立環境研究所総合解析部長、統括研究官を経て、京都大学大学院工学研究科教授。京都大学名誉教授。2004年より佛教大学社会学部公共政策学科教授、2005年より滋賀県琵琶湖環境科学研究センターセンター長を併任。
最近の主な仕事:持続可能社会のビジョンと実現シナリオの提案、滋賀県・京都市・京都府など各地方行政に対して、持続可能社会づくりの計画策定を支援し、さらに現場調査や市民意識調査に基づきながら、ビジョンの実現方法の提案を行っている。特に滋賀モデルは国際的な場でも紹介され世界的にも注目されるなど、国のビジョンと対置される、代表的な社会モデルとして評価されている。
エクハルト・ハーン
1942年生まれ。ドルトムント大学空間計画研究所所長(教授)。ベルリン工科大学で建築・都市計画を学び、同大学助教授を経て、都市計画事務所エコシュタット代表を務める。1980年代に「エコロジカルな都市再編」の理論を掲げ、建築物から近隣地区、市街地レベルまで様々なプロジェクトを指揮する。80年代~90年代以降、EUのアドバイザー、プロジェクトリーダーを務めながら各地で近隣や都市などさまざまな地域レベルにおいて、生態系の再活性化をはかる都市計画や町並み作りにかかわっている。
神谷 博
1949年東京都生まれ。1977年 法政大学工学部建築学科を経て同大学修士課程を修了。1977年 ㈱大谷研究室にて大谷幸夫氏に師事し、1986年 ㈱設計計画水系デザイン研究室設立 代表取締役
法政大学兼任講師 日本建築学会・雨の文化と生態小委員会委員
水を手がかりとしたエコロジカルデザインを主題に、建築、造園、土木、都市計画全般の設計監理に携わっている。
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研鑽科学第2号 もうすぐ発売

「研鑽科学」第2号 11月28日に発売 定価1000円
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 昨日、11月20日に最終チェックを終えて、印刷屋さんに入稿しまた。
 今回はI氏に全体の構成・装丁などを見てもらい、とてもすっきりした体裁の内容の濃いものになりました。
「これはいいですよ、バッチリですね」とある青年のお褒めの言葉もいただきました。
今回もいろいろな方の協力のもとで、なんとか手ごたえのあるものが出来上がりました。
写真のことなど、さまざまな課題はありますが、是非読んでいただきたいです。
そして、いろいろと意見をお寄せ下さい。
また、読んでみて手ごたえを感じたら、多くの人に知らせて下さい。
28日、待ち遠しいです。
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韓国交流旅行 目次

↓クリックするとその記事のトップに移動します。
韓国交流旅行 レポートPart1 ~一日目~
韓国交流旅行 レポートPart2 ~二日目~
韓国交流旅行 レポートPart3 ~三日目~
韓国交流旅行 レポートPart4 ~四日目~
韓国交流旅行 レポートPart5 ~四日目<その2>~
韓国交流旅行 レポートPart6 ~五日目~
韓国交流旅行 レポートPart7 ~最終回~
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韓国交流旅行 レポート Part7 ―最終回―

11月1日 ―日本への帰途―


さすがに疲れのピークに来ていた私達は、インチョン空港に向けてのバスに乗るなりぐっすりと眠っていました。
そして、小野さんの声で目を覚ます。「インチョン空港だ!」
小野さんも今目覚めたようで、ひどくあわてて荷物を持ってバスを降りる。

私は頭がガンガンして気持ち悪く、ひとまず、着いた空港のベンチに座った。買いそびれたお土産もあったので、一休みしたら見て回ろう…

そうしてしばらく休んでいるうちに小野さんは空港内を見回ってしっかり「韓国焼酎」を手にして戻ってきた。「2Fにセブンイレブンがあったからそこに醤油もあるかもよ」

やっと歩く気になりエスカレーターを上った。小野さんが、「先行って見てて。僕は飛行機のことを確認してから後で行く。何か名古屋行きの案内が見当たらないんだよなぁ・・・ちょっとそれが気になるから」

2Fの奥にあるセブンイレブンに入り醤油なんてコンビニにあるのかなぁと思いつつ見るが、小さなコンビニにはやはり見当たらず、出ようと自動ドアに・・

あれ?開かない・・・ドアが開かない。
え?どうやって入ったんだっけ?おかしいなぁ?手で真ん中の隙間に指を入れてこじ開けようとしても、足で飛び上がって踏んでも、開かない!!

レジを見ても店員いない。小さな店内くまなく回っても人影なし。やっぱり出入り口はここだけなのだが、出られない!ガラス張りの入り口で何やら異常な雰囲気の人がドアを開けようとしているので、外から人が集まってきた。通りかかった警官みたいな人も。みんな開けようとしてくれるのだけど、開かない・・

人を呼びに行ってくれたのか、店内に一人取り残され不安がよぎるその時!!

