10月26日のツアー後、ギフトエコノミー勉強会を主催する、名古屋の 中島 康滋 さんが、「アズワン鈴鹿ツアー」で感じた事を、丁寧にレポートしてくださいました。転載してご紹介します。(写真は一部変えています)
アズワン訪問記録 〜ギフトエコノミーの基盤は、信頼で繫がる関係性コミュニティ
こんにちは!
ギフトエコノミー勉強会を運営している中島です。
第2回のmeetup企画ということで、鈴鹿アズワンネットワークに行ってきました。
お金が介在しない経済が回っている…家族のような関係…・・・いろいろな方からお話は聞くものの、イマイチよくわからない…
きっと、これは行かないとわからないんだな…
…はい、その通りでした😅
行ってみて、いろいろなモヤモヤが"わりと"スッキリしました。
やっぱり募集した企画として「行ってみたレポート」は必要だと思うのですが、、、、
正直、言語化してうまく書き切れないこと、やっぱり実際に行って見たほうが伝わる部分も多いという実感です。
ですから、あまり詳しいものではなく、私の感じたことの解釈や整理という書き方で綴りたいと思います。(かなり主観入ってますので御容赦ください。)
今回は7名で、2022/10/26 10〜19時のアズワン鈴鹿見学ツアーとして訪問してきました。
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【目次】
アズワンは、三重県の鈴鹿にある
サークルのような、オープン型コミュニティ
家族のような信頼関係
お金が介在しないのは、大きな財布を共有しているから
なんとかしてくれる、誰かがいる
働くこと
心理的安全とセーフティネット
リハビリ
アズワンを通じて、自分へのフィードバック
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アズワンは、三重県の鈴鹿にある
アズワンは鈴鹿にあります。鈴鹿は名古屋から1時間くらい、三重県の真ん中あたり。
あの鈴鹿サーキットの近くです。
何度も鈴鹿サーキットには行っているのですが・・・通り過ぎている場所でした😅
名古屋からこんな近い場所に、こんなコミュニティがあったなんて・・・ということがそもそも驚きです。
友人のお父さんがレーサーだったこともあり、鈴鹿サーキットのスタンドやピットに入れてもらったことも!
サークルのような、オープン型コミュニティ
いわゆるエコビレッジやコミュニティというと、クローズド(閉鎖的)な印象を受けます。
一般の人は入れない境界線があって、入るのに勇気がいる・・・ちょっと怪しい・・・😅
でも、アズワンは鈴鹿の街に溶け込んで、誰もが使えるコミュニティステーションの役割もあって、特殊な感じがないというのが第一印象です。
いわゆるサークルみたいな感じとでもいうのでしょうか。
有志や同志の集まったグループはよくありますし、生協や自治会みたいな感じといえば、そんなライトな感じです。
地域を支えるお弁当屋さんの役割も
家族のような信頼関係
ひとことで家族のような関係と言われても、ピンときませんよね。
家族だっていろいろな形がありますし、イメージするものも違うと思います。
でも、一日を通じてわかったことは、自分にもそういう信頼の関係で思える人はたくさん居るし、そういうよく気の知れた人(さらに少し深い人)と近くで住んでいくような感じなんだなぁということでした。
ただ、こういう理想のコミュニティは、信頼や幸福といった言葉を使えば使うほど怪しいと思うのが人の常。
きっとそれだけ、裏切られたり残念に思うことが多いのでしょう。
そうです、私もそうです。わかります。
信じたいけれど信じられない、人はそういうものなのかもしれません。
このコミュニティでは、サイエンズという考え方やスタンスが共通の理解(意識、スタイル?)で、「聞き合う話し合い」という答えを出さない対話がベースにあります。
たしかに、人は話したいけれど相手が聞いてくれなかったり、聞きたいけれど言ってくれなかったり、そこで推測や誤解が生まれていくということがありますよね。
それがどんどん広がって、いずかは離れてしまう。
僕にもコモンビートの仲間など、やっぱり本音でなんでも話ができる仲間といると心地が良いし、別にしゃべり続けるだけでいいし、無理に結論ださなくていいじゃないというスタンスでいることも多いので、とても共感しました。
お金が介在しないのは、大きな財布を共有しているから
お金・・・一番のテーマです。ここがポイントですね。