血相を変えて小野さんがドアの外に走って現れた。私がちょっと安心したその瞬間、小野さんがこう言った。

「間違った! ここ、キンポ空港だ!! 僕は手を打ってくる!」
そう言って走り去る。

「???・・・!!!!」

同時に起こった二つの出来事に頭が処理しきれず、おしっこ我慢できない子供のように小さい店内をぐるぐる回る。

どの位時間が経ったのか分からないが(たぶん5分もない)何人かの人がセブンイレブンの店員と思われる若い女性を連れて来てくれた。そして店員が外から鍵を開けて扉が開いた!

と同時に、猛烈ダッシュで空港出口に!
小野さんが手招きをする方向に走り、そして待機していたタクシーに乗り込んだ。


タクシーの運転手に
「我々はミステイクをした、インチョン空港に行きたかったけど、ここキンポ空港で降りてしまったのです。」と英語で説明、飛行機の出発時間を告げる。運転手さんは、140キロ位のスピードで有料道路を突っ走ってくれました・・・私はタクシー内で妙にぐったりとして会話する力が出ませんでした。


こうして遅れたけれどインチョン空港で無事チェックインを済ませることができました。(帰りの飛行機は二人別々の席になってしまったけど)

ソウルから満ち満ちた心持ちでバスに乗った時、まるでこの旅が終わったかのようにいたところから、大どんでん返しが待っていたのでした。


非常事態の混乱が落ち着き、軽く買い物をして搭乗入り口へ向かいました。
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飛行機の席に座ったら、小野さんが、「こっちがすごくいい席だから替わろう」と言ってくれて、2Fに行くとそこはビジネスクラス。チェックインが遅かったせいか。とっても快適に横になることができました。小野さんのやさしさと体力に感謝!

いろいろあった今回の旅行ですが、サンヨンさんはじめ、会った人、お世話になった人のことがたくさんあって胸がいっぱいでした。(夫婦でもこんなにずっと一緒にいたことは初めて!)

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韓国よ、又会う日まで!



帰ってきても、韓国で出会った人達が自分の中で薄れることがなくて、こうしてレポートを書くことで、より鮮明になった気がします。(帰ってきて2週間経つ)

実際にもトンシン君が今月末にもここ鈴鹿研鑽コミュニティーにやってきて交流することとなったり、研鑽ライフセンターの合宿研鑽会に参加する人が出たり、もっと知りたいという人がいたり、何かが動いたのだろうと感じます。

Kensan Network International 、「何のこっちゃ」と思う人もいるかもですが、難しいことではないんだ、ということが今回の旅で私が思ったことです。

人と人が素直にかよい合う、そういう中で、もっと「ほんとうに」と欲する気持ち。そしてお互いにつながり、心が動いた分、形に、動きになっていく人の活動。


これから、更に人の動きがダイナミックになってきそうな気配です。出向いたり、迎え入れたり、その時に用意するもの、要となるものは何か、と思います。行き来はしても、これがないと、人と人が通い合わない。そういうもの。
もともと人にあるもの、なのかな。


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パウグンマウルの人達と

― 完 ―
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韓国交流旅行 レポート Part6

11月1日 ―五日目―

とうとう出発の日。

AM7:00過ぎに起床して、着替えや片付けを済ませる。
水曜日の夜こちらに着いてから気温は暖かく、とても過ごしやすかった。韓国は日本より寒いだろう、と日本では半そで半ズボンだった小野さんにも長袖を用意してきたのだが、暑い、暑いと言っていた。
しかも、部屋の中は"オンドル”という床暖があって大変暖かく、小野さんはじっとしていられないほどで、オンドルは後半切ってもらっていた。

昨晩寝る前に、ゆきちゃんが用意してくれた漢方系のドリンクと豆乳を頂いて、いよいよお世話になったサンヨン・ゆき夫妻のペンション「ウリコチャリ」を後にします。一家に触れてみて感じることも多く、月並みな言い方だけれど、すごく「近く」なりました。

次に会えるのも近いうちに――
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ユナンさんに、昨日来たバスターミナルまで送ってもらい、そこからバスでソウルの新村というところに向かいました。約90分の乗車。
日本のバスより、何というか・・・おじちゃん運転荒ーい。
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さて、今日の私達の心強きガイド、キム・トンシン君、26歳。
「この言葉は日本語で何と言いますか?」と、いろいろ聞いてきて、ガイドと日本語の先生をお互いにやり合うって感じです。
彼のおかげで、到着したバスターミナルから、5分ほど歩き、最寄の地下鉄駅からソウル駅までスムーズに移動しました。重い荷物もあるので、本当に助かりました。
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地下鉄で。日本語を熱心に聞くトンシン君。トンシン君の日本語の教科書は、マンガ「スラムダンク」だそうです。

ソウルに到着。
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街でよくみかける軍隊の若い人達。


トンシン君が、空いているコインロッカーをいくつかあたって見つけてくれた。手が空き快適にソウル観光へー

まず最初に向かったのは、景福宮(キョンボックン)。
「ソウルツアーでは必ず訪れるお馴染みの場所であるここ景福宮は、1394年に建てられた韓国最大の古宮。朝鮮王朝を建国した李成桂(イ・ソンギュ)によって建てられた韓国で最初の正宮である。」

めちゃめちゃでっかーい!!
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驚いたのは、↑この人たち。多くの観光客がうごめく中、ぴくりともしないで、正門に立っている。最初、遠めに見たときは、完璧に「蝋人形」だと思っていた。

中でも目を引いたのは、周りが壕のような池で囲まれているこの王宮の“ゲストハウス”。庭も美しい。
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建物の説明などは、日本語のパンフレットをみながら回る。トンシン君は詳しいのだけど、やはり言葉が通じず、お互い交わす言葉は少なめ…
そして、先ほどから何やら携帯で誰かとやりとりしたり、どこか走っていったり。

歩きつかれて座ったころ、トンシン君が言った。
「僕の友達の彼女で、日本大好き、大好きな、日本語ペラペラの子がいる。その子がもうすぐ来ます。」と。

朝から彼女に電話してヘルプを頼んでいたことをこの時知りました。そして間もなく、その彼女“ヨンミちゃん”が現れたのです!
トンシン君、一気にほっとしたようで、リラックス~。「救世主が来ました。」と言っていました。そしてこれからは、日本人かと思うくらい発音きれいでバッチリなヨンミちゃんも加わって、恐いモンなし!
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だいたい回り、お腹も空いたのでこの景福宮を出ることにする。

ヨンミちゃんはジャニーズの「嵐」の大ファンで、日本語の勉強もそれがきっかけだそう。ミクシィで知り合った友達も日本に何人かいて、その友達を訪ねて日本にも何回か行っている。今では字幕なしで日本のドラマを楽しんでいるそう。トンシン君とは同じ大学で、ヨンミちゃんは服飾デザインを学び、現在は服飾デザイナー!「将来はベルギーに学びに行くのが夢だ」そうです。

二人のおかげで、食べたかった“プデチゲ”の専門店で大変美味しく食べた。
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プデチゲ。ハムやもちの入った洋風キムチ鍋みたいなもの。
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トンシン君、まめまめしい。
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ヨンミちゃん、可愛いなー。
お会計は、4人で満腹食べても2000円ちょっとと安くて美味い!


その後仁寺洞(インサドン)という、にぎやかで、いかにも“観光客向け”の通りを歩いたが、トンシン君のはからいで、落ち着いた韓国的な町並みを味わえるところがあるので、そこを時間まで歩きましょう言ってもらい、後をついて行く。6時半の飛行機に乗るため、ソウルを出ないといけない時間が迫っていた。
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ヨンミちゃんの通っていた高校もあった。

時間切れとなって、トンシン君は残念そうだった。
「もっといいところがこの奥にあるんです、又今度来たときに・・・」
と言ってくれた。名残惜しいけれど、時間いっぱいまでこうして案内してくれた二人に感謝・・・

そしてタクシーをつかまえて、再びソウル駅に!駅のコインロッカーに預けている荷物を取って、PM3:35発のインチョン空港行きのリムジンバスに乗るのだ!
時間があまり無く、最後は走ってバスに乗り込んだ。トンシン君、ヨンミちゃんは、そのバスが発車するまで見届けてくれました。
ホントウに、アリガトウ!!又ね~~!
短い間だけど、ほんとうにいろいろしてくれて、私達も彼らがいなかったらどうなっていたことか・・・最後にさわやかな気持ちになって、そして、バスが発車した後、二人は深ーい眠りに落ちたのでした。

トンシン君は、ここ鈴鹿研鑽コミュニティに是非交流したいということで、近く日本にやってきて滞在する予定です。

PART7(5日目 おまけ)につづく・・・・

<Part7の記事を開く>
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韓国交流旅行 レポート Part5

10月31日 ―四日目― <その2>

さて、見たことのある景色を頼りに、ペンションがある山のふもとのバス停で降りました。そこで降りた他の数人が見えなくなると、人影は全くなし。雨は降り続いていました。

公衆電話から頼んだものの、迎えにきてもらえるだろうか、それとも歩いて帰ろうかと二人で話しながらしばらく待つと、サンヨンさんから連絡がいっていたのか、ユナンさんが大きな車で来てくれました。嬉!

「この日の大きな二つの予定」のもう一つとは、

「江華島・大研鑽会」です。

これは、サンヨンさんとつながりのある人達に向けて事前に呼びかけられていたもので、そのメール内容の一部が次の通り。

「江華島研鑽会」

主題 : 研鑽を研鑽する、 研鑽を開放する

内容 : 研鑽とは? 
    スズカ 10年の経験と, 研鑽で本当の社会作り

日時 : 2009年 10月 31日 土曜日 夕方8時~10時30分(研鑽会時間)
    7時 30分から茶菓
    宿泊をなさる方々は宴会以後があります.