お金が介在しないコミュニティという意味が、最初はよくわかりませんでした。
だって、働いたら自分がお金をもらうし、欲しいものにはお金を払うからです。
でも、子どもの学費は親が出すし、いつもの食事にはお金をもらったりしません。
うちでバーベキューなどをやるときもほとんど会費を集めることはありませんが、それはみんなが持ち寄ったり、わざわざ時間を使ってきてくれることもありますが、何よりも家族というか親戚のような距離感だからかもしれません。
「財産を共有する」みたいな言葉には何だかゾゾっと寒気がしますが、そういう宗教的な感じは一切なく、個々が持っていても融通しあえばいいじゃないということのようです。
建物も車も、誰かの持ち物というよりかは、みんなで持っているものを、とりあえず誰かが使ったり近くに置いているだけと考えると納得がいきます。
それがお金でさえそうなのですから・・・まだその感覚は咀嚼中ではありますが。。。相当失礼なほど突っ込んで聞きましたが(ごめんなさい)、でも自然体でシンプルな答えで、最初は???が多かったのですが、だんだん「あー、そうですよね」という感じに変わってきました。
でも結局、お金でさえ死んだら終わりですし、ちゃんと最後までお金でなくてもサポートされれば、お金である必要はないのかもしれません。
なんとかしてくれる、誰かがいる
無責任な意味ではなく、信頼という意味で、何とかしたいときに相談できる相手がいる、しかもお金という条件がいらないというところが素敵です。
たとえば、ごはんもみんなで一緒に無料で食べられるし、買物も共同で買っているので、持っていけばいい。
壊れたら誰かに頼めばいいし、家にある本を登録しておいて読みたかったら貸してくれるとか、材料を買えば家を建ててくれるとか、語学や習い事もお互い様だとか、道具の貸し借りも・・・
こういうのいいよね〜という仕組みがあります。
貸して壊れて返ってきたらどうしようとか、そういう保証とか保険とか担保とかリスクじゃなく、きっと壊れたらごめんね〜で済むだろうし、黙って返してケンカになるようなことは、たとえば親友の間では考えられないわけですしね。
近しい関係なら、おたがい様でしょうし、家族ならもっと当たり前ですよね。
そういう間柄をコミュニティという言葉で呼んでいる、ということですね。
何でもある売店…ではなく、持って行って良いコーナー。米も肉もビールも…
働くこと
働くことで疲れる毎日のなか、アズワンの人はそうではないようです。
主に農業とお弁当屋さんが現状は経営の柱だそうで、休みたかったら休めばいいし、やれることをやっていけばいいし、組織はフラットだし・・・という、自由意志で運営しているそうで・・・いや、どうやって?と思いますよね。
起業や経営をしている身からすると聞きたいことが満載で、聞いているうちに理解が徐々に追いついてきました。
大きな解釈でいえば家族経営のようなものなので、家族の誰かが働こうが旅行に行こうが休もうが、それで給料が変わるわけではないということです。
でもブラックになりやすい家族経営だからこそ、他人が集まって対話をしていこうということで運営をしているので、お互いが納得しながら進むということなんですね。
家族でありながら、適度な距離感があるのも良いのかもしれません。
だからほとんどの仕事は時間給ではないし、欠勤で控除とかじゃないし、ノルマもない。
やりたくなければならなくていいし、一方で困ったら助けたいとか、がんばろうとか、ポジティブな感情でおたがいさま、な感じなんですね。
これもすべて信頼というベースがあるからなのでしょう。
いちいち親友をつまらない理由で責めたりしませんしね。
もっといろいろと細かいところは聞いてみたものの、基本となる部分が全く異なるので、質問が質問として成立しないこともあってとても面白かったです。
点在している耕作放棄地を借りて農業を営んでいる
心理的安全とセーフティネット
いまの社会、やっぱり不安になる要素が多くありますが、その中でも社会や経済に対する不信が大半を占めているような気がします。
そのなかでも、やっぱりお金のことが一番で、育児、教育、そして自身の老後という部分にお金の不安がつきものです。
なぜ、こんなにお金がかかるのでしょう…なぜ、必要なのでしょう。
子どもを育てることは未来をつくることだし、長生きするリスクなんて言われたら、まるで死ねと言われているようなものです。