場所 :  江華島 「ウリコチャリ」ペンション


参加者 : 満 19歳以上の大人 (参加人員は 10人前後に思っていますが..)

日本参加者 :小野 Masashi, Miyuki夫婦 (10月28日~11月1日まで韓国に)

参加費 : 当日帰宅 5,000ウォン / 1泊 15,000ウォン

 
前日話したユナンさんもこれに参加するのに又カンファにやってきていました。だいたい参加人数は10人くらいになるのではないかと聞いていました。


その研鑽会を控え、ペンションに着いた後、サンヨン一家・ユナンさんと私達7人で、15分程離れた“どんぐり料理”のお店で夕食をとります。

私は、韓国に来て初めて"どんぐり料理”というものの存在を知りました!
どんぐりの実を砕いた粉でチジミにしたり、水にさらして取れた澱粉を煮て固めたゼリー状の和え物や、その冷麺、等などのバリエーションがあり、その専門店もあるということに驚きです。

この店をやっている人ともサンヨンさんは親しく、ペンションの宿泊客に店を紹介しているそうです。

車で出発した後、カメラを忘れたことに気づいたけれど、えーい、もう食べることに専念しちゃいマース。
向かう車の中で、子供達は超元気!!子供達の学校は、インフルエンザの流行でハロウィンの行事が延期したことなどを、車中でゆきちゃんが教えてくれました。日本でも、私達が出発してくる直前、うちの子供達の学校の学級閉鎖が相次いでいました。今回子供達を置いて韓国に来れたのは、近くに住む本山・照子夫妻のおかげ。子供達も普段からすっかり馴染んでいて安心しきっているのです。学校からのメール連絡が伝わるよう、照子さんに私の携帯も預けてきました。


どんぐり料理のお店はとてもにぎわっていました。注文はサンヨンさんにお任せでしたが、どんぐりを使ったお酒も出てきました。どぶろくのように白く濁っていて、独特な後口のこのお酒には、小野さんが大きく反応!おかわりもするする!!研鑽会の前は飲まないんじゃあ、ありませんでしたっけ~~!?

一味・二味ちがうどんぐり尽くし料理がズラッと並び、食べきれないほどでした。満満足で、韓国"最後の晩餐”を終え、ペンションに―


部屋で少し休憩した後、7時半少し前に1Fの大部屋に行くと、すでに何人かの若い男性が来ていました。
最初は、皆でお茶とお菓子を頂きながら人が揃うのを待ちました。
この日は、参加予定の人たちが大幅に来れなくなったりして、私達を入れて全部で8名となりました。

PM8:00
軽くサンヨンさんが挨拶し、いよいよ始まりです。
そして、参加者の一人トンシン君は日本語交じりに自己紹介してくれました。こちらも覚えてきた数少ない韓国語を交えて二言三言は話しましたが、あとはサンヨンさん、ゆきさんに通訳をしてもらって、簡単に自己紹介しました。初めてお会いする男性3名は、皆20代。サンヨンさんとも親しい間柄のようで、はじめからリラックスした雰囲気です。
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こちらも、ここに座っているまでの経緯を話すと長くなってしまい、小野さんの話に出てくる話に又質問があったりして、自然と、まずは日本での活動の紹介をするといった形になりました。
そこで、KNIの幅広い活動がイメージしやすいようにと、日本から写真を集めてまとめ、それをスライドショー的にみてもらう用意もしてあったので、それに移りました。

研鑽ライフセンター研修所や、合宿研鑽会の様子、会社をやっていて、マンション建設や、弁当屋のこと、コミュニティを訪問する人を受け入れる家や寄り場、ゲストハウスも取得したこと、研鑽科学サロンでの研究発表の様子・・・等など・・写真とともに紹介することで、現実感もともなってか、次第に関心を持ってもらえたようでした。

その中には、サンヨンさんの活動でできた、日韓青年交流の会「テソン」から紹介されて、この夏鈴鹿コミュニティで約2週間ステイした“セロミちゃん”も映っていました。セロミちゃんを知っているトンシン君は、見終わった後「僕も行ってもいいんですか?」と急に顔を輝かせ、活発に質問をしていました。(それまで、「ケンサンって、何か神様の儀式のことと思っていた」らしい。)
トンシン君は、大学で広告デザインを学び、働いていた会社をこの前辞めて、日本の広告会社と関わった仕事がしたくて、現在勉強中だそう。そしてテソンにも関わって、日本語も勉強し始めたそうです。「研鑽」という言葉は初めて聞くような様子でした。
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すでに「研鑽」というものに関心を寄せ、よりよく知るために多くの活動をしてきた26才のミノ君(写真では、赤い服の)は、最近先が見えてこないことにあきらめを感じていたらしいのですが、鈴鹿での試みを聞いて、今までとは違うオープンさ明るさを感じたそう。ミノ君は多くを語らないのですが、とても感性豊かな青年だと感じました。

28才のデジョン君(眼鏡をかけた白いシャツの)は、マリ学校で木工を教えているのですが、「研鑽」をどこかでやっていることでなく、自分の活動に取り入れていくには、というところをじっくりと考えているようでした。


又、個人的に私が印象に残ったのは、ゆきさんが、後から言ってくれたことを聞いてでした。口で言う理想はあるけど現実はなかなか難しく、その可能性にあきらめを感じていたところ、鈴鹿での試みについて「すごく魅力的だ」と言い、ウソのないところで試験しようとしてる人がいる、ということを感じたとのことでした。

「研鑽」がどういうものか、そして、それが実生活・実社会の中に機能して、人間社会がこんな風につくれるのではないか――ということが、投げかけられて、それを理解する下地もあって、今回の機会が大きなきっかけになったのではないかと思いました。
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その後男の人達で、お酒を飲みながらの第二部が始まりました。


次の日は、朝にカンファを出発し、ソウル観光をして帰国する予定でした。しかーし!私達は韓国に行く前、ソウルのガイドブックを見て漠然と想いを馳せるだけで、具体的な行き方や、行き先さえこの夜まで描けていなかったのです・・・(描く時間もない!)
昼の市場でのことから、これは相当調べていかないとと思ったワタシは、話し込んでいる小野さんを横目に、ゆきちゃんに相談にのってもらうことにしました。行き先をある程度定めて、ゆきちゃんがネットで調べてくれている間に、部屋に荷物の整理をしにいきました。

荷物をまとめて戻ると、ゆきちゃんが、
「トンシン君が明日ソウルを案内してくれるって!!」
と、信じられない言葉が・・・・・
「ウッソー!いいの?!」ウルウル・・・・

トンシン君と私達の言葉がどれだけ通じるかという、一点疑問が残りはしたけど、概ね明日のことは考えなくてよい、という安心感が広がり、私は休むことにしました。トンシン君はその晩ペンションに泊まって、朝一緒に出るのです。ヤレヤレメデタシ ・・

小野さんは、まだサンヨンさん達と話しこんでいました。

その夜は、小野さんが部屋に戻ってくるまで寝れず、結局午前1時半をまわっていました。いろんなことが頭に上って回っていたようです・・・・

PART6(5日目)につづく・・・・

<Part6の記事を開く>
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韓国交流旅行 レポート Part4

10月31日 ―四日目―


あっという間に4日目になりました。

目が覚め、シャワーを浴びて少しゆっくりしました。
前日遅かったにも関わらず、サンヨンさん達はもう片付けなどに取り掛かってます。

次の日は帰国することになるこの日は、大きな予定が二つありました。

その一つは、李南谷(イ・ナンゴク)さんとお会いすることです。

イ・ナンゴクさんは、若いときから韓国の民主化運動に携わり、今でも韓国社会の要人とつながりをもつ有名な社会活動家です。
「論語を研鑽する」等の著書もあり、いろんな実践をしながら活動されています。サンヨンさんから、このKNI活動も知ってHPを時々みているとのこと。
なかなかの人格者でもあるときいていました。

ソウルから車で南に4時間ほどの場所に住んでいるナンゴクさんですが、たまたまその前日、ソウルで知人の結婚式に出席され、その足でわざわざカンファトウに来てくれるとのことで、対面が実現しました。



この日は、結構な風が吹いて今にも雨が降りそう。見渡すと、落ち葉嵐?!
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ナンゴクさんとカンファトウのバスターミナル付近で11:00に待ち合わせをしていて、その出発まで、ペンションの片付け、今日からの宿泊客を迎える準備。
団体客が帰った後の部屋は、なかなかすごい状態・・・
テキパキと慣れた様子で片づけを進めるゆきちゃんに聞いて、私はまごまごとごみの片付けなどし、小野さんは外回りをやって、気がついたらもう約束の時間が迫っていました。あわてて、準備をし・・・

そして降り始めた雨の中、サンヨンさんと3人で出発。

イ・ナンゴクさんという大人物と会うことに私はすこし緊張していましたが、せっかく会える貴重な機会をいいものにしたいという想いを胸に、写真を撮ることを忘れないよう頭に置いて、車中で二人が話す内容に耳を傾けていました。

雨も大降りに、しかも強風で雨も横なぶりになってくる中、約束のバスターミナルに近づきました。そして、そこに傘をさして立っていた背広の男性が、イ・ナンゴクさんでした!