そして、人は最後ひとりでその生涯を終えることになることが多い中で、やはり多くの人との関係性の中で生涯を終えたいと思うのが普通ではないかと思います。
いまはどちらかというと自己責任や自助といったことが煽られて、すべてが信頼ではなく契約という信用になっているので、リスクという言葉が次に出てしまうような不信な社会になってしまっているわけです。
アズワンは何も契約書のようなものは無いし、自由意志だし、口約束だし、、、社会はそんなもので成り立つのか?と疑問に思いますが・・・現実に暮らしている人がいる、ということにとても大きな希望と尊敬を感じます。
マズローでいえば、一番下の生理的欲求も、下から2番目の安全欲求さえも満たされない日本社会。
生きること、安心なことにお金が必要であるというのは異常事態だと思っていましたが、アズワンはきちんとそこを支えているコミュニティ(コミュニティを支えている考え方)がシンプルで義務さを感じさせずチカラの入っていない感じが、とても脱力感さえも感じる素敵な時間でした。
リハビリ
一日を通じての感想で僕が「また、リハビリに来たい」と表現したことがみなさんにヒットして、そこからみんなリハビリという言葉でいろいろな表現をしてくれていました。
お金のこと、関係性のこと、自分のことなど、一旦ゼロから考えてみるということは、何か機会がなければできませんよね。
僕も50歳になってリセットすることを宣言してから、こういった繫がりでたどり着いたアズワンも、何かのご縁ではないかと思います。
最近は、コミュニティという言葉が流行っています。
とても大切なことではある一方で、手段や形にこだわってしまっているようなところもあるのではないかと思うのです。
ウェルビーイングも同様で、それは目的や目標ではないはずです。
あったはずのものが、なくなってしまった。
そんな現代の社会に、僕らは生まれた。
別のもので繫がりを代用しようとしたけれど、それがお金というものを介在するルールが存在し、どうにか駆使しようとがんばってみた。
でも、そうじゃなかった。
だから僕らは、リハビリが必要なのだと思うんですよね。
お弁当は、美味しい。味はもちろん、作っている人の思いが伝わる。
アズワンを通じて、自分へのフィードバック
これまでいろいろやってきたことが、こうした近くで理想の形として実現している姿には、本当に勇気や希望が湧きました。
そして、アズワンの誰もが、自分たちは試行錯誤中であり、鈴鹿以外にもっと広がっていけばいい、そんな姿勢でお話されたことが本当に素敵です。
僕自身がなぜギフトエコノミーについて知りたいかといえば、お金だけに囚われないビジネスの在り方が必要だと思うから。
投資、回収、給料、経費、売上・・・
こういう貨幣換算だけではない、社会関係資本、心理的安全性、ウェルビーイングなど、本当に社会に必要な状態をつくるためにビジネスという手法が必要なケースも多くあると思うのです。
むしろそっちがマジョリティでなくてはならないとさえ思います。
現に、NPOやフェアトレードのビジネスはそういった意識の人は多いですが、やっぱり現社会の貨幣経済の中で抵抗していくのはしんどいです。
アズワンはそうした中で、農業と食という、人のいきる根幹の部分についてのビジネスを成立させ、信頼の関係性と共に生きる不安を取り除き、よりよく生きるための方法をみんなで考えていくというひとつの成功モデルなのでしょう。
ただ、他地域で同じものができるかどうかはわからないし、それぞれの人と地域の特性を活かして、様々なスタイルを追求できるヒントがここにあるのだと思います。
私はアントレプレナーシップについての実践者であり、ギフトエコノミーに移行していけるような経済をつくる人をたくさん生み出したいと考えています。
だからこそ、こうした理想の社会をつりたい人(それもひとつの起業)にとって頼れる存在であり、1つの共同体として理想を目指していける仲間でありたいと、強く感じた時間でした。
・・・いろいろと書きましたが、それぞれに感じることも違いますし、やっぱり言語化できないことも多いので、ぜひ行ってみてください。
アズワン鈴鹿ツアー
ギフトエコノミー勉強会も、またいろいろとみなさんと一緒にお話したいと思いますので、ぜひご参加をよろしくお願いします。
https://www.facebook.com/groups/gifteconomy.jp
以上、中島さんのレポートでした。
転載元の記事は
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