にこやかに車に乗り込まれたナンゴクさんにご挨拶。「背が高いので、傘では防ぎきれずに足がだいぶ濡れちゃったよ」(もちろん韓国語)と話す笑顔を見て、私のキンチョーは消えてしまいました。

当初は、高麗宮址という場所を少し歩きながら話しては、という予定でしたが、この天気なので直接食事する場所に行こうということになりました。
着いたのは、参鶏湯(サムゲタン)という料理の専門店です。余談ですが、この料理は、私が事前にリクエストしていた料理で、それをサンヨンさんが汲んでくれていたのでしょうか・・・(恐れ多くも・・)

奥の座敷に通され、座ったところに、
「写真撮らせてもらっていいですか!?」
と、アイドル追っかけのようなイキオイで言ってしまったにも関わらず、これ又にこやかに応じてくれました。
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さて、これでほっとした私をよそに・・

冒頭から、こちらのHPをみてのナンゴクさんの意見や、質問などがあり、韓国での活動情勢と、こちらのKNI活動の意見を交し合って、話がすぐに、そしてスッとできるという感じです。

「研鑽」については、ナンゴクさんもその必要性や意味などを理解されているようでしたが、それを使える、「実力のある」人材の必要性を言っていたのが印象に残りました。今の社会活動に「研鑽」を取り入れていきたい、と熱く語っておられました。

「研鑽」とは、誰かの、特別なものではなく、どこの人間社会にとっても普遍的で自然なものであり、それが機能してこそ「よい社会」になり得るものではないか、ということがこの対話の中で自然と感じました。

具体的に、互いが活かしあってすすめるよう、交流していく案がいくつか出て、ナンゴクさん自身も3月頃になれば時間が取れるので日本に行きます、と言われました。「研鑽」を大学のプログラムに取り入れるよう、大学の総長にも話してみる、とも。

小野さんが日本から持ってきた、研鑽科学研究所でまとめつつある「研鑽について」の文書もお渡ししました。

2時間というとても短い時間でしたが、ナンゴクさんとの話はとても手応えのある中身の濃いものでした。

そして料理も、テゴタエのある中身のぎっしり詰まったものでした。(サムゲタンは一羽丸ごとの鶏の腹に、もち米などを“詰め込んで”煮込んだスープ)
これは大事な話をしながらには向いてない料理だったな~。(でも風邪のときに食べたらいっぺんで治りそう)

食べ終わった後、やっぱり写真を撮り忘れたことに気づき、遅れて合流したユナンさんの食べかけを撮影・・・
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丸ごと入っている「高麗人参」もみていただけるだろうか!


この後、ナンゴクさんと握手をして別れました。65歳と思えぬ若さ!
柔軟で、気さくで、しかもダンディ!最後にはすっかり親近感を持ってしまいました。


今日から来たペンションのお客さんが、昼からバーベキューをやりたいという連絡を受け急いで帰るサンヨンさんに、道を簡単に聞いて、これから二人でカンファの市場をまわり、お土産などを物色しにいこうという予定の私達。はたしてダイジョーブなのだろうか・・・

しかも肝心な時に「シーン別韓国語会話集」を忘れてきた。

しかも大雨。屋内の市場があるということで、通行人に身振り手振り英語ありで道を聞き、プンムル市場にたどり着く。

そこでおいしそうなキムチや海苔を何とかお土産に買うことができた。
「How Much?」と聞いても、
「○×△☆!!」
おばちゃんたちからハングルで返ってくるからワカリマセーン。

いつも出かけたときは小野さんに頼りきっているけど、この日はナンゴクさんとの対面後のせいか小野さんも少々「上の空~」みたいな様子で、これは私が立ち上がらないと!途中で真剣になりました。
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キムチ。野菜。海の幸。キムチを漬けるおばちゃん。
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ここを見た後、ペンションまでバスで帰る予定。予定より一本早いバスで帰ることにする。それまでの時間はどこか喫茶店にでも入って時間をつぶそう、ということになった。ていうか、他を探す実力・気力ナシ。

幸い、サンヨンさんからこの市場の1Fの果物屋の奥さんが日本人だよ、と聞いていたので、その人にアプローチして「喫茶店はどこにあるか」と聞く。異国では、日本人・日本語のありがたみが沁みるなー。その奥さんの話によると、ここではあんまり「喫茶店」というものが無い、あっても暗いイメージのものだ、とのこと。バスターミナルに行けばその2Fにあるんじゃないか、ということで、そちらに向かう。

大雨の中、バスターミナルにたどりついて、ちょっとあやしい雰囲気の「喫茶店」に勇気を持って入る。客は私達だけだ。中にいた厚化粧の女性がお水を持ってきてくれた時、ハングルでいっぱーい話しかけてくれたが、
「・・・・・。」
できたのは、微妙な笑顔を浮かべるだけ・・・そのうち店の女性は話さなくなった。

どう違うのか分からない2種類のコーヒーを頂いて、時間まで過ごした。
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冒頭に、「この日は大きな予定が二つ・・」と書きましたが、夜にそのもう一つを控えているのです。早めに帰ってそれに備えよう。

PART5(4日目 その2)につづく・・・

<Part5の記事を開く>
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韓国交流旅行 レポート Part3

10月30日 ―三日目―

この日の予定は、車で2時間ほど離れた京畿道華城市から、キムユナンさんとその奥様、典子さんがやってきて、3夫婦で話をしよう、というのがメイン。

水曜・木曜はこのペンションの宿泊客は私達だけだったのですが、金曜日からは、他のお客さんも入り、しかもこの日は、インチョン税務署の人達が企画でここを利用するということで、25人の団体客を迎える予定なのです。

ユナンさんと典子さんの到着までに、できるだけ団体客の準備を終わらせておこうということで、私達も掃除などを少し手伝わせてもらいました。
朝、打ち合わせも含めて4人でティータイム。
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サンヨンさん達は、このペンションを始めて4ヶ月ちょっとになりますが、大きな部屋だけでなく、二人用の部屋も増築するための大工事にここ最近1ヶ月以上かかっていたそうです。その間、家族も大分不便をしながら暮らしていて、やっと落ち着いたところでした。そしてそのできたばかりの「スィートルーム」の第1号の客が、私達だということ。今日からその部屋に移動します!
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玄関裏にまわると・・・
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テラスがあり・・・更に奥へ進むと・・・
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離れのように玄関があり・・
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中はワンルームながらゆったりとして
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キッチンもシャワールームも完備。
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韓国では、部屋も飾られているほうが喜ばれるらしく、センス良くディスプレイされていました。
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日本からの観光客には、食事もつけて、日本語のガイドもついての特別なメニューを組めるとのことです!関心のある方は、私 “ミユキトラベル”までご一報を!↓
m.ono1229@gmail.com  

ペンションのHPはこちらをクリック

さて、さて、
AM10:30頃到着した、キムユナン&典子夫妻と少し話してから、ゆきちゃんの用意してくれた昼食は「韓国うどん」。
白くて、とろみがあって、海鮮だしが利いてて超美味し~い。
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あやうく撮り忘れそうになったけど、なんとか 撮!

その後も、3夫妻でじっくりと話をすることができました。男同士、女同士での話ももちろんよいのだけど、こうやって夫婦単位で腹を割って話すというのもなかなかよかったです。韓国に嫁いだ二人の日本女性に対し、いろんなハードルを越え多くを考えながらやってきたのだろうなあ、と、「たくましさ」を感じました。独身時代の二人を知っていて、そこと比べてしまうせいだけではないと、思う。
独身のとき、自分はどうやら先輩風を吹かせていたようだけど(ボスとか姉さんとか言われて)、今は韓国で結婚し、子育てをしながらやっている二人が、より自分の人生を大切にして輝いて欲しい、そのために応援するし、何かできることがあればやらせて欲しいなあ、という思いが大きくなった。

男と女がいる。これはどこに行ってもそう。
「女性」って何かなあ?どういうものかなあ?と最近自然と考えるようになった。
女の人が生き生きと自分の人生を送り、男の人も発揮する。そしてそんな社会。すごくシンプルだけど、その理想のすがたとは――。
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キム・ユナンさん&典子さん 

この日は、子供達が寝た後、又サンヨン夫妻と4人で語り合いました。
母屋の方では、団体で来ているお客さんがとてもにぎやかで、サンヨンさんは時々呼ばれて、バーベキューの火の世話や、キャンプファイヤーの準備をしたりしながらでした。

途中、バーベキューの魚、えび、お肉のおこぼれ?が回って来て、お酒もすすみました。

そろそろ終わりかな、と私が思う頃、
「もう一本!」
と、お酒を取りに立ち上がるサンヨンさんを見て、なんだか楽しくなりました。尽きることがないような話はこの日、2時過ぎまで続きました。

サンヨンさん夫妻はペンションを始めてから忙しく過ごしてきて、ゆっくり、じっくり、しらべたり交流したりする時間も持てるよう協力していきたいと思いました。


PART4(4日目)につづく・・・・

<Part4の記事を開く>
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韓国交流旅行 レポート Part2

10月29日 ―2日目―


昨晩は真っ暗で周囲がよくわからなかったけれど、朝ゆっくりさせてもらってから、サンヨンさんに周辺の散策に連れて行ってもらいました。
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ペンション

すでに紅葉がすすみ、落葉樹が絶え間なく葉を落としています。ペンション自体山の中にあるのですが、家のすぐ隣に歩きやすい山道が続いていて、サンヨンさんの後を付いて歩きました。
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栗の木がほとんど?と思われるくらいに栗がごろごろ。
見よ!二人の服装の差・・
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ここ江華島を検索すると、(→ソウルナビ)
「東アジアの歴史を語る上で忘れてはならないのが江華島(カンファトウ)。古くは戦乱時の国王の避難地であり、外国からの侵入を防ぐための要塞遺跡が数多く残っている歴史と文化の観光地です。」
とあるように、特に戦いの跡がここかしこにみられます。この山にも、大きな石が丸く並べられた場所がいくつかあり、それは戦のときの跡だということでした。

家に戻ると、ゆきちゃんが料理にとりかかってくれていて、早い昼食をおいしく頂きました。唐辛子も生で味噌をつけて食べたり、醤油漬けのがあったりして、たくさん食べました。
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この日は、この後出発して、夕方までカンファの観光です。サンヨンさんがついてばっちりガイドしてくれました。
カンファトウには、昔から土地を持っている裕福な農家が多く、家の周りを綺麗に飾っている家があったり、畑も大きくきれいでした。
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この後、サンヨンさんのペンションを建てて、最近のリフォームも担当したという大工さんのお家へ用事ついでに寄りました。ここの奥さんからもらったというキムチも食卓にのぼっていました。韓国では、工事に来てくれた人などに、食事を振舞う習慣があるらしく、人のよさそうなこの大工さんとサンヨンさん達は親しいようでした。
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庭に並ぶキムチをつけるつぼ。最近は“飾り”になっているらしいです。
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唐辛子畑。自分ちで漬けるキムチなどに使うのでしょうか。

この後、韓国で最古の寺と言われる伝燈寺(チョンドンサ)に行きました。豊臣秀吉が攻めて行った時に消失した場所やらがあり、隣の国同士の関わりの深さを改めて実感したのでした。
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紅葉がとにかく美しい
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本堂
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色使いが独特
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伝燈寺を後にして、珍しい韓国式の教会をみて―
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カンファトウには、キリスト教もいち早く入ってきたそう。

その後、江華山城に行き、門の上を登ったところから、北朝鮮を眺めました。
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この日は、ペンションの宣伝のためポータルサイト掲載用の写真撮影に業者の人が来たり、又夕方に控えている集まりの連絡などで、しょっちゅうサンヨンさんの携帯に電話がかかってきていたのです。私達のガイドをしながら大忙しなサンヨンさん。
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向こうに見えるのが、 北朝鮮。

最後に、世界遺産の、江華支石墓(コインドル)をみました。カンファトウ観光の看板となっているようなところ。「テーブルの形をした北方式支石墓です。支石墓の大きさは高さ260cm 、蓋石の長さ710cm、幅550cm、屋根石の重さは80.000kgにもなるそう。この江華支石墓は韓国一の大きさ。」
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さて、カンファの観光を堪能して、いよいよ(今日のメインイベントはこれからだよ)バルグンマウルの人達との交流のために、マリ学校に向かいます。

バルグンマウルとは、「マリ学校」というフリースクール(中学生年代の子供達が暮らしながら学ぶ)や、「百日学校」という子供・青年向けの修練のための合宿などを運営している、カンファトウの社会活動団体。

ここの人達が10人ほど集まってくれて、そこで私達が加わり、研鑽会をするのです。どんな風になるのかまったく予想できないけれど、すごく楽しみだ。


PM4:50
マリ学校に到着。出迎えてくださったのは、バルグンマウルの代表で、理事長のファンさん。サンヨンさんの先輩だそうです。
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門をくぐると広場を囲むようにして校舎(長屋のような)や事務所などがあり、ここで帰ってくる子供達にファンさんが「お帰り」と声かけていました。
お茶を頂いて人が揃うのを待ちました。
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講堂の役割をする大きな部屋に研鑽会の用意がされていました。だんだんに人が集まり、丸くなりました。校長先生や、学校のお母さん先生、事務局の人や、子供を送り出している親等、10名近くの人が集まりました。中央にファンさんが座り、研鑽会の間中お茶を淹れてくれて、それを次の人に回しながら頂きました。
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最初はちょっと緊張がありましたが、
「研鑽」について初めてその言葉を聞く人もありながら、サンヨンさんの通訳を通して、だんだんに理解を深め、次第に突っ込んだ話が・・
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さすがに意識の高い人達で、自分達の活動のことや、韓国に強い家父長制で家族の意思疎通がさまたげられていることや、いろんな社会の問題と「研鑽」との関係について論じられていました。
日本の一角で行われているこの活動にも大いに関心を持って、当然疑問や質問が活発にでました。是非交流していきたい、子供達を送り出したい、滞在するとしたらその費用は、などの具体的な話にもなりました。ここに関わっている人たちは、収入も決して多くはないそうです。
ひろく社会に研鑽を開いているというオープンなところが、自分達の活動と同じだ、という言葉もありました。

最後にマリ学校の校歌をプレゼントに頂きました。そして、バラの花も・・
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やってみての感想としては、短い時間の中でしかも言葉の違いもありながら、予想以上に通じ合うものを感じました。活動を実際に行う中で直面するものを解決しながら、自分達の理想を実現するにはと活動する人たちに、「研鑽」をまず理解してもらい、触れてもらう機会を得られ、興奮を覚えました。これもサンヨンさんの活動あってのことだと思います。

今回のきっかけから、又次の展開への期待を胸に、マリ学校を後にしました。

最後にお腹も減って、サンヨンさんの知り合いがやっている焼肉屋さんで、たらふく食べました。何品もサービスが・・
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こうして二日目が過ぎていきました。PART3(三日目)につづく・・・

